はじめのはじめ

二次元傾倒な日々。

『PRIMAL HEARTS』、はじめました。

 今年の冬は比較的暖かい、といわれているようですが、やはりこの季節になると朝の出勤が辛くなります。8月生まれの俺なんかは人一倍寒さに弱いので、寒い寒いと呟きながら駅まで自転車を走らせています。

 けれども、ぼやいたところで冬は始まったばかり。なんとか楽しく過ごしたいということで、『しろくまベルスターズ♪』でも再プレイして、冬の夜空を駆る彼女達に想いを馳せようとしたところ、近場のゲームショップには在庫がありませんでした。手ぶらで帰るのもしのびない、しかし『ゆのはな』の気分でも無い……。雪のなか両手を広げてはにかんでいるゆのはちゃんの前を通り過ぎつつ、目に入ってきたのは桜色──PRIMAL HEARTSのパッケージ──でした。

 目的の物が明確であるのに、買い物から戻ってきてみればまったく別の物を満足げに抱えている。昔からそういう経験はあるもので、『モンスターファーム』を買いに行ったけれど何故か『FINAL FANTASY TACTICS』を買って帰ってくるなど、目移りしてしまう性格は変わっていませんね。

 

 というわけで、PRIMAL HEARTS、です。

 

 主人公の転入先、間ノ島学園では保守的な方針の月華会、革新的な方針の天道会という二つの生徒会が存在しています。生徒たちから議題の提案があると、それぞれの生徒会が政策を提案、全校生徒の投票によってどちらかの案が可決されるというシステム。これまでは全くの五分五分だった状態が、主人公──帯刀和馬──の転入により動き出す。

 そんな、この業界ではよくある形式の学園の物語のようです。

 

 ストーリーは各話で区切られている方式で、とりあえず2話の終わりまで読んでみた上での印象を。

 主人公の和馬は、物語序盤で見せる作った“俺様キャラ”が抜ければ、よくいる好感触なハイスペック人間です。手詰まりの状態を、けれど解決へと導くことができる。いいですね。こんな頼りがいのある男なら、そりゃあ周りの女の子達も好きになってしまいます。話の流れとして、今は月華会寄りの相談を受けているので、3話以降は天道会寄りのストーリーが来るのでしょうか? そもそもルート分岐とかどうなってるのでしょう(ねこねこソフトのすみれの感想では、すみれルート本体を共通ルートと勘違いしてしまうという大失態を犯した人間)。

 まあ、あまり攻略サイトとか見たくはないので、普通に個別ルートに行けると信じて進めていきましょう。

 

 これまでの部分で印象的なのは、やはり、無理をしすぎて熱を出したゆづきの家に見舞いに行く場面。

 思っていることが顔に出てしまう性格の和馬に、『ゆづきにプリントを渡しに行くよう』に頼む本動堂(もとゆるぎどう!)先生。気配りのできる素敵な女性ですね。けれど何故か結婚できない崖っぷちという、これまたよくいる先生。

 そんな、先生にまで丸わかりで落ちつきのない和馬だから、きっと何を買っていけばいいか分からずに、熱が出た時に効果がありそうなものを手当たり次第に買い集めたはずで。だからドリンクやらバナナやらが詰まった、『ずっしりと重い買い物袋』を渡す和馬。「ちょうど近くの薬局で買った」なんて事を言って。

 けれどその薬局は当然ゆづきもよく利用する店で、そこにはドリンクもバナナも置いてないことを知っているわけで……。『きっと、必死になってかき集めてくれたんだ』と、その買い物袋を見つめ、じんわり胸を暖かくするゆづきがいて。

「キミってば、お母さんみたい」

 そうやって茶化しながら、きっと涙をこらえたゆづき。それに気づかずに照れくさそうに鼻をかく和馬。そして、「安静にしてくれ」と立ち上がり帰ろうとする和馬の服の裾を、思わずつかんでしまうゆづき。変な子だって思われなかったか、そんな心配しながら、けれど手は放したくない。

 そんなゆづきに、和馬は料理下手なのにおかゆを作るんですね。まさに“ベタ”ですが。いいじゃないですか。熱が出た時には、おかゆを食べるんですよ。

 

 見栄えは悪いけれど、胸に染み込んでいくような、そんな温かさのおかゆを「美味しい、ほんとに美味しい」といいながら頬張るゆづきは、自分をこんなにも心配してくれた和馬の顔を眺め胸に込み上げてきた想いを、おかゆと一緒に飲み込んでしまう。

 「ほんと、ありがとう」と俯いてしまったゆづきに、けれど和馬は、どう答えていいか分からずに「あまり長居するのもアレだし、そろそろ帰るな」と言ってしまう。

 このあたりのぎこちなさというか、認識していない感情が、非常に丁寧に読み取れて幸せでした。視点切り替えの上手さがよく活きていると思います。こんな瞬間を見ることができるから、エロゲはやめられないですよね! 

 というように、2話はゆづきがメインの展開だったので、3話以降はどうなるのでしょう。楽しみに読み進めていきたいと思います。

『りゅうおうのおしごと!』1巻の感想とか。

 さて、またしてもTwitterでつぶやかなくなった。観測範囲は極力狭めているのだが、それでも他人のヘイトに当てられてしまうことがあるので、あまり向いていないのかもしれない。あと、つぶやきという形式が苦手なのだろうか。なのでこちらにつらつらと書いていこうと思う。

 先週、朝刊を読んでいたら小説の紹介記事があり、白鳥氏の新作ラノベ『りゅうおうのおしごと!』が取り上げられていた。彼氏の小説は、『のうりん』を7巻くらいまで読んだ状態で止まっているが、テンポの良い文章と起伏の付け方が上手いことに起因するのであろう『読んでいて気持ちのいい小説』を書く人だなぁという印象。

 記事では、今回の新作の題材が『将棋』であること、綿密な取材から描かれるリアリティある物語、といったことが書かれていた。将棋。またコアな所だ。物語の設定としては、将棋界最高位タイトル『竜王』である主人公が、9歳のおんなのこを内弟子にするという。9歳。まあメジャーな所だ。
 早速本屋の新刊ラノベコーナーに赴き購入、その日のうちに読み終え、数日間再読していた。あとがきで『とにかく熱い話が書きたかった』と述べられている通りの内容で、ページをめくる手にも力がこもる。
 序盤、おしっこ。
 中盤、幼女研究。
 終盤、熱い展開。
 まったく隙の無い布陣である。文章も、のうりんの頃と比べて読みやすくなっていると感じた。不要な部分を極力排除し、くどい表現が無い。要するに読みやすい。
 将棋にせよ囲碁にせよ、子供の頃はむき出しの才能の争い……というイメージがある。歳を重ねると、研究や実戦経験によって培った技術が勝負の行方を左右することもあるだろうが、子どもにはその時間が無いからだ。この巻でも、9歳のおんなのこである『雛鶴あい』のたぐいまれな才能が描かれているわけだが、苦闘の末、研修会に入会することが出来たあいが、勝つことが全てという将棋の世界の中でどう揉まれていくのか。そして、あいと出会い不調を脱することが出来た竜王『九頭竜八一』は、あいと共にどう成長していくのか。今後が楽しみなラノベが、また一つ増えた。

スズノネセブン(代官山すみれルート)感想

 今更ながらスズノネセブンをプレイし始めました。何気に初クロシェット……かもしれません。ひとまず、すみれルートをクリアしたので感想を。

 

この世界で『魔法』と呼ばれる現象が認知されたのは、そう遠い昔の話ではない。代官山十四郎らの尽力により設立された、魔法に適正のある者もない者も教育を受けることができるスズノネ魔法学園は、築十数年といったところだろう。この学園には特殊なカリキュラムがあり、毎年成績の悪い七人──通称、セブン──が選ばれ、スズノネトライアルという強制合宿が開催されるのだ。セブンに選ばれてしまった城戸幸村たちは、そこで課題を与えられ──

 

 と、舞台背景はこのような感じです。

 

 スズノネの学園長の孫である代官山すみれは、高い魔法適正を持っていながらも魔法をほとんど使おうとはせず、そのことでセブンに選抜されます。上述したように代官山一族は、スズノネ魔法学園の設立に関わっており、そこには彼女の両親も含まれています。しかし、そのとりくみの中で父親である代官山守路が過労で倒れ、そのまま亡くなった。そうした事情から、すみれは魔法に対して悪いイメージを持ってしまっているらしいです。

 

 自分の父親が──魔法学園の設立という悲願のためとはいえ──体を壊すまで働いていたという事は……どれほどすみれの心を締めつけていたでしょう。幼いころから思慮深かったすみれは、本人に聞こえる範囲では『もっと自分の体を大切にして』『もっと私のそばにいて』とは言えなかった。そう言うことで、父親が苦しむことがわかっていたから。

 子供であるすみれを構うことより、まして守路自身の健康よりも優先度の高かったスズノネ魔法学園……ひいては魔法という新たな発見。幼いすみれからすれば、『魔法が自分の家族をバラバラにした』と考えてしまうのは仕方のないことで、一面の真実ではあるのかもしれません。けれど、すみれが敬愛する父親の、最期の言葉は──

「スズノネに行きなさい。そうして僕のかけがえのない大切なものをすみれに見つけてほしい。それはきっと、君の大切なものにもなる」

 というものでした。

 守路としては、大切な人──少なくとも、一緒にワルツを踊ってくれるような相手──がいない限りは見つけることが出来ないメッセージを、なんとしても娘には見つけてもらいたかったのでしょう。じきにこの世を去ってしまう自分ではなく……学園のあちこちに仕掛けたイタズラのような謎かけを娘と一緒に最後まで付き合ってくれる相手が、娘の傍に現れることを願って、残酷ともとれる言葉を遺したのだと思います。

 

 けれど……なんとももどかしい話ですね。大好きだった父親の最期の言葉が、その父を奪ったとも言える魔法学園に通って、そこで大切なものを見つけて欲しい……というものとは。身勝手で、残される側は、たまったものではない、と思ってしまいます。自分の中に流れる魔法の才能を自覚しながらも、けれど魔法を使おうとしないことは、彼女なりの反抗だったに違いありません。代官山すみれという女の子は、スズノネに入学した当時は、父親の最期の言葉を守りたくて学園に通っているけれどもそこで魔法を学ぶ意義はほとんど感じていないという、矛盾した状態だったのだと思います。

 

 思い返すと、すみれが仁乃以外のクラスメイトと親しく会話している描写って、まったく浮かんで来ないんですよね。仁乃はそういうシーンがあったにも関わらず。魔法科に入学しながら授業でまったく魔法を使わない、けれど才能は人一倍。クラスメイトからすれば、すみれは接し方が難しい存在だったのかもしれません。丁寧な言動で人あたりがよいので、普通に接する人は多いけれど、心を許せる相手はいない……といったような。

 そんな彼女にとって、仁乃の存在は思っているよりも大きいものだったのでしょう。二人が仲良くなっているのは、仁乃の人懐っこい性格もあるでしょうし、これは邪推ですが『膨大な魔力を秘めているけれども、その魔法によって問題を抱えている』という点が、すみれの共感を得たからかもしれません。

 また、姉である桃子が勧めた学園新聞の発行も、彼女にある種の学園生活の楽しさを与えたはずです。

 

 けれど結局、授業態度は不真面目で──

 セブンに選ばれたすみれは、父親とよく似た風貌の青年──城戸幸村と出逢うことになるわけですね。そして惹かれあった二人は、大切な人と一緒でなければ見つけることの出来ない守路からのメッセージを探し当てます。

 

 こういったゲームでは、告白は主人公の方からするケースが多いと思うのですが、すみれと幸村の場合は、幸村の告白を止め、すみれの方から言葉にしています。父親に「そばにいて」と言えなかった彼女が、けれど今度は幸村に対し、きちんと言葉にしているのです。自然で、なにより綺麗な流れですよね。ED曲『with you』中の歌詞、『そばにいて you can stay with me everytime どんな時だって』は、そのあたりにも繋がっているのかなぁと思ったりしました。

 魔法に対して前向きになったすみれと幸村の日常は、守路が想ったかけがえのない大切な場所で続いていきます。

 

夏空の話。

 今年もまた、夏という季節がやってきました。

 近畿地方を掠めるように上陸した台風も過ぎ去り、この三連休は夏真っ盛りと言ってもいいほど暑かったです。根っからのインドア派である俺は、友人宅でどうでもいい雑談をしながらゲームをしたり、自宅でエロゲ──ピュアコネクト面白いなぁ──をプレイしたり、たまった小説とかを読んでいたのだけれど、日中はエアコン無しでは過ごしにくいくらいでしたね。エアコンのある時代に生まれてよかった・・・・・・。

 季節は夏、であります。

 どういうわけか、この季節には人を感傷的なきもちにさせるものがある気がしますね。人々の行動から考えると、夏休みに海に花火に……と、解放的なイメージがあるにもかかわらず。本当、どうしてだろう。

「夏には、感傷的なイメージがあるよな」

 いつだったか、そんな事を友人に話したことがあります。それを受けた彼は、

「確かに、夏の夕暮れとか、夜は、ふと寂しくなったりするなぁ」

 と、そんな風に答えました。

 夕暮れ、夜。確かに、間違ってはいない。現にこれを書いている今は22時半くらいなのですが、窓の外は深い闇色に染まっており、昼間の暑さに比べると随分快適な温度の風が入ってきます。こんな風に当たっていると、適当に車を走らせて、どこか人気のない公園で、タバコでもふかしたくなるような感情が沸き起こってくる。けれど、俺が考えていたイメージは、青と白、そして銀色に輝く夏空であって。ジリジリと照りつける太陽に灼かれたアスファルトであって。そんな中で鮮やかに咲く向日葵の黄色であって……。

 白と青と銀に蹂躙されたような世界を見た時のこの感覚は、いったいどこから来るのでしょうか。郷愁、という言葉で表されるような感情と似ているけれども、焦がれる故郷が無いような、そんな矛盾を抱えた感情は。

 昔、某店長さんが 

「ぴったり当てはまる言葉がないから、代替として”しにたい”という言葉を使っている」

 と言っていた気がしたけれど、上手いなぁと思いました。本物の死を望んでいるわけではなくて、なんか完全な美、みたいなものを前にしたときに、消え去りたいと思うような感情。自分という存在を消して、美しい世界を観測し続けていたい、というような願望。だからこそ”しにたい”。そういうイメージから選んだ言葉だったんじゃないのでしょうか。本当のところは、本人しかわかりませんが。

 しかし、どうしてこんな感情を持つようになったのか。別に俺はAirとか、エヴァがクリティカルにヒットした年代を、オタクとして生きてきたわけでもないのだけれども……。

 

 話が飛びますが、物語上の季節が夏で『なんかキラキラした青春みたいな幸せで充実した生活』とか描いているようなエロゲをプレイしても、自分自身がそこにいたいかと言われると決してそうではなかったりします。彼らの空間はそれ自体で完成されていて、とても綺麗で、俺はそれを見ることができれば満足してしまう。いや、もちろんたまには『家が隣でなんとなく一緒に過ごしてきて気づいたらお互いに家族みたいな関係になってしまっていた幼なじみとか欲しかった……』とか呪詛を吐くこともありますが……。

 結局のところ俺が読んだり観たりしている中の人物たちの日常に、俺の居場所はないわけじゃないですか。こう書いてしまうと、不満に思っているととられてしまうかもしれませんが、そういうわけではなくただの事実として。別にそれは俺にとってマイナスなことではなくて、彼、彼女らのキラキラした日常は、この世界のどっかにはあるんだと思っていたら、俺にとっては充分なんです。だからこそ、彼らの世界に入る必要はない。

 

 なんだろう、上述したような『この世界のどっかにはあるんだと思』うための装置が、この夏空、ひいては『夏』という季節なのかなぁ。

 桜庭一樹の著書に『ブルースカイ』って作品があって……場所も時代も全然違う登場人物たちが、物語の中で交差して最後にまた戻っていくんですが、最後にそれぞれが青空を見るんですよ。生きてる時代も違う人達の上に、けれど青空はどこまでもどこまでも続いてるんです。

 と、そんな感じでしょうか。自分で書きながら強引だなぁと思いますが。ただ、どんな世界でも、夏の陽ざし、白と青と銀色の空はどうしようもなく眩しくて。交わらない世界でも、その眩しさは等しく、違いなんかは無いんだよなーと思いました。

 これ、もう信仰だな……。

ヤマノススメのすすめ。

 先日、Amazonで購入した『Angel Beats!』がなかなか届かないので、近所のTSUTAYAまで出掛け、以前から観ようと思っていた『ヤマノススメ』を借りてきました。全話がDVD1枚に収録されているようだったので、とりあえず1期まで。ここを読んでいる方々は、すでに視聴しているという可能性が高いのですが、インドア派で高所恐怖症の女の子あおいが、幼なじみのひなたという女の子に引っ張られ、山に登ったり登らなかったり、いちゃいちゃしたりするアニメです。公式サイトは下のあたりに。

http://www.yamanosusume.com/1st/

 

 結論から言いますと……1期を見終わった時には、Amazonで1期から2期の2巻までのBDをポチってしまうくらいに面白かったです。いや、あおいとひなた可愛すぎるんですよ……こんなの見てしまったら部屋中転がりまわって──最高に見苦しい姿──インターネッツで通販の扉を開くのは必至!

 

 

 学校で友達と話したり、一緒に遊んだり、といったことをしてこなかったあおいですが、高校1年生の春に、幼なじみだったひなたと再会して。学校の休み時間はもちろん、帰り道にアイスを買って一緒に食べたり、休日は山に登りに行ったりと、一緒にいる時間がどんどんと増えていきます。その過程で、あおいにとってひなたは、遠慮しなくてもいい、普通の友達に比べてより距離の近い、特別な存在になっていくんです。

 それは幼なじみだったということや、ひなたのまっすぐな性格のおかげなのかもしれませんが、こういった女の子同士の『特別』な関係性っていうのが、たまらなく好きなんですよね。心情表現で「こいつは~!」とか言いながらも、一緒にいるのが当たり前でかけがえのない相手、といったような。

 

 悲鳴のような感嘆の言葉をまき散らし、部屋を転がりながら──やはり見苦しい──、2期の2巻まであっという間に観てしまったわけですが……中でも恐ろしい破壊力を持っていたのは、2期の5話ですね。

 とある理由からあおいとひなたがケンカをし、数日間2人は口も利かない状態になる、というお話なのですが……ケンカ中のひなたが家を訪ねてきた時のあおいの嬉しそうな顔とか、それをひなたには見せないところだとか。

 このシーン、「……なんの用?」とそっけなく言っているつもりのあおいですが、絶対うれしさで顔がふやけているのを隠しきれてないですよね! 久しぶりにひなたとおしゃべり出来るのがうれしくて、それでも、そんな顔はひなたには見られたくなくて。だから、怒っているふりをして背中を向けてるんですよ! ひなたはひなたで、いつもあおいの事を見ていて、彼女がもっと笑えるように手をとり進んでいますが、あおいから自分に向けられる好意には鈍感だという。

 もう、だめだ……この2人可愛すぎる……!

 

 あと、1期8話のエンディング。これ、ひなたは絶対あおいのぱんつ見えてますよね?

「おおー、絶景だねー!」

「もー、お店の人に迷惑でしょ……なにが見えるってのよぅ」

「いや、あおいの水玉ぱんつがね!」

 とか言っちゃうわけですよ。もうだめだ……!

 

 あ、あおいは水玉ぱんつとか穿いてるみたいです。高1です。

 ひなたはくまさんぱんつとか穿いてるみたいです。高1です!

 あと、あおいは生えてないみたいです。高1です!!

 

 本当に、リアルタイムで見ることができなかったのが悔やまれますね……。Twitterで某氏とか某氏が、悲鳴を上げていた理由がよくわかりました。

 さて、この文章を書きながらAmazonで残りのBDも購入したことですし、何度も見返しながら楽しみに待つことにします。

長雨の季節に。

 紫陽花を見ると、ある女の子の事が頭をよぎる。

 

 といっても、実際の知人というわけではなく、『your diary』というゲームの“ゆあ”という人物の事だ。肩にかかるくらいの桜色の髪を可愛らしく編み込んでいるのが印象的で、その下には子供っぽさを感じる大きな瞳。140cmを切る身長と無邪気な性格は、どこからどう見てもお子様で。そして、幸せの神様であるという、そんな女の子。

 

 実際にこのゲームをプレイしたことは、あるにはあるのだが、最初からメインヒロインであるゆあのルートに進み、結局クリアせずに止めてしまった……のだと思う。不明確なのは、プレイした記憶がほとんど残っていないからだ。

 つまらなかった、というわけではないはずだ。不満な点もあっただろうが、比較的楽しく読んでいたように思う。けれど、シナリオを一つもクリアしていない……そういう類の、よくある話。

 そんな不誠実な読者である俺だけれども、ゆあという人物の事はわりとよく覚えているようで、こうして紫陽花の季節になると彼女の顔が浮かんでくる。

 

 何故、紫陽花と彼女なのだろう。ストーリー上のキーだったのだろうか。いや、おぼろげだけれど、そうでは無かったと思う。物語上の季節が、梅雨どきだったのか。公式サイトのギャラリーやストーリーを眺めても、よくわからない。

 あるいは、誰もが憂鬱になりがちな長雨の季節に、けれど鮮やかな花を咲かせてくれる……そんな姿に、誰かを幸せにするために頑張り、役目が終われば消えていくような、幸せの神様を重ねてしまうからだろうか。

 ただ、紫陽花を見ると、ふと彼女の事を思い出す。お気に入りの黄色い長靴をはき、同じく黄色の雨傘に小さい体をすっぽり入れたゆあが、紫陽花を眺めている姿が浮かんでくるのだ。彼女は、一体どんな表情をしているのだろうか。自分と同じような存在を眺めて、一体どんな思いを感じているのだろうか。俺は、傘越しに、そっと覗いてみる。

 すると、その横顔は、どうやら笑顔のようで。

 それを見て俺はほっとするのだ。きっと彼女自身の物語も、ハッピーエンドなのだろう、と。

 きっと、もうすぐ主人公が現れて、彼女は子犬のように飛びつくのだろう。突然抱きつかれた彼は、口では雨に濡れたことをぼやきながらも、彼女の桜色の髪をやさしく撫でてあげるはずだ。幸せな2人の未来が、ずっと続いていくのだ。

 俺は、そんな想像をしながら、紫陽花の横を通り過ぎる。

誰彼時に見える星の話。

 ねこねこソフトの新作『すみれ』、クリアしました。てっきりルート分岐があるものだと思っていたので、びっくりです。

 感想等は後々に書くかもしれませんが、一番印象に残った……というか好みだったのは雛姫の話。はい、こういう面倒くさいと言われるような女の子、大好きなんですよ。そして、瞬間最大風速は、やはりというべきか雛姫シナリオの観覧車のシーンですね。 

 

 雛姫(もう、ずっと前に、失くしていたものと思っていたのに……)

でもそれは、まだ私の中に小さく、残っていたようで。

それをあなたが、見つけてくれたようで。

 

私はまだ、笑えるのだ。

 

 今まで当然のように雛姫の中にあったものを、けれど周りの人達は見つけられなかったものを、健ちゃんが見つける。誰彼時の、赤と紺が混じり合い、すみれ色に溶けあっていく街を背景に、見えにくいかもしれないけれど、確かにそこにある、そんな何かを。

 と、今回はこれが言いたかっただけです。