はじめのはじめ

二次元傾倒な日々。

サマポケクリアしました。

 タイトルのとおり。最後のシナリオまで読み終えました。
 以下、雑感。
 俺、作家論って基本的にはあんまり好きじゃないんですよ。というのも、それをしてしまうと、どうしても登場人物のキャラクター性というか、役割的な側面を意識してしまうじゃないですか。なんというか、『物語』じゃなくて、『作品』を楽しむことになってしまう、みたいな。だから、できるだけそれを避けて、物語を楽しみたいなーとか思っているわけです。
 ただ、この新島って人とか、あと、ねこねこの人とかは例外で、彼ら自身の根幹に何か一本、これを突き詰めたいっていうものがある。いや、誰でもそういうものは持っていると思うのですが、その強度というか、湿度が違うと思うんです。ねこねこの人なんかは、特に顕著ですよね。以前、俺はそれを『十字架を背負っている』と表現した記憶がありますが、今思えばそれは、あまりにも心無く無神経な言葉でした。もちろん本人の目には届いていないでしょうが、本当に恥ずかしい限りです。すいませんでした。
 ……少し話がそれましたが、新島氏についてです。
 『それでも、残るものがある』っていうのが、俺の中での新島作品に一貫したテーマです。結果だけ見れば『意味がなかった』とか、『報われなかった』とか、『無駄』と言われてしまうような行為でも……そうしたことで何か残るものがある。その“何か”には形がなくて、定義づける言葉もなくて、どこにあるのかもわからない。けれど、確かに、残るものはある。それを証明したくて、なんとか表現したくて、だからこの人は物語を創っているような気がするんです。
 本作の場合、それは『ポケットのなか』と明確に表現されています。子供のころ、宝物を見つけたときに、大切にポケットのなかにしまい込んで、けれどいつの間にか無くなって、そこには欠片だけが残っていて、もうそれが何だったかは思い出せない。いつか宝物だったもの、その残滓。
 何度も繰り返した夏の思い出。中でも、羽依里としろはとうみの三人で過ごしたあの夏の思い出。うみの決死の頑張りで、無かったことになってしまったあの夏の思い出。それは本来、もう触れることのできない、あらかじめ失われてしまっていたもののはずでした。けれど、加藤家の蔵が『ポケット』としての役割を持っていたから、蔵の中で羽依里は、それに触れることができた。一瞬だけれど、ただの断片だけれど、すぐに失われてしまったけれど、感じることができた。そして、虹色の紙飛行機──あの夏の残滓──を、青空へ向けて飛ばすことができたのです。
 そんなことを考えた時、ああ、この物語はまさに、key作品を土台にした新島作品なんだなぁと思いました。ざっくりした感想となりましたが、summer pockets、すごく面白かったです。