はじめのはじめ

二次元傾倒な日々。

蒼衣鈴について

 お風呂に入りながら、衣鈴のことを考えていた。
 衣鈴は別に、星々の物語に興味があったわけじゃない。吸い込まれるような雲雀ヶ崎の星空が、別に好きだったわけじゃない。それでも毎日のように学校の屋上に足を運び望遠鏡を覗いていたのは、ある特定の星空が好きだったからだ。南天の、雲雀ヶ崎からは決して見ることのできない、想い出の星空が見たかったからだ。
 冷静に考えれば、雲雀ヶ崎学園の屋上から望遠鏡を覗いたって、南十字星や孔雀座や風鳥座が見えるわけがない。そんなことは、衣鈴にもわかっていたはずだった。けれど毎日のように屋上に足を運ぶ。それはまるで、迷子の子供が泣きながら自分の居場所を探しているかのようで。俺はさっき書いた日記で、雲雀ヶ崎の満天の星の下、屋上に佇む衣鈴のこと──いや、その光景のこと──を、「儚くも美しい」と書いたけれど、あれは正確な表現ではなかった。あれは、迷子の子供の姿なんだ。帰り道がわからずに泣いている子供の姿。話しかけてくる人達もいるけれど、なんだか怖くて拒絶してしまう。その手を取ったのが、洋であり天クルのメンバー。
 想い出の星空を見ることは叶った衣鈴だけれど、実際のところは問題が解決したわけではない。当然ながら、衣鈴の求めている「居場所」は南天の星空の下などではないからだ。想い出の場所、奇しくも洋にとっての展望台がその場所自体に意味があるものではないのと同じように、衣鈴にとっての南天の星空は、(独白の内容から恐らくは)家族との想い出があるからこそ意味を持つものなのだろうから。それは「居場所」ということなのだろうと思う。望遠鏡を抱え込むように、離さないように抱きしめていたい、そんな居場所。屋上のカギと望遠鏡をくれた館長が言った「この二つを使えば想い出の星空が見える」という言葉は、そんな大切な居場所を、これから作っていくことができる、ということなのだろう。
 ここまで子供として描写されてきた衣鈴の問題が、どのようにして解消されていくのか。そのあたりを楽しみに読んでいこう。……とか書いててまったく見当違いだったら笑ってしまうな。