はじめのはじめ

二次元傾倒な日々。

星メモ。夢、メアシナリオについて。

 夢、メアシナリオ読了してました。
 きっつい……波長が合わないのに読ませる力があって面白いシナリオって、すごい性質が悪い……。
 実は一週間前くらいにプレイし終わっていて、ずっと悶々と考えていたんですが全然消化できそうもなくて、こうやって文章に起こしていったら多少は受け入れられるんじゃないかと思ったので、書いておきます。
 
 これらのシナリオ、夢、メアの分岐が発生するまでは共通部分となっており、そこでは洋の救済が描かれているという構造。幼いころから誰にも頼らず、家族にすら甘えることなく生きてきた洋。七夕の短冊ですら「捨てたんだ」と語った彼が、唯一願い事をしたのが、引っ越しの日に流れた星に対してだった。そんな子供の頃から変わらずに生きてきた洋を、
 
「ちがうんだよ……」
「それ、ちがうんだよ……」
 
 そう言って、優しく抱きしめる夢。自分はお姉さんだから甘えてもいいんだよ、と。病気だからとか関係ないんだよ、と。
 いや、夢にその役割を背負わせるのって残酷すぎませんか……。夢だって無理してるじゃないですか。自分がお姉さんだからって、関係ないじゃないですか。このシナリオと俺の考え方が全然噛み合ってないからかもしれませんがあの展望台でのシーン、正直痛々しくて直視できなかったです。ごめんなさい、これは多分俺が、主人公に向けられる"包容力"だとか"包み込むような愛情"みたいなものに苦手意識を持ってるからだと思います。てんちょさんと違って、俺は”家族”っていうものに拒否反応はないんですけれど、母性みたいなものが入ってくると、けっこうきつい。ほとんど唯一の例外って、Gardenの愛ちゃんシナリオくらいかも……。あの作品が成功(もちろん、商業的な意味でなく)しているのって、舞台設定の秀逸さによるところが大きくて。幼なじみが亡くなってしまったことにより、主人公にとって意味を失った世界。行き着いた先は箱庭を彷彿させるような楽園。そういう舞台だからこそ、ひたすらな愛情が映えるんじゃないかと思っています。
 
 話が脱線しました。
 洋にお姉さん風を吹かせたかった、そんな幼いわがままをずっと守ろうとしていた夢。一応、俺も理解はしているんですよ。ああいう過去を持つ洋を受けとめられる女の子を考えれば、夢みたいな造形になるってことは。けど、やっぱり考えてしまう。そこまでの過酷を背負わせる必要があったのかって。
そして夢もよく理解している。洋に甘えてもらうためには、決して弱い自分を見せては駄目なんだと。弱い自分を見たら、きっと洋は無理をしてしまうから。だから、弱い自分を見せるくらいなら、忘れてもらった方がよほどいいのだと。彼女が流れ星に願った内容は、どう取り繕うとも"残酷な優しさ"でしょう。それを「変わっていく何もかもの中で、唯一変わらない、私の永遠」と言わしめる筆致。いやー、きっつい……。
 
 「永遠」という言葉が出てきましたが、そいつは洋の救済と同じく、このシナリオに息づいている大きなテーマだと思います。
 部室で岡泉部長が語った、天文学の意義。
 生きているものは、かならず死ぬ。それは星だって、宇宙だって同じことで。死という終わりへと続く中で、なぜ生きていくのか。
 それに対する答えは、物語終盤で千尋が語っている。
 存在したということは、誰にも否定できないこと。存在とは破壊し得ないもの。それこそが、永遠の真理。
 存在したということ。いずれ星に還ってゆく時にも抱えていくことができる、想い出という名の光。
 このあたり、重要なはずなのにあまり詳しく述べられてないですよね……そういう世界観をある程度受け止めておかないと、メアシナリオが、メアちゃんとせっくすする以外の意味を成さない気がするんですが……。そういう点でも、不親切な構造だと思います。
 すごいざっくりとした解釈ですが、”強い願いや想い出を光に喩え、そこに永遠性を持たせている”ということなんでしょう。
 その光は、三次元を生きる我々には見ることが叶わないけれど、確かに、いつまでも、そこにあるのだという。だからきっと、世界は万華鏡のように、想い出の光に満ちている。
 
 ……我ながらすごい雑な感想。なんかきちんと読めていない気がしてもやもやするなぁ。EHまでやったら解消するのかな。でもそろそろ別のゲームやりたい。『まいてつ』とか面白そう……。