はじめのはじめ

二次元傾倒な日々。

星メモ日記。姫榊こさめについて

 というわけで、久しぶりに星メモの続きをプレイしていました。予定通りこさめさんのシナリオを読了した……のですが。
 やばいです、こさめさん、可愛いです……いや、正直にいうと舐めてました。だって俺たちってどこまでいってもちっちゃい女の子が好きなわけじゃないですか。八重歯がみえるような笑顔で「わはー」とかいう女の子に無条件降伏しちゃうじゃないですか。だから、大人びてみえるこさめさんのようなキャラって、好感は持てたとしても可愛いとは思わないだろうなーって高をくくっていたんです。それが、個別シナリオ入って付き合いだしたら……傷つかないように予防線を張って一定の距離をたもっている女の子って、こんなにもめんどくさくて可愛いということを、俺は知っていたはずなんですけど、既知かどうかは関係がないですね。やられました。
 
 ここを読んでくださっている方の大半は、星メモなんて数年前にプレイ済みでしょうから、こさめさんの背景なんて説明する必要はないという前提で書いていきますけれど、こさめさんって“まつろわぬもの”とかいう存在じゃないですか。姫榊こさめという女の子にとって、自分の人生は既に終わってしまっていて、後は事後処理というか……いかにきれいに物語の幕を降ろすかというそれだけのために存在しているという状態。こさめさんは皮肉にも賢い子どもでしたから、いつまでも都合よく雲雀ヶ崎に留まっていることができないだろうと察していたはずです。それは彼女の家庭環境が“まつろわぬもの”をおくり還すという使命を負っていることにも起因していたのでしょう。彼女は、彼女の家庭にとって、在ることを許されてはいない存在。そんなこさめさんにとって、こももからの全肯定は、いかほどの救いだったか。星天宮という境遇にありながら、まつろわぬものとなった自分の存在を認めてくれる。その受容は、その肯定の価値は……はかり知ることはできなかったでしょう。そして同時に、どれほどこももや、家族の立場を危うくさせているだろうかも、よくわかってしまっていた。上で事後処理と書きましたが、自分が在ることで狂ってしまった状態を元に戻すため、といったほうが、より正確でしょうか。こももの存在は、こさめさんにとって救いであると同時に、到達すべきゴール地点でもあったわけです。
 
「だって、わたしには、恋をする資格がありませんから」
 それは絶対にこさめさんの口から出てくると思っていた言葉。こさめさんにとってのゴール地点はこももなのだから、それ以上に、しがらみを作ってしまうわけにはいかない。それは彼女の考える、奇麗な去り方ではないのだから。こういう予防線張ってくる女の子やばいですよね。そのくせ洋に冗談で付き合ってとか言われた時に照れ隠しにチョップとかしちゃうわけですよ。ぜんぜん上手くごまかすことが出来てない。こんなの、後で絶対崩れるに決まってるじゃないですか……。
 恋に憧れていると同時に、極度に恐れているということ。物語終盤に彼女の口から出た“ウサギは寂しいと死ぬんじゃない。抱きしめられると死んでしまう”という趣旨の言葉は、まさにそれを明示しています。どれだけ自分の存在を肯定してくれる人がいたとしても、ほかならぬ自分自身が、自分の存在に肯定的でない限り、ここにいていいのかわからない。いつ消えてしまうかもわからない恐怖という名の見えない鎖によって、常に締め上げられているこさめさんにとって、完全な状態である満月を忌み嫌っているこさめさんにとって、満ちたりてしまうことへの明確な恐れが、そこにあるんです。満ちたりてしまったら、後は欠けていき、最後には消えてしまうのだから。
 こういう、こさめさんの恋に対する二面性が、天秤の両端でゆらゆらと揺れながらつりあってしまっている状態がこのシナリオの妙であって、一言にすると“こさめさん信用できない”というところに集約されるんでしょう。
 個別シナリオ中盤にある“一日限定の恋人ごっこ”なんて、まさに期待と恐怖がごちゃまぜになった感情に起因しているものですよね。
 
「わたし、小河坂さんの彼女に、なっていますか……?」
「誰かが見たら、どう思うでしょうか……」
 
「他人の目なんか関係ない。俺がこさめさんを好きで、こさめさんが俺を好きなら、恋人だろ」
「俺たち、だからデートするんだろ?」
 
「わたしでも、恋人ごっこくらいなら可能なんですね……」
 
 ここの会話とかもう、完全に読者殺しにきてます。全然ふたりが言葉に乗せた気持ちが噛み合っていない。洋はこさめに《恋人をつくる資格はある》ということを知ってもらいたい、こさめと一緒にいる自分はこんなにも幸せだ、ということを伝えたいのだけれど……こさめさんにとっては、恋人“ごっこ”以上のことは、そもそも望んでいないのだという。そもそも“一日限定の恋人ごっこ”というもの自体がパワーワードすぎて、多分特定の人間に鋭い刃のごとく突き刺さるものでしょう……。
 
 このシナリオで協調されているのは、やっぱり上述したような天秤の揺れであって。そして、これは絶対に意図的にそうしたんだと思いますが、こさめさんはそれに耐えることができるほどの強さを持っていないというところ。こももシナリオでこももの強さが描かれたように、こさめシナリオではこさめの弱さが描かれている。そしてその弱さは、克服されるとかそういう類のものではなくて。弱いままでどうやって生きていくか。その解答を得るというラストになっているのが、また俺の好物なんですよ……。
 物語終盤、自分が満たされてしまったと感じたこさめさんは、ひとり、舞台の幕を降ろそうとします。幕引きのシーンは、奇しくも全ての始まりである展望台。幽霊との恋物語は、悲恋という名のハッピーエンドでなければならない。ならば、今この場面で消えるのが一番幸せなんだろう。《これ以上、この恋物語を続けることで傷つきたくない》というこさめさんの弱さからくる幕引きは……けれど、洋の行動によって止められます。
 誰だって、大切な人を失った世界に取り残されるのは、身が引き裂かれるように痛いことで。そんな当たり前を、共有する。その痛みを、共有する。それは一種の共依存といってもいいのかもしれません。自分が存在している価値を、相手に求めるそのやり方は、誤解を恐れず言うならば、異常ととられてしまう方法で。少なくとも、物語ラストで洋がとった行動──自分の手首を切るというそれ──は常軌を逸していて。けれど、だからこそこさめの天秤を壊してしまうくらいの力を持っていた。このふたりが歩いていくには、それくらいの異常がちょうどよくて。なぜなら、こさめが語るように「ふたりじゃないと抱えきれないくらい、この恋はとっても重くて、大きい」のだから。
 
 
 余談。
 ポエム的な締めくくりをぶっ壊す形になりますが、まーた“はじめてのせっくす”が野外だったよ! もう、なんなの……。こもも以外みんな、はじめては野外の会の会員じゃないですか……。いやまあ、こさめさんの場合は、野外であることに理由付けはされていたけどさ!