星メモプレイ日記2
『星空のメモリア』プレイ日記。
結婚しました!
ただでさえ更新のスピードが遅いブログですが、ここ数ヶ月は式の準備やら新生活やらで、すっかりほったらかしになっていました。少しは落ち着いたので、近況報告いたします。
私事ではありますが、この6月に結婚しました。高校時代から10年ほど、恋人だったり友人だったりした相手です。良くも悪くもお互いを知りすぎているので、新婚感はあまり無いですが、それでも新しい生活というのは、白いキャンバスを前にした時のような高揚を感じますね。まだ何も決まっていない状態から、どんな未来を描くのか……と言えば大袈裟に聞こえますが、何てことはない、どんな家具を買うかというレベルでも二人で相談して決めていくのは楽しいです。もちろんお互いに譲れる部分やそうでない部分があって、楽しいことばかりというわけでは無いですが、すり合わせて行った結果、生活のリズムが安定してきたように感じます。
ところで、北村薫の円紫さんシリーズの中に『六月の花嫁』って話があって、俺はこいつが一番好きな話なんですよ。夜の蝉に入ってるやつですね。
わたしと円紫さんが喫茶店だかで談笑していて、雨が窓を叩いている。わたしはこの前出逢った不思議な出来事の話を聞かせる。円紫さんは、いつものように話を聞いただけで謎を解いてしまうわけですが、それだけではなかった。わたしが『その話をしようと思った理由』までをも当ててみせて、窓の外を見て、
「雨が、あがりましたね」
と言い、幕が下りる。
この下ろしかたや、物語の内容のあたたかさ、雨上がりにきらりと輝く窓外の想像、全てが琴線に触れてくる、宝物のような話なんです。
あやかる、ということを意識したわけではないのですが、からりと晴れた6月に結婚式を挙げる事ができて良かったです。
今後は、PCゲームについてはあまりプレイできる機会はないかもしれませんが、アニメやラノベは触れることが出来るので、語りたくなったら雑文を書いていこうと思います。とりあえず……山田エルフ先生ちゃん、可愛すぎません?
「りゅうおうのおしごと!」5巻を読んだ。
タイトルのとおり。書きたいことはまとまっていないので、ざっと感触だけ。
なんというか……それがプラスでもマイナスでも、この社会で人間が生きている以上、循環している流れみたいなものがあって、多かれ少なかれそれらの輪に誰しもが乗っている。家族とか、友人とか、職場とか、ネットとか、今日はじめて会話した奴でもいい。あー、でも二次元じゃ駄目だな。二次元から受け取ることはできても、たったのひとつも返すことはできない。二次元から三次元への矢印は、いつだって一方通行になってしまう。悲しいけれども、どうしようもない断絶がそこにはある。
まあとにかくだ。人間が社会で生きていく以上、ほかの誰かから受け取るものがある。わかりやすく『感情』としよう。幸せや悲しみは伝染する、とはよくいったもので、幸せな気分の時に誰かを悲しませてやろうと考える奴は、そうそういないはずだ。逆に悲しい気分の時は、自分で発散できる奴もいれば、誰かに八つ当たりしてしまったりする奴もいる。今回の物語の中でもあったように、誰かのためにと思って行動したことが、うまく受け取ってもらえないということもある。そういう風に、正なり負なり、伝わっていくものがあって、みんなが流れの中に身を置いている。どこを選ぶかは、ある程度はその人の自由だ。
べつに『だからみんな、他人を大切にしましょう。人は一人で生きているわけではないのですから』という話ではない。そんなことを諭すように言われたら、「しらねーよ、んな当たり前のことを何でえらそーに言われないといけねーんだよ。それで上手く回っていけば世界は平和ですねー」とかいって反発したくなる。だからこれは、そういうお話ではなく。
『将棋盤を前にしたら棋士はみな一人』
物語当初から八一が口にしていた事実。そこに、『けれども』をつける。ほかの誰でもない、史上最年少のタイトルホルダー、最強の竜王が。
これは、そういう話。
余談。
表紙やら内容やら、ほんとに最終巻かと思った。ラノベで例えるならブギーポップの歪曲王の巻みたいな。変わるもの、変わらないものがあって、物語としてすげー綺麗にまとまっている。この作者とか、あと杉井光さんなんかはドラマチックな物語を書かせたら頭一つ抜けてる印象がある。あとがきを読んだらわかるとおり、この物語はまだ続いていくみたいで、次はどう展開させていくのか楽しみだなー。杉井さんもキリカの7巻書いてくれねーかな。
ひだまりスケッチ9巻の話とか。
ひだまりスケッチ9巻を読み終わりました。昔はよく、4コマ漫画を何度も繰り返し読んでいたのですが、最近は一度読んだらケースに入れて、そのまま置きっぱなし、ということがほとんどになりました。ひだまりも、6巻くらいまでは比較的読んでたのが、それ以降はあまり記憶がない・・・・・・茉里ちゃん? ・・・・・・『結い橋』に出てきたエセ関西弁ヒロインですか?
そういうことなので、俺が語ることといったら、やっぱりゆのっちのことになってしまいます。
ゆのっちって、普通の女の子じゃないですか。いや、いきなり何を言い出すのかと思うかもしれませんが・・・・・・。底抜けに元気な子でもなく、かといって引っ込み思案で人づき合いが苦になる、というタイプでもない。いつもボケてるわけでもなければ、ひたすらつっこみに命をかけてるわけでもない。なんだろう、こう・・・・・・不安なことや、嫌なことがあると、ついついそのことばっかり頭の中でぐるぐる考えて、一人で抱え込んでしまうような。そしてそれが顔に出てしまうもんだから、周りの友達にも「ゆのっち、元気ないみたいだけど大丈夫?」と心配をしてもらって。本人としてはそんな自分が情けなくて、“私、いつもこんな事で悩んでばっかりで周りに迷惑かけて・・・・・・”とさらに沈んでしまったりもして、けれど宮ちゃん達に話を聞いてもらうだけでも心が少し軽くなる自分もいる、という。男から見たら『ちょっと面倒くさい』と感じる部分もあるような、普通の女の子なんですよ。
そんなゆのっちなんですが、9巻を読んでいてつくづく思ったのは、周りに恵まれているなぁ、と。一番近くにいる──日々の生活の中でもっとも顔を合わせている時間の多いことを指すとして──宮子。毎回、ゆのの相談事を面倒がらずに聞き、時にはおもしろおかしくボケたりして。そういう、“いつも話を聞いてくれる人”が身近にいるということは、ゆのにとって何より幸福なことだったのではないかと。他の人達についても同様で、ゆのが悩み、答えを出す過程を妨げる人物がいない。むしろそっと背中をおしてあげることが出来るような人ばかり。
まあ、周りに恵まれているのは、ゆのっちの人柄による部分も大きいのかもしれませんね。不安なこと、悩むことはたくさんあるかもしれないけれど、最後はきっと陽の当たる方──ひだまりへ進んでいくことができる。そういう歩き方のできる女の子だから、周りも安心して相談に乗ることができるのだと。なんというか・・・・・・ああ、あれだ。ゆのの笑顔に、やられてしまってるんでしょう。やばいですもんね、30ページ左2コマとか。あんな顔見たら、ずっと笑顔でいてほしいって思ってしまいますよね。
そういう環境が続いてきたからこそ、ゆのが曲がることなく育ってきたんだよなぁ、とかしみじみと思ってました。いや父親かよ、と自分でも思いますが・・・・・・ゆのっちは可愛い。すごい可愛い。読んでいて床を転げたくなるくらいに可愛い。でも、だからといってつき合いたいとかそういうものでもない。そもそもゆのっちは恋愛とかまだよく分からないし、彼氏がフォローするべきところはすべて、宮ちゃんが完璧にこなしているし。修学旅行も友達と一緒に回って、とても楽しそうに観光してたし。周りの人達にもめぐまれていて、立ち止まることはあっても、きっと前へ進んでいけるだろうし。
なら、いいじゃないですか、それで。
かつての俺は、彼女達の日常の輝きに救いをもとめていました。ゆのっちの幸せや喜びがあるならば、自分の日常にそれがなくても別に構わないという・・・・・・よくわからない方法論を持っていました。不健全ではあったかもしれませんが、間違っている、というつもりはありません。きっと、それでしか得られない何かは、あったのでしょう。受けとりかたが、ひとつであるはずがない。
けれど今はもう、そういう方法で受けとってはいない。受けとることが出来なくなった、と言ってしまってもいい。それは少し寂しいけれど、きっと、良かったと言われるべきことなのでしょう。
だから今は、ゆの達が卒業するその時まで最後の一年間を、見守るような心持ちで読んでいます。