はじめのはじめ

二次元傾倒な日々。

星メモ日記。小河坂千波について。

 千波シナリオ読了。俺はもうだめです……読み終わってしばらく放心状態でした。他の個別シナリオに比べて頭一つか二つくらい飛び出てる。完敗です……。洋ではないですが、「千波最高ー! サイッコー!」と叫びだしたい気分。霧散して雲雀ヶ崎の空にとけていきたい……。
 
 “生まれてくる家は選べない”って言葉があるじゃないですか。家族ってやつは選択的ではなくて、生まれた瞬間から持っている最初の関係性。それは、良くも悪くも相当な強度を持ったもので、どういう形にせよ、付き合っていかなくてはいけない存在なわけです。家族に内分される“兄妹”という関係も、同様に兄妹が生まれた瞬間から発生するもので。同じ屋根の下でご飯を食べたり、ゲームしたり、風呂に入ったり、喧嘩したり、そうやって一緒に過ごしてきた存在。兄妹の数だけ、兄妹の形があって、ふとしたやり取りの中に、ふたりが積み上げた時間が垣間見えることがある。
 だから、エロゲの妹シナリオって、多くは兄妹から恋人へっていう関係性の変化に焦点をあてることになるじゃないですか。兄妹という、とても強固だけれど一線を越えることができない関係から、どうやって恋人となるか。そこには恋心の発生があって、葛藤があって、解決がある。
 けれど洋と千波の場合は、そうではなくて。
 千波シナリオって、上述したような関係性の変化ではなく、もっと根底にある部分、つまり“生まれてくる家は選べない”っていうところにメスを入れてるんですよね。しかもそれは“家族に対する否定”ではなくて、“自分の生まれに対する否定”なんです。その葛藤は、物語が始まる前にある程度の進行をみている──いうまでもなく、洋と作ったオルゴールの音色を聴いた時ですね──わけですが、千波の中で消化されたということではない。それは、個別シナリオの冒頭に語られるオルゴールの音色を聴くことで元気を育んでいけるというエピソードや、父親の幽霊かもしれない存在に遭遇したときの台詞からも明らかです。
 
「千波は、いらない子供だったの────?」
 
 父親に、どうしても聞きたかったこと。自分の存在が、家族の負担となっている。家族だから、その関係はとても強固で動かしがたいから、投げ出すこともできない。その果てに、母親はいなくなってしまった。自分がいなかったら、みんなは幸せに過ごしていたんじゃないか。ただ、自分がいないというそれだけのことで。
 そんな言葉を叫びながら部室の扉を開いた千波、その先にいたのは父親ではなく、レンで。けれど、千波の言葉に対する答えを持っていた。
 
「キミにとっては悪夢だったそれも……」
「みんなにとっては、夢だった……」
 
 泣いてしまうくらいに優しい答え。そうして目覚めた千波を、抱きしめることができた詩乃。そう、千波シナリオは関係の変化ではなく、どうしようもないくらい関係の修復の物語だったように思います。千波と両親。小河坂兄妹と詩乃。洋と大河。大河とレン。大河と家族。そしてその中心には、千波がいて。千波の笑顔があって。
 ダメな子ほど可愛いというのも、もちろんあるのですが、ダメダメな人間がそれでも頑張る姿というものは胸にくるものがあると思います。レンもきっと、人間のそういうところが好きなのかもしれません。彼女がいう「ダメ人間」には、からかうニュアンスが多分に含まれているけれど、その瞳にときおり愛しさが垣間見えるのは、俺の気のせいではないでしょう。そしてそれは、千波と洋の間にもあって。千波の頑張りに、笑顔に、どれほど洋が救われていたかは計り知れません。
 
「そのままの千波が好きなんだ」
「おまえが幸せになれるなら、俺も幸せなんだから……」
 
 兄も、母と同じように、犠牲になってしまうのではないか。そんな恐れから、自分が変わろうとしていた千波。そんな千波を、洋が受けとめるわけです。そして、この「好き」っていう肯定は、実は二回目なんですよね。一回目は、一緒にペーパーオルゴールを作っていた時。千波に「大嫌い」といわれた洋は、けれど「好きだ」と答えた。自分のことをいらない存在と思っていた千波にとって、この言葉は、強く心に突き刺さったに違いありません。
 そう考えると、千波シナリオとこさめシナリオには類似点があります。“自分という存在の受容”ですね。タイトル画面──明日歩、衣鈴、こももの段階では昼の雲雀ヶ崎の風景だったそれが、千波とこさめシナリオになると夕方に変わる──の演出には、黄昏時にたたずむ彼女たちの手をしっかり掴むというシナリオの趣旨がこめられているのかな、と思ってみたり。
 
 ……少し話が逸れました。
 洋に負担をかけないようにと、変わろうとしていた千波。折れてしまいそうになりながらも、毎晩オルゴールの音色を聴いて明日も頑張ろうと元気を出していた千波。けれど洋に朝ごはんを作られてしまい、怒りながらも食卓につき美味しいご飯を食べていたダメ可愛い千波。そんなそのままの千波を洋が受けとめて、ふたりは恋人同士になるわけですが、その関係がまた独特で。
 
 兄妹よりもずっと一緒にいられる関係。
 キスができる関係。
 働かないでお小遣いもらえる関係。
 キャベツ畑で男の子を授かってコウノトリから女の子を授かる関係。
 
「これで全部だよっ、この四つがあれば千波は末永く幸せだからねっ」
 
 洋に、恋人ってどういうものかわかっているのかと聞かれた時、千波はそんな風に答えます。その言葉に嘘の色はないんです。千波にとっての恋人とは、そんなもので。恋人になったからといって、兄妹でなくなるわけではない。洋は千波に対して容赦のないつっこみを続けるし、千波は相変わらずダメ可愛くて、トンデモ料理を作り続ける。ただ、できることが増えた。恋人同士がすることができる。なにより、ずっと一緒にいることができる。そんな洋と千波の関係は、兄妹であり恋人でもある二人のやりとりは、どうしてかとても自然で、連続的に映るんですよね。積み上げてきた二人の時間が、やり取りが、そうさせるのかもしれません。それは、エピローグの部分でも丁寧に描かれています。
 九月の雲雀ヶ崎の朝日を浴びて、通学路を走り出す洋と千波と衣鈴と鈴葉。「急がないと遅刻だよっ」と完全に自分のことを棚に上げた千波が洋の腕に抱きつき、「くっつくな」と洋がぶっきらぼうに照れ、「……仲がよろしいことで」と衣鈴が呆れ、「ふたりはお似合いの兄妹だと思いますっ」と鈴葉が力説する。そんな何気ない、いつも通りの朝のやり取りが、どうしてこんなにも眩しくて泣きそうになるんでしょうか……
 あー、千波シナリオ本当に面白かった……。

星メモ日記。姫榊こさめについて

 というわけで、久しぶりに星メモの続きをプレイしていました。予定通りこさめさんのシナリオを読了した……のですが。
 やばいです、こさめさん、可愛いです……いや、正直にいうと舐めてました。だって俺たちってどこまでいってもちっちゃい女の子が好きなわけじゃないですか。八重歯がみえるような笑顔で「わはー」とかいう女の子に無条件降伏しちゃうじゃないですか。だから、大人びてみえるこさめさんのようなキャラって、好感は持てたとしても可愛いとは思わないだろうなーって高をくくっていたんです。それが、個別シナリオ入って付き合いだしたら……傷つかないように予防線を張って一定の距離をたもっている女の子って、こんなにもめんどくさくて可愛いということを、俺は知っていたはずなんですけど、既知かどうかは関係がないですね。やられました。
 
 ここを読んでくださっている方の大半は、星メモなんて数年前にプレイ済みでしょうから、こさめさんの背景なんて説明する必要はないという前提で書いていきますけれど、こさめさんって“まつろわぬもの”とかいう存在じゃないですか。姫榊こさめという女の子にとって、自分の人生は既に終わってしまっていて、後は事後処理というか……いかにきれいに物語の幕を降ろすかというそれだけのために存在しているという状態。こさめさんは皮肉にも賢い子どもでしたから、いつまでも都合よく雲雀ヶ崎に留まっていることができないだろうと察していたはずです。それは彼女の家庭環境が“まつろわぬもの”をおくり還すという使命を負っていることにも起因していたのでしょう。彼女は、彼女の家庭にとって、在ることを許されてはいない存在。そんなこさめさんにとって、こももからの全肯定は、いかほどの救いだったか。星天宮という境遇にありながら、まつろわぬものとなった自分の存在を認めてくれる。その受容は、その肯定の価値は……はかり知ることはできなかったでしょう。そして同時に、どれほどこももや、家族の立場を危うくさせているだろうかも、よくわかってしまっていた。上で事後処理と書きましたが、自分が在ることで狂ってしまった状態を元に戻すため、といったほうが、より正確でしょうか。こももの存在は、こさめさんにとって救いであると同時に、到達すべきゴール地点でもあったわけです。
 
「だって、わたしには、恋をする資格がありませんから」
 それは絶対にこさめさんの口から出てくると思っていた言葉。こさめさんにとってのゴール地点はこももなのだから、それ以上に、しがらみを作ってしまうわけにはいかない。それは彼女の考える、奇麗な去り方ではないのだから。こういう予防線張ってくる女の子やばいですよね。そのくせ洋に冗談で付き合ってとか言われた時に照れ隠しにチョップとかしちゃうわけですよ。ぜんぜん上手くごまかすことが出来てない。こんなの、後で絶対崩れるに決まってるじゃないですか……。
 恋に憧れていると同時に、極度に恐れているということ。物語終盤に彼女の口から出た“ウサギは寂しいと死ぬんじゃない。抱きしめられると死んでしまう”という趣旨の言葉は、まさにそれを明示しています。どれだけ自分の存在を肯定してくれる人がいたとしても、ほかならぬ自分自身が、自分の存在に肯定的でない限り、ここにいていいのかわからない。いつ消えてしまうかもわからない恐怖という名の見えない鎖によって、常に締め上げられているこさめさんにとって、完全な状態である満月を忌み嫌っているこさめさんにとって、満ちたりてしまうことへの明確な恐れが、そこにあるんです。満ちたりてしまったら、後は欠けていき、最後には消えてしまうのだから。
 こういう、こさめさんの恋に対する二面性が、天秤の両端でゆらゆらと揺れながらつりあってしまっている状態がこのシナリオの妙であって、一言にすると“こさめさん信用できない”というところに集約されるんでしょう。
 個別シナリオ中盤にある“一日限定の恋人ごっこ”なんて、まさに期待と恐怖がごちゃまぜになった感情に起因しているものですよね。
 
「わたし、小河坂さんの彼女に、なっていますか……?」
「誰かが見たら、どう思うでしょうか……」
 
「他人の目なんか関係ない。俺がこさめさんを好きで、こさめさんが俺を好きなら、恋人だろ」
「俺たち、だからデートするんだろ?」
 
「わたしでも、恋人ごっこくらいなら可能なんですね……」
 
 ここの会話とかもう、完全に読者殺しにきてます。全然ふたりが言葉に乗せた気持ちが噛み合っていない。洋はこさめに《恋人をつくる資格はある》ということを知ってもらいたい、こさめと一緒にいる自分はこんなにも幸せだ、ということを伝えたいのだけれど……こさめさんにとっては、恋人“ごっこ”以上のことは、そもそも望んでいないのだという。そもそも“一日限定の恋人ごっこ”というもの自体がパワーワードすぎて、多分特定の人間に鋭い刃のごとく突き刺さるものでしょう……。
 
 このシナリオで協調されているのは、やっぱり上述したような天秤の揺れであって。そして、これは絶対に意図的にそうしたんだと思いますが、こさめさんはそれに耐えることができるほどの強さを持っていないというところ。こももシナリオでこももの強さが描かれたように、こさめシナリオではこさめの弱さが描かれている。そしてその弱さは、克服されるとかそういう類のものではなくて。弱いままでどうやって生きていくか。その解答を得るというラストになっているのが、また俺の好物なんですよ……。
 物語終盤、自分が満たされてしまったと感じたこさめさんは、ひとり、舞台の幕を降ろそうとします。幕引きのシーンは、奇しくも全ての始まりである展望台。幽霊との恋物語は、悲恋という名のハッピーエンドでなければならない。ならば、今この場面で消えるのが一番幸せなんだろう。《これ以上、この恋物語を続けることで傷つきたくない》というこさめさんの弱さからくる幕引きは……けれど、洋の行動によって止められます。
 誰だって、大切な人を失った世界に取り残されるのは、身が引き裂かれるように痛いことで。そんな当たり前を、共有する。その痛みを、共有する。それは一種の共依存といってもいいのかもしれません。自分が存在している価値を、相手に求めるそのやり方は、誤解を恐れず言うならば、異常ととられてしまう方法で。少なくとも、物語ラストで洋がとった行動──自分の手首を切るというそれ──は常軌を逸していて。けれど、だからこそこさめの天秤を壊してしまうくらいの力を持っていた。このふたりが歩いていくには、それくらいの異常がちょうどよくて。なぜなら、こさめが語るように「ふたりじゃないと抱えきれないくらい、この恋はとっても重くて、大きい」のだから。
 
 
 余談。
 ポエム的な締めくくりをぶっ壊す形になりますが、まーた“はじめてのせっくす”が野外だったよ! もう、なんなの……。こもも以外みんな、はじめては野外の会の会員じゃないですか……。いやまあ、こさめさんの場合は、野外であることに理由付けはされていたけどさ!

にっき

今週末は友人の結婚式のため東京へ行くことに。なので、星メモ日記はおやすみです。次は多分こさめさんシナリオに進む予定。こさめさん絶対めんどくさい人ですよね? こんな不確かな存在である自分は、幸せになっちゃいけない……みたいな。それは裏返せば、いつか消えてしまう存在ゆえ、失う事や失わせる事に怯えているということで。楽しみじゃい!

ところで、移動中の電車で読むために、kindleにどんなラノベを入れていこうかと見繕っていたところ、円環少女の13巻セットがあったので購入。面白いラノベってことで、いつだったか名前を聞いたことがあった。……しっかし、冷静になって考えてみると、往復の電車で13巻も読めるわけがない! いや、冷静にならなくてもわかってた。いいかげん読みたいと思った本をポチポチ購入する癖を直さねば。

星メモ日記。姫榊こももについて

 こももシナリオ読了。
 
 姫榊こももは、妹のこさめが見ていてくれるならどこまででも強く在ろうとすることができる、そんな女の子だったのだろうと思う。ものすごく簡単な言葉で置き換えてしまえるなら、「お姉ちゃん基質」の究極系、みたいな。こさめが誇れるような姉でありたい、という願望が行動の原理になっている。けれど対するこさめは、こももが上述したような強さではなく、“自分がいなくなったとしても前に進んでいける”、そんな強さを持ってくれることを切望している。……今語ったような、この物語の歪な基底状態は、こももシナリオ終盤でようやく明らかになる。
 
 こももにとっての特別な存在は、これまでずっとこさめだけだった。それが揺るぎ始めたのは、言うまでもなく「お姫様だっこ」のシーンからだろう。それまでのこももにとって、洋という男の子はただの友人だったはずだ。
 
「小河坂くんって律儀よね」
「姫榊の生真面目さには負ける」
 
 こももが洋を意識し始めるまでは、お互いに信頼し合っている友人関係で。上で抜粋した会話に代表されるこももと洋のやりとり、距離感はとても心地よく映る。けれどこの段階では、洋はまだ線の外側に立っていて。こももが生真面目に頑張っているのは、結局のところこさめが見てくれているからなのだ。
 こももシナリオの序盤を読んでいた時、どうしてこの子は他人に頼ることをしないんだろう、その性格はどこからきているんだろう、などということをずっと考えていた。けれど、自分の半身と言っても過言ではない妹が見ている前で情けない姿なんか見せられない、そういう精神からきているのだとしたら納得はできる。突き抜けすぎでないかとは思うけれど、洋曰く“生真面目”ということなんだろう。
 そんな風に他人に弱みを見せていなかったこももだけれど、不意打ちみたいな形で洋に助けられてしまうわけで。しかもお姫様だっこなんて、自分が女の子であることを嫌でも意識してしまうような状況。この場面から、こももの心境に変化が生まれているのは明白だろう。その表出は、お弁当のシーンなどで描写されている。こももが、弱い自分を見せてもいいと思える。唯一、洋だけがそういう存在となっていく。
 
 “弱い自分でも受けとめてくれるこの人がそばにいてくれるなら、自分はいくらでも強く在ろうとすることができる”
 こももと洋の関係性って、物語上では「支え合って」なんて言葉が使われているけれど、どうにも適切な表現じゃないように感じる。共に歩いているんだけれど、隣同士というわけではなくて、こももが先行していてその後に洋が続いている、というイメージ。洋が後ろから見守ってくれているから、こももは自信を持って歩くことができる、みたいな。だから表面上では、こももはすごく強い女の子に見えるわけで。
 
「逃げるわけには、いかないのよ……」
「待たせるわけにも、いかないのよ……」
 
 物語終盤でのこももの独白。前者はこさめに対して、後者は洋に対しての言葉だろう。たとえ泣きじゃくって一度は立ち止まってしまったとしても、こさめと洋が信じてくれているなら、進まなくちゃいけない。ここでも、こももの強さが際立っている。
 
 結局のところ、こももシナリオは終始、こももの強さが描かれているわけだけれど、まるで仕組まれたかのように、あのエピローグへ収束していく。こももがいて、こさめがいて、洋がいるならばあの結末は約束されていた、とでも言えばいいだろうか。でもなんだろう……何か見落としがあるみたいに、違和感が残っている。何か思いついたら、また加筆しよう。
 それにしても、こもも、強すぎるよなぁ。眩しいくらいに格好いい。
 
 
 ところでこももシナリオを読んでいてふと、AIR美凪シナリオを思い出した。構造的にそこまで似てるってわけでは無いと思うが、「現実と向き合っていくまでの心地よい夢」みたいな雰囲気が記憶の扉を叩いたのかもしれない。美凪と言えば、某氏が書いたAIR感想があって。これまでネット上で様々なエロゲの感想を読んできたけれど、中でもやっぱり突出していたと思う。憧れて、少しでも近づきたいと思って、けれど俺の文章ではまだまだ足下にも及んでいない。……いつかあんな文章が書きたい。

星メモ衣鈴シナリオについて。

 衣鈴シナリオ読了。
 一言でいうと、納得いかない! このシナリオは衣鈴のためにあるべきなんじゃないの? 後半の流れ、あれって完全に千波シナリオへの布石だよね。レンという存在と、千波の行動原理。そのために、徐々に薄れていくはずだった──本来は刈る必要のなかった──衣鈴の想い出をメアに刈らせたんだとしか思えなかった。
 明日歩シナリオはメアが想い出を刈ることに意味があったし、またそうするしかない状態だった。けれど、衣鈴は違うだろう。洋は本当に多くの人の助けを借りて、衣鈴の手をつかむことができた。衣鈴はようやく自分の居場所を見つけて、後はふたりで過ごしていくうちに想い出は風化していくはずだった。今すぐには無理でも、いつかは洋に望遠鏡を修理してもらっただろうし、天クルにも徐々に馴染んでいっただろう。その緩やかな解毒を、あの一瞬で台無しにしたとしか思えない。そしてそれは、少なくとも衣鈴のためではなかったと思う。俺にはそれがどうしても納得いかない。
 子供として描写されてきた衣鈴が、自分から前に進む。そういうシナリオだったら、まだ納得できた。実際俺は、共通ルートあたりで「ここまで子供として描写されている衣鈴の個別シナリオでは、オーソドックスに衣鈴の成長が描かれるのかな」とか思ってた。けれどそれは無かった。頑張ったのは結局千波だった。一歩踏み出した状態から拒絶されて、それでもさらにもう一歩を踏み出したのは、千波だった。これ衣鈴シナリオだよね?
 あるいは、上で「ゆるやかな解毒」という言葉を使ったけれど、必ずそうならないと納得できないというわけでもない。衣鈴が子供のまま「洋先輩だけいれば他の誰もいらない、この世界に認めてもらえなくてもいい」とか言って、ふたりでマヨイガに行ったとしても俺はそれでいいんだ。だってそれは洋と衣鈴の問題だから。ふたりが幸せになる方法がそれしかないんだったら、上等じゃねーか世界がどうした、鈴葉や千波がどうした。……まあ、この二人の場合は、そういう選択をしないことは明白なのだけれど。告白シーン、プラネタリウムで叫んだ衣鈴の言葉は、彼女がずっと抱え続けて、けれど今まで誰にも打ち明けることのできなかった想いなんだろうから。そのくらい、友達も、家族も、大切にしていたということなんだろうから。
 
 あー、文句ばっかり言ってもだめだ。実際、個別シナリオ中盤までは本当に楽しかった。
 
「私……変です……」
「変になりました……」
「先輩の……せいですから……」
「先輩が……悪いんですから……」
 俺は、蒼さんの手を取った。
 大きな震えが伝わった。
「じゃあ、一緒に行こう」
 蒼さんはうつむいたまま、さらにこくっとうなずいた。
 
 ここの衣鈴とか脳がしびれるくらい可愛いし、その後の初せっくすのシーンなんかも「君はあれかい? 初めてのせっくすは野外でしなければならないっていう家訓でもあるのかい?」とか言って爆笑しながら読み始めて、けれどそういう行為に入った時の、健気な衣鈴の姿に思わず目頭が熱くなるし。久しぶりだった、えっちシーンで泣きそうになったの。
 個人的に衣鈴シナリオに期待していた、これまで距離をとっていた洋に対して、180度方向転換してべったり依存する衣鈴、という姿が見れたので、その点は良かった。もっとボリュームがあればなお良かった。
 うん、メアが衣鈴の想い出を刈り取るまでは本当に好みの展開だった。夜の学校に天体観測しに行くシーン。千波と鈴葉が仲良く手をつないで歩いている。その姿を後ろから見つめながら洋と衣鈴が寄り添って歩く。今まで衣鈴が誰にも渡さずに抱えていた望遠鏡は、荷物持ちの洋が抱えている。ここの絵、イベントCGにはなっていないけど、間違いなく衣鈴シナリオの最高に美しいシーンだと思う。だからこそ、続くシーンに納得できなかったのかもしれない。
 ……どうにも冷静じゃない。まあ、気を取り直して、次はこももシナリオへ進んで行こう。

星メモ日記10。衣鈴シナリオその1。

 仕事の部署がこの4月から異動になった関係で最近まったくプレイできていなかった星メモだけど、少しは時間の余裕ができたのでやっていこう。前回明日歩シナリオが終わったので、次は衣鈴シナリオへ。軽く調べてみたら千波とこさめは最初はロックがかかっているみたい。
 既読スキップを使ったら個別まで一直線だった。ちょっと忘れているところもあるので、プレイしながら衣鈴ってどんな女の子だったかを思い出していく。
 
 二学期開始。
 以前は朝制服に着替える時に脱いだパジャマをベッドに脱ぎ捨てたままにしていたという衣鈴。このライターの人は、こういう生々しい描写をタイミングよく入れるということが本当に上手いと思う。この一文だけで、蒼衣鈴という女の子をよく表現している。他人にはしっかりしているように見せてはいるけど、見えていないところでは結構ずぼらで子供っぽい。朝ごはんを食べ、登校の準備をする時間を削って少しでも長く寝ていたいという、そんな齢相応の女の子。確か以前の日記でも、子供っぽいとかそんなことを書いたと思うけど、そのあたりを再確認できた。
 「この国は窮屈」とひとり呟き、今の状況を変える何かを期待するように、タロットカードで占いをする。良い結果が出るまで繰り返されるそれは、衣鈴にとって現状と向き合う──今の日常に意味を求めず流されるように過ごすことを「向き合う」と言ってしまってもいいかはわからないが──ために必要な手順なんだろう。タロットの結果は良いものだったから。だからこの日常を越えた先で、また想い出の星空の下に行くことができる。傷つかないための予防線を張る儀式。
 
「私に構わないでください」
 あーこういう女の子ずるいだろ……。そんなこと言っているくせに、やっているのは“見えない星空を見るために望遠鏡を覗く”という行為で。ただ、それでも彼女が悪く映らないのは、自分から“構ってほしい”雰囲気を出しているわけではないから。このシナリオは、距離をとっている衣鈴に対して、洋がどうやって近づいていくかという流れになるはずで。その距離はきっと徐々に近づいているだろうが、ある程度進んでしまうと本質的な断絶がある。それは当然、南天の星空の想い出に関係している。だから彼女はいまだに、学校の屋上で独り望遠鏡を覗いているんだろう。その周りに洋たちがいるけれど、彼女はまだ独りぼっちの迷子なんだ。
 洋は衣鈴のことを「想い出の星空が好きだから」天体観測をしていると思っているみたいだけど、そうじゃないことは本人から聞いてなかったかな? あれは共通じゃなくて明日歩シナリオだったか? 彼女が望遠鏡を覗く行為は、天体観測をしているというよりはむしろ、タロットカードで占いをすることと近いはず。期待を込めた儀式の、その手順のひとつ。
 
 ブラと初潮の話を紳士の目で見ています。俺には興味がありません。はい。衣鈴に「死んだらいいと思います」って言われたい……。
 
 あれ、この望遠鏡ってそういうことなのか? 実は見えていないとか、鏡筒に何か入っているとかいう伏線だったりする?
 屋上でのタロット占いで衣鈴が「星」の正位置を引くシーン。何気なく描写されてるけど、泣きそうになった。天クルが部活である以上──いや、すべての関係性に言えるが──いつかは別れがあることを不意に気づいてしまって、寂しさをごまかすように帰ってしまった衣鈴。けれど、そんな未来にも、星々は輝いているはずで。その一つに、天クルの部長として慣れない勧誘を頑張っている衣鈴の姿があったりして。
 
「もしかしたら、雲雀ヶ崎で見えるような、こんな南天の星空で満足しているのかもしれません」
 主役ではなく、脇役の星空で。この台詞の意図は、正直よくわからなかった。衣鈴はどういう気持ちでこの言葉を口に出したんだろう。少し読み進めた先で、衣鈴がオーストラリアから日本へ引っ越してきた理由は、体の弱い鈴葉にとって住みやすい環境の街へ移るためだったと明かされる。そういうことなら、衣鈴は家の中でも「オーストラリアへ帰りたい」なんて言えるわけがないし、この引っ越しも仕方ないと思わざるを得ないはずだ。当たり前の空間を作ってしまうと、それを失った時の悲しみは計り知れない。けれど、鈴葉にそれを知られて悲しい顔をさせるわけにはいかないし、そんなことは望んでもいない。だから、自分は地平線の彼方にわずかに見える南天の星々が見れたら満足なんだ。……上の台詞の意味は、そういうところなんだろうか。
 科学館にて。
 様々な人たちに協力してもらい、洋は衣鈴の手をとることができた。この類の女の子の場合って、一度近づいたら依存するくらいべったりになったりすることも多いと思うけど、この先そういう展開になったりするのかな! 楽しみにしてもいいのかな!
 科学館の館長が洋の父親だという、ものすごい事実ぶちこまれたけど、とりあえず今日はここまで!

星メモ感想。南星明日歩について。

 明日歩シナリオ読了。いやー、面白い!
 共通部分では元気のいい、ワンコのようなヒロインとして描かれている彼女だけれど、個別シナリオでは一転して、様々な不安を抱えているところや実は泣き虫なところが明かされていく。
 明日歩のことを語る上で重要になってくるのが、洋と同じく、いやそれ以上に昔の大切な想い出を抱えているということだろう。子供のころの、洋に対する初恋の想い出。ヒバリ校で再開したことにより、明日歩はその想い出をより大事に抱え込み、洋への想いを募らせていくことになる。
 けれど、それと同時に明日歩の中で、ある負い目も大きくなっていく。自分は、洋の想い出の大切な要素である展望台の彼女の名前──”夢”という、また何とも象徴的な名前らしい──を知っている。けれど、それを渡してしまうと、洋はきっと展望台の彼女を追いかけていってしまう。自分にとっての初恋の相手が洋であるように、彼にとっての初恋の相手は夢なのだから。自分の初恋は、成就しなくなってしまう。
 洋と過ごす学園生活は、明日歩にとって何にも代えがたい幸せな時間であるとともに、そうであるが故に負い目を重くさせるものだったはずだ。日に日に高まっていく恋愛感情と負い目。それが臨界点を超えた結果が、合宿での告白だった。あのシーン、明日歩は洋に振ってもらうために、自分の初恋を終わらせるために告白している。つまりそれは、恋愛感情が溢れた結果という告白の本来の意図以外に、自分の負い目を清算してしまいたいという側面もあったということだ。むしろ、その側面こそが彼女にとっての表面だった。だから明日歩の告白は、あんなに痛ましく映る。
「洋ちゃんは、あたしをフらなきゃいけないんだよ……」
 自分の想いを受け止めてもらえたのに、明日歩の口から出てくるのはそんな言葉で。そう、そんな明日歩の思惑とは異なり、告白は「成功」してしまったのだ。
 きっと、南星明日歩という女の子は、自分の想い出の強度と洋の想い出のそれを同一化してしまっている。自分がこんなに洋の事を想っているのだから、洋もきっと夢の事を想っているに違いない。そんな風に。
「想い出は、想い出だよ」
「洋ちゃんだって、そうなんだよね……」
 けれど──、と続くだろうその言葉は、物語中盤での明日歩の言葉。自分たちは、お互い忘れられない大切な想い出を抱えているのだと。思えば、明日歩が洋に対して仲間意識──互いの家が母子家庭、父子家庭だというもの──を感じたという幼少期から、それは始まっていたのかもしれない。そして、決定的な要因となったのは、言わずもがな引き出しにしまい込んだ洋の短冊だ。
 話をもどして。明日歩の初恋は成就した。それは洋の初恋──便宜上そう書いたけど、あくまで明日歩が思い込んだもの──の終焉を意味する。この問題は、初恋の成就という衝撃と、その後のカップル生活のおかげで水面下に隠れてしまったが、決して解決したわけではなかった。また、本来解決のしようがない問題だった。上述したように、片方を立てれば片方は立たない。仲間意識をもった彼女らが抱えた想い出は、そういう性質のものだったから。
 展望台で、洋が明日歩の難聴を指摘した時。最初おれは、明日歩の反応の理由がよくわからなかった。けれどこうして考えてみると、あれは水面下に隠れていた負い目が顔を出しただけだったのだろう。洋に対して隠し事をしていたということと、展望台という夢に関わるロケーション。この幸せなカップル生活は、自分が洋の大切な想い出を鍵をかけてしまい込んでしまっているから。それは想い出を大切にしてきた明日歩にとって、許されないことだった。
 
 この物語の妙は、明日歩と洋が結ばれるためには、明日歩が初恋を終わらせる必要があった、という点だろう。そして、その初恋の相手が洋だという矛盾。洋と明日歩は、本来どうしようもなかったのだ。メアという、悪夢を刈り取る自称死神がいなければ。
 あの屋上でメアが刈り取った悪夢は、まぎれもなく明日歩の初恋だったはずだ。洋の名前を忘れないようにと、大事に大事にしまいこんだ短冊。けれどそこからは、洋が夢に向けた感情も痛いほど伝わってきてしまう。そんな短冊が霧散したのは、明日歩が抱え込んでいた──または縛られていた──初恋の想い出が刈り取られたということ。
 だからこれは、昔の初恋を叶えた物語ではなくて。初恋を終わらせて、新しい恋を叶えた物語なのだろう。ただ、恋した相手が同じだったというだけで。周りにとっては無意味に見えて、実際無意味で……けれど二人にとってその過程は大きな意味を持っている。それがもう、たまらなく好きだ。