はじめのはじめ

二次元傾倒な日々。

サマポケ感想。灯台の少女。

 紬ルート読了。……ずるい。ほんとずるい。結局さ、『最後は、どうか、幸せな記憶を』に帰結する物語をやられたらこっちはどうしようもないわけですよ。抗えるわけがない。
 そんなわけで、よくわからんくらいぐちゃぐちゃに泣いてたわけですが、じゃあ紬ルートが物語的に上手かったかと言われると、うーん……微妙です。このルートって、紬といかに最後まで楽しく過ごすかを描いてるわけで、それは成功してると思うんです。つまり、物語上の主目的は達成できている。現に俺はずびずびに泣いてるわけですし。けれど、それ以外の部分が弱いというか。もっとも大きいところで、静久の存在意義の掘り下げですね。紬と羽依里と静久。三人一緒で過ごす夏休みで、そこにこだわりがあったわけじゃないですか。静久にとって紬は、「残りの夏休み全部をあげる」ことになんの躊躇もしないような存在で、それは、羽依里にとっての紬と比べてもなんら遜色はないんですよ。だからどうしても、そこに理由を求めてしまう。
 あと作中で、「夏休みって、全く話したこともなかった奴と遊ぶようになって、めちゃくちゃ仲良くなって、時間が無限に感じられて……でもそんなことはなくて、終わりを嘆いて」みたいなことを羽依里が言ってたと思うんですが、静久も最後に「わたしにとって、紬は夏休みそのものだった」とか言うんですよ。その言葉に、もやもやしたものを感じてしまうのです。

 この夏休みは、三人で過ごした奇跡みたいに美しかった季節は、紬が百年近くの間、ツムギの代わりを勤めていたことに対するギフトに他ならないわけで。梅雨の終わりに加藤のばーちゃんが亡くなって、ツムギを知る人間が誰もいなくなって、本来、紬の役目──いなくなったツムギのことを皆が忘れないように──はそこで終わるはずでした。それでも紬がまだ残っていたのは、長雨の季節が終わり初夏の香りが感じられた空の下を歩き出したのは、「お前がやりたいことを、やりなさい」という言葉をくれた人がいたからです。それはまぎれもない、紬が手に入れた最初で最後の夏休みだったわけです。それをさ、紬は夏休みそのものみたいな言葉で飾ってしてしまうのは、どこか違うなぁと思う。

 確かに紬は、たくさんの思い出を抱えて、夏の終わりと共にに還っていきました。そして、結果的には、来年の夏にまた、灯台のドアからやってくることになりました。けれどそれは、紬のこれまでの頑張りと、何人もの優しさと、いくつかの偶然の末にたどり着いた結末です。羽依里と紬と静久は、この眩しかった季節を三人一緒に駆け抜けた、友人だったわけじゃないですか。残される者、還っていく者という違いはあれど、それは対等の関係に違いない。だから、残された者がこの夏の思い出を胸に、涙を流し嘆くのも、それでも前へ踏み出すのも、来年の夏に紬にまた逢えるかもと淡い期待を抱くのも別にいいんです。思い出との向き合いかたは、人それぞれだから。けれど……紬を象徴化してしまうようなやり方は、共に駆け抜けた友人を同列から外して、どこか神聖視してしまっている気がする。だから、「紬は夏休みそのもの」という言葉には、もやっとしたものを感じたのだと思いました。
 あー……完全にいちゃもんばかり書いてしまいましたが、ぐちゃぐちゃに泣いたことは事実です。よかったっす。

サマポケはじめました。

 昨日の夜、amazonで注文していたsummer pocketsが届きました。急いでインストールして、夜通し、とはいかないまでも今日一日まるっとプレイして、鴎ルートを読了、現在は紬ルートに入ってしばらく、という状況です。keyのゲームをプレイすることは、多分リトルバスターズ以来ですので、10年くらい前、ということになるのでしょうか。そこからさらにclannadairkanonとさかのぼっていくと、20年──まあプレイしたのは十数年前ですが──ではきかなくなり……もう驚くくらい遠い過去ですね。それほどまでの長期間、一線で活動しているkeyというブランドには畏敬の念すら抱きます。
 なぜ発売からしばらく経った今、サマポケをプレイしようと思ったかというと、単純にyoutubeのエロゲソングメドレーを流していたらopテーマが流れてきて、無性にプレイ欲が掻き立てられたからです。……あいかわらず曲から入る奴だな。それ一番信用しちゃいかん要素だろ。シナリオとかキャラとかまったく関係ないし。まあ、このブランドに関しては、面白さ、という意味では不安は全くないという安心感があるので大丈夫ですが。と、そういう予想を裏切らず、夢中で今まで読み進めていました。それで、プレイ直後の感想について、文章に残しておきたいと思い、キーボードを叩いています。勢いで書いているだけなので、すごく読みづらくなる予感しかしません。それでも、まあいいか。そういうのを残しておきたいと思ったから、そうしている。
 そういうわけで、summer pockets。ある島で過ごす夏休みのお話。なんでしょうね、こういうテーマで作品を創ろうとして、それが作中で一貫していて、やっぱり物語的にめちゃくちゃ面白い。単純にそれができるということが、keyが今現在でも一線で活動している理由なんだなというのが、第一印象でした。なにせ、物語が夏休みから始まって夏休みで終わるのだから、学校の描写が無い! 当たり前のことなんですけれど、まずそれが新鮮ですよね。まあ普段の俺が学園ラブコメ的なエロゲばかりプレイしているからかもしれませんが。夏休みを利用して鳥白島に住む叔母の家にやってきた羽依里、うみちゃん。初対面だということを差し引いても、彼らの共同生活はどこか歪なもので、それがもうたまりませんね。生活リズムも食生活もバラバラで、だけど同じ屋根の下で寝食を共にして、お互いに思いやりはあるけれど、必要以上に深くは関わらない。やばいですね、この家の描写がほとんど無いのはゲーム上意味を持っていないからなのか、意図的に隠しているのか。後者だったら、爆発させられた時に完全にやられるでしょうね……。ほんと、読んでいてびっくりするくらい文章のリソースにまったく無駄がなく、それでいて不自然さを感じないので、見事という他ありませんでした。
 それで、えーっと、夏休みの話でした。夏休みって、いわば非日常のひとつなわけじゃないですか。普段のルーチンではなく、祭りの日みたいに特別な。けれど祭りの日と違うのは、それがひと月以上続くっていうことで。ある程度のスパンを持った非日常なわけです。子供ならば万人に与えられていると言っていい、けれど大人になったら失ってしまう。何かを為すことができた子もいれば、取り立てて大きな出来事には遭遇しなかった子もいる。多くの友達と過ごした子もいれば、誰とも顔を合わさず一人だった子もいる。そんな思い出も、時の流れとともに忘却の彼方へ吸い込まれていってしまう。……けれど、あの夏に感じた太陽の眩しさは、うだるような暑さは、ふきだす汗は。それだけは誰しもに平等だったはずで。キャッチフレーズの『眩しさだけは、忘れなかった。』っていうのは、そういうことなのかなとか思ったりしました。
 鴎ルートについての雑感とか。
 子供の頃の思い出って、その時はかけがえのないものだと思っていても、年を取って大きくなるにつれて、大なり小なりの規模はあれど、いくつもの思い出の中のひとつになっていくじゃないですか。けれど人によっては、その『いくつもの中のひとつ』が、『たったひとつだけの、かけがえのないひとつ』になってしまうわけで。そうなった時、その思い出は、もはやただの記憶ではなくなっているんですよね。こんな自分でも得ることができた大切な宝物。それを抱えているだけで、生きていけるような、満足して消えていけるような。多くを得た人々は、それを、暗いだとか、後ろ向きだとか言って顔をしかめたりするのだろうけれど。記憶の価値は、他人が決めるべきものでは無くて。……話がそれましたね。鴎の場合のそれは、けれど、未来へ向けた願いに繋がっています。自分がもらった思い出は、皆がくれたものだから、今度は自分が渡す側に立ちたい、と。そうやって前に進んだのが久島鴎という女の子です。その軌跡を知ることが、このルートの大きな意味の一つだと思います。そしてもう一つは、思い出は自分が抱えていくものだけど、願いは誰かに託すこともできるということ。そうやって叶えた願いは、また誰かの思い出になっていく。それは控えめに言って、奇跡みたいな話で。物語みたいな物語で。だからやっぱり、めでたしめでたしで閉じられるべきなんだ。そんなことを思いました。

サボってたにっき。

 初恋サンカイメのOPが脳内から離れない今日この頃。優しい心をぎゅっとね 抱きしめ伝えたいから~。どうでもいいけどこのゲーム、ういんどみるっぽくないですよね? ……まあ俺のういんどみる祝福のカンパネラで止まっているのですが。あれ発売されたの何年前だろうか。アニエス可愛いですよね。
 
 最近は仕事が忙しく、福岡に行ったり八戸に行ったり、また福岡に行ったりと、北へ南へ走り回っておりました。11月が終われば一区切りつくと思うので、それまでは頑張ろう。
 しかし、忙しかったとはいえ休日はきっちりあるわけで。まいてつグランドルートまで読了しました。グランドルート。章としては3つだけの、短く纏められたもの。それは、各ルートの『いいとこどり』をしているだけのものに見えたのですが、そうではない。幼き日の双鉄と家族を8620に乗せ、終着駅まで届けるという儀式が唯一行われたルートなんですよね。もちろんそれは、作中で述べられているとおり、『個人的で、感傷的なわがまま』であって、双鉄が駅の改札で見た家族連れは、彼の家族では無い。けれど。たとえそれが他人の空似であったとしても、改札で切符を切るハチロクに『楽しかった。ありがとう』と言い、終着駅から歩いていく幸せそうな家族がいることが。それこそ彼が列車を走らせたかった意味なのだと。……まあ、このあたりはまた別に纏めて書くことにしましょう。
 
 まいてつを終えて(実は一週間前くらいに読み終えてました)、なんかエロゲの気分じゃないなーと思ってkindleストアを見てたら、今アニメが放映されてるらしい『転生したらスライムだった件』の原作があったので、試しに一巻を購入してしまったのが運の尽き。さっき十一巻を読み終えました。やばい、読むの止まらんのですが! なろう発のラノベってあんまり読んで来なかったのですが、こういうのってひたすら広がっていくのがいいですよね。エロゲで言えば、共通ルートの構成のまま規模がどんどん大きくなっていって、どこまでも行けるような。そんな気分にさせてくれる。いやあ、それにしても十一巻面白かったなぁ。

にっき

<おんがくとか>
 Ducaの15周年ベストが届いたので職場への往復電車の中で繰り返し再生。この中では『観覧車~』と『My First Love』が二強ですかね。Meis Clausonという人の音作りが、俺の琴線にびびっとくるみたい。まあ、俺はアップテンポな曲調でピアノを全面に押し出されたら、美味い美味いと言いながらガツガツ食べるようなバカ舌──いや、この場合はバカ耳──の人間なのですが。それでもこの人、こういう曲以外にも、シンアイ彼女のEDや恋愛ルセットのEDみたいなバラードも作れて、しかもそれがまたいい曲なんですよね……すげえなぁ。
 そんなこんなで、なんか他にいい曲ないかなーとyoutubeでエロゲのOPとか流したりしてました。アストラエアFinaleのOPとか、やっぱり何度聞いても痺れますね。時にアウトロの入り。こんなのゲームやりたくなるに決まってる……今年の冬にでもやるかー。あと、『永遠の魔法使い』とかいう魔女こいにっきのED。聴いた後、反射的にサントラをポチってました。最近ほんと財布のひも緩いなぁ……。いや、普段は一曲のためにサントラを買うなんていうことはほとんどないのですよ。今回は音楽担当が水月・樋口と外れようがない面子なので、いいかなー、と。ゲームの方も気になったのですが、シナリオに新島夕の文字が。サガプラの頃はそうでもなかったのですが、最近はちょっと苦手意識がついてしまっているのです。なんというか、作品にテーマありき感が全面に出ていて、登場人物がそれに付随しているというか。……単純に好みの問題ですが。それでいて、めちゃくちゃに面白いというところがたちが悪い。そういう作品は、総じて読んだときに受けるダメージがでかいんですよね。魔女こいにっきもいずれ読むと思いますが、タイミングを間違えると生活が酷いことになりそう……。

 

<エロゲとか>
 今週は職場の空気が殺伐としており、なんでこんな環境で仕事せにゃならんのだと、精神的に疲れておりました。そんな気分でまいてつを進めるのは嫌だったので、癒されるために何かいいゲームはないかなー、とケースをあさっていたら『ひめごとユニオン』という懐かしいゲームが出てきたのでインストール。小春ちゃんに会いに行っておりました。小春ちゃん可愛いんですよー。とある理由でこれまで異性に触れないように生きてきたという女の子でして、主人公にも最初はつっけんどんな態度をとっているわけです。しかし、主人公にだけは触れても大丈夫なことがわかったり、互いの秘密を共有したりすると、実験とか言って、とたんにぺたぺたくっついてくる。計算高く積極的にアピールしてくるのも、周りの女の子に主人公をとられまいとする対抗心で、しかもその計算高さやむき出しの対抗心は自信の無さを隠すためのものという、そんな感じのジュニア女子……。他のヒロインには全然興味が沸いてこないのですが、共通部分もテンポよく進むので非常に読みやすく、小春ちゃんの頑張りも見れたので、なんとか今週も乗り越えられました。ありがとう小春ちゃん

 

<まいてつ>
 そんなこんなで小春ちゃんに癒されたので、休日はまいてつを進めることができました。日々姫ルート終了まで。日々姫の、家に対する確執とかが書かれるかなーと思っていたけれど、そのカンは外れましたね。日々姫にとってそれは、双鉄に受けとめてもらったこと、稀咲に認めてもらったことで、終わっていたのですね。

稀咲「いいや、日々姫。格好いいのはキミの方さ」

 たった一言。この一言。日々姫ルートで一番……いや唯一、ボロボロと涙をこぼして泣いてしまった回想シーン。双鉄が帝都に出て行ってしまい、自分の味方をしてくれる人が一人もいなくなってしまった日々姫。背を丸め歩いていた彼女は、しかしある時、自分の絵を好きだと言ってくれる人に出会った。
 誰かに認めてもらうこと。ふと、『三月のライオン』の「嵐のように救われることがある」という言葉を思い出した。不意打ちのように、落雷に打たれたように。人は突然に救われることがある。
 誰も知ることのない日々姫の絵を、自分の好きなものを、皆に知ってもらいたいと稀咲が提案した同好会。絵を描いて、発表する。ただそれだけ、たった二人だけの同好会。なんということはない、美術部をやめてしまった日々姫の絵を発表する機会を作るというそれだけの意味に思えた稀咲の提案。けれどそれは、この物語の終盤にきれいにつながっているんですよね。
 発表の場は、市長選挙戦の討論会。そして、描いた絵は日々姫、稀咲共に──御人夜の未来図。

日々姫「描きたい絵、本当は誰にだってあるんです。それを表現しやすい世界を、私はみんなと描きたいです」

 二人だけだった同好会。けれどこれからはみんなで描いていきたい。そう語る日々姫に、笑顔で握手する稀咲。それは二人が出会ったいつかの日と同じで。
 もうね……見事です……ありがとうございました。

日々姫ルート、メモ書き

凪「痛かことから先に忘れよったら、人は簡単に死ぬばい。そぎゃんこつばわからんのは、心構えが悪かとよ」
 凪の言葉は、凪らしくもなく、水平だ。感じさせられた驚きは、すぐさま静かな納得に変わる。
 説明するでもなく“凪”というのは元気溌剌、明朗快活な少女の名前。名は体を表すことが多いこのゲームでは珍しく、一見、名が体の逆となっている少女。そんな凪が発する、まさに凪海のような言葉をして、”凪らしくもなく水平”と表現する。うっとり。
 しかも、そのあと凪はけろりと元に戻り、「授業料たい! オマケするばいっ!」と双鉄に詰め寄るんですよね。こういう、無邪気な少女に救われる、手を引いてもらう、という展開に極端に弱くなったのはいつからだろう。
 
日々姫「理解しました。出来ました。私少しも──有利になんてなってない」
 これは共通シナリオの最後の選択肢……ハチロク、ポーレットとの“誰が双鉄と一緒に行動するか”勝負で、自分を選んでもらえたことに対する“有利”ということなのでしょうね。そして、それでもなお稀咲という強大すぎるライバルがいることに気づき、気合いを入れ直しているという。
 
日々姫「同じことをしているだけです。わたし、兄さんの妹ですから」
 どの道が正解なのかわからない。だからその道が間違いであると決まるまで、今進んでいる道が正しいと信じて懸命に歩く。それは、大好きな兄から教わった方法。
日々姫「理解、してくれてますか? 私の気持ち」
 けれど、日々姫は語ります。自分に歩く方法を教えてくれた兄だけれど、ゴールに辿り着いたその先──終着駅について“それから”の事を、はたして考えているのか、と。ゴールはけっして、終わりではないのだということを。
 
日々姫「でも、私、わからせますから。兄さんに。そわそわって、うずうずって、こういうのかって、絶対」
 ああ──これは、あれだ。日々姫による双鉄攻略ルート。そうか、そういう展開で来るのか。これは面白い、意識的に攻略される双鉄というのは新鮮な感じがする。
 各ルートの方向性はもちろんそうなのだろう。けれど、駅弁のデザインとか、ハチロクの客車の手配先とか、そういう個別の問題についても、それぞれのルートで対応法とか結果を変えているのか。ルート個別の、意味がつながるような理由と結果。当然そうすべきなのだというのはわかるけれど、そこまでするのは手間で、それを惜しんでいないという印象を受ける。
 
日々姫「傷ば深めてしまうのは、ポーレットさん」
 
日々姫「にぃにぃたちに『謝らせてしまった』って……そしたらあん人、自分をもっと責めてしまいよるけんね」
 
日々姫「わかるんよ。私も、ポーレットさんと同じやけん……にぃにぃやハチロクのように、強かことなかけん」
 この言葉は、この思考は。“同じ”と語った日々姫にも、かつて同じことがあったのだろうと確信するに十分すぎるもので。きっとその時に『謝らせてしまった』のは真闇姉で。無力な自分のせいで、大切な人に頭を下げさせてしまう。そのことに、どうしようもなく傷ついてしまったことがあったのでしょう。
 
 市長選挙候補。区切りが良いところまで進めたので、今日はここまで。自分のことを”強かことなかけん”と語った日々姫。それでも──傷は痛く、苦しいけれど、兄と同じ歩幅で歩けるように。時には、手を、引いてあげられるように。決意するその姿は、凛々しく美しかった。

にっき

<かいもの>
 Amazonで色々ポチるの巻。ものべのhappy endとか、PS4版まいてつに付属してるLoseのサントラは昨日届きまして、Ducaの15周年ベストアルバムは発売日がまだなので来週に届くみたい。『観覧車〜あの日と、昨日と今日と明日と〜』の音源は持っていなかったので、すごい楽しみ。本当はLoseさんちの「こころたびーLose PIANO Selectionー」も買いたかったのですが、2万円近くのとんでも価格だったので断念。再販とかしませんかねぇ……。

 

<漫画>
 『政宗くんのリベンジ』を全巻まとめ買い、読み終わりました。というのも、作画担当の人が昔書いてた『こもりクインテット!』って漫画──杉井光が原作担当で、さよならピアノソナタと同じ舞台で描かれるカルテット+ドラムスの物語──が好きでして、この漫画も気になっていたんです。
 幼少期に肥満体型でいじめられていた政宗くん。当時そんな自分をこっぴどく振ったお嬢様に復讐するため、ダイエットしてイケメンになった姿で彼女に近づく! っといった導入からスタート。結構ヘビーな設定だと思いましたが、その後の展開はすごいソフトでしたね。よくあるキャッチーなラブコメに、小さじ一杯くらいのシリアス設定で味付けしました、といった具合。一気読みするくらい面白かったのですが、この手のラブコメはどうしたって、とらドラという化け物と比較される運命にあるんですよね。あれってラブコメの皮を被った何かであって、ラブコメではないんでしょうけど、それでも構造がラブコメじゃないですか……あれ、ラブコメって何だ? そう、ですから、あれと比較されて耐えられる物語って稀有なもので、この漫画はそこまではいかなかった印象でした。

 

<まいてつ>
 故障していたデスクトップPCを新調したので、そちらにもインストール。日々姫ルートに進むために共通部分を進めているのですが、何度読んでも面白い。

ハチロク「未熟であれば、熟成させれば良いだけのこと」
双鉄「!」
ハチロク「双鉄様が、教えてくださったことですよ?」
双鉄「ああ──そうだな。そうだった」
(中略)
双鉄「よし、行くぞハチロク。仕切り直しだ」
ハチロク「はい。お供します、双鉄様」

 こんなやり取りを共通部分で自然に入れることが出来る技術、脱帽します。この会話ひとつで、双鉄とハチロクの関係性が、二人の間に存在する空気が、共に前に進む姿が、十分すぎるほどに伝わってきます。主従という形式をとってはいるけれども、互いを尊重し、支え、歩いていく。この二人の場合、それがまたすごく絵になるんですよね……。ああ、誤解が無いように書いておきますと、俺がハチロクルートを読了していて再度共通部分を読んでいるからこのシーンが映えている、というわけではないのです。初読の時から、いやむしろ初読のときの方が、この感動は大きかったように思うのです。
 双鉄の「仕切り直しだ」の声色がまた素晴らしくて、凛とした中にも、ハチロクへ向けた感謝と笑顔が感じ取れる。好きなシーンのひとつです。

 

 明日は多めに時間がとれそうなので、ようやっと日々姫ルートを進めることにします。右田日々姫という女の子は、子供のころから優秀な姉や兄と共に過ごしてきたので、おそらくかなりのコンプレックスを持っていたはず。それは、『絵』という姉兄にはない武器を持つことや、宝生稀咲の存在で一定の収まりをみせていると思うのですが……。未だに日々姫が他人に評価されることを苦手とするのは、きっと自分に自信がないから。評価されるということは、他人と比較されるということだから。そうしたフックの存在から、はたして日々姫ルートはどういう展開になるのか。ほんとうに楽しみです。

にっき

<書くことについてとか>

 ずいぶんと更新が途絶えておりました。というのも、俺はこうやって文章を書くのが苦手で、「これは文章に残しておかねばっ!」と思った事があったとしても、まず何から書き出せばいいのかとか、言いたいことが上手く書けないとか、そもそもそれは本当に書く必要のあることなのかとか、頭の中でぐるぐる考えて結局何も書かないまま……そういったサイクルによく陥るわけなのです。ですので、”文章化して残しておきたいもの”が、文章化する労力を上回るレベルでない場合、「まあいっかー」で終わってしまうこともよくあったりするわけで。けれど、そうしたときにその”文章化して残しておきたいもの”は、時の流れと共に心の中で確実に変質していってしまう。それは、冷蔵庫に入れた食品が腐る……というよりも、氷が融けて水になるみたいな、水が蒸散して水蒸気になるような、そんなイメージ。それは確かに存在しているのだけれど、手でつかもうとしても指の間からすり抜けていく。仮につかむことが出来たところで、再構築しようとしても全く別物になっている。残滓、みたいな。そしてそれは、きっと悲しいことだと思うのです。

 俺は、人間の感情って、ほとんど全て言語化できると考えているんですよ。盲信かもしれませんが。それは一言かもしれないし、便せんに入れたラブレターかもしれないし、400ページの小説かもしれないけれど、感じた気持ちというものは、正確な形で言語化することができる。技術さえあれば。そう、技術さえあれば、です。だから、同じ感情を伝える場合でも、一言で済む人もいれば、いくつもの言葉を重ねる人もいれば、そもそも上手く伝えることができない人もいたりする。……まあ、いくら気持ちを正しく言葉に込めることができたとしても、受け取る側が正しく理解するとはかぎらないのですが。それはそれとして。

 というわけで、“すごい書き残したいこと”に遭遇したときに上手く言語化できない、なんてことになったら嫌なので時々は日記──何日かの記録をまとめて書くことが果たして“日記”と呼べるのだろうか──でも書いて、慣れておこうかな、と思ったしだいであります。

 

<引っ越しについて>

 俺は三重に住んでまして、三重って結構上下に長いんですよ。その中くらいから、上の方まで引っ越しました。名古屋が近くなって、それなりに便利になりましたね。ちょっと気が向いたら大須まで行けるってのは、思ったよりもいいものです。

 通勤は相変わらず電車なのですが、三重県ってJRよりも近鉄の方がはるかに便利で、利用者も圧倒的に近鉄の方が多いんです。『まいてつ』をプレイしている身としては、JRで通勤、と思わなくもないのですが、やはり利便性から近鉄になってしまう。まあどちらにしても、鉄道に多少の関心を持つあたり、我ながら単純な性格をしているなぁと思いました。

 

<まいてつについて>

 前回の感想が5月31日ですか……。随分と間が空いたのですが、まだハチロクとポーレットのシナリオが終わったところなのです。誤解しないでいただきたいのですが、つまらないわけではないのです。むしろ真逆で、これほど自分に波長の合う作品はめったにお目にかかれないと断言できます。ただ、仕事が多忙であったり、引っ越しの準備等があったり、そもそもエロゲの気分ではなかったり──なんだろう、そういうサイクルってありません? 定期的にラノベが読みたい、とかアニメが見たいとか──したわけなのです。

 それはさておき。

 ハチロクシナリオも、想像通り素晴らしいお話だったのですが、そのあとに読んだポーレットのシナリオがまたやばかった。なんですかあの愛に満ち溢れた物語は! ハチロクシナリオは、双鉄とハチロクが共に過去を乗り越える──終着駅にたどりつく、と言い換えてもいいでしょう──お話で、“それから”の進み方も描かれる素晴らしいものでした。これぞまさに王道。

 一方、ポーレットシナリオは。俺は前回の日記でハチロクと双鉄が似ている、と書いたと思うのですが、ポーレットについても同様でした。幼いころに出会っていた二人。大切な人との別離を経験したばかりの二人にとって、その出会いはささやかな、そして大切な転換点になっていて。それから歩いてきた道は、奉仕的ともとれるほど痛々しいもので。けれど。けれどですよ。それが物語終盤でくるりと反転するんですね。もう、見事としか言いようがない。痛々しく映っていた奉仕的活動──もっとも、この形容を本人たちは否定するでしょう──が、報われる。過去のすべてが、味方になる。

 ポーレットシナリオに入った後、日々姫とハチロクが実に象徴的な台詞を言うんですよ。

日々姫「違いますよ、兄さん。その手はもっと──未来に向けて動かさなくちゃ、ダメですってば」

ハチロク「はい、双鉄様、おやすみなさいませ。そうしてどうぞ、素敵な明日をお迎えください」

  どちらも、自分に構おうとする双鉄へ向けた言葉です。彼女達はこの時からすでに、双鉄とポーレットなら、共に歩いてゆくことが出来るのだと確信していたのでしょう。暗い過去は、けれど明るい未来へと地続きになっているのだと。

 心に巣くう暗い闇のような過去を、王道的に乗り越えるのではなく、見方を変えて、味方に変えて、抱きしめる。それは、なんというか、すごくロマンのある回答だと思いました。だからこそ、あの終盤の美しさがあるのでしょう。もう……大好きなお話でした。