はじめのはじめ

二次元傾倒な日々。

ワールドエレクション。クリアしました。

 パフルートをクリアした後、ファウラ、ソフィアと進んで、クルルルートを最後まで読み終えました。多分これで、メインのルートはすべて終了ということで、ひと段落でしょう。

 ファウラルートについては、まったくと言っていいほど波長が合わず、個別ルートを読んでいるのにそのキャラのことが苦手になる、という珍しい経験をしてしまいました。ソフィアルートについては、お話としては面白かったと思うのですが、やはり、俺がソフィアという女の子にあまり興味が沸かなかったからか、そこまで楽しむことが出来ませんでした。

 まあ要するに、「とほほ……もうセックスは、こりごりだよぉ〜!」的な心境になっていたわけですね。ファウラさんがとにかくきつかった……。そりゃ性欲強いのはわかってましたけど、あそこまでやられるときつい。いや、俺の好みに合ってないだけで、好きな人にはああゆうのが受けるのかもしれないので、あんまり言うつもりもないんですが。

 そんなわけで、「セックス……こわい……」みたいなテンションでクルルルートを読みはじめたのですが、やっぱりメイン中のメインなだけあってかなり面白かったです。

 以下、たぶん冷静じゃない感想。いつものポエム分高めです。

 クルル、共通から全然ブレてなくて、敬にべったりで、敬がすべてで。でも、なぜかうっとおしいと思えないんですよね。そのあたり、流石だなぁと思いました。セックスになってもそれは変わらず、クルルに「セックスは、こわくないんだよ」って言ってもらえた気がしました。そうだったんだ。これが……セックス。

 お話としては、やっぱりこのゲームを包括するような内容でしたね。敬がそれぞれのルートで示してきた『みんなとわかりあう』こと。そしてクルルが実行した世界侵略は、その究極の形という。

 本来、クルルの世界侵略に、敬は多少肯定的であってもよかったと思うんです。「気持ちはわからなくもない」みたいな。ひとりぼっちは寂しいっていうのは、誰より敬がよくわかっていることですから。子供のころから、特別な存在として扱われてきて、特殊な生徒が通う学園でも、ほとんど誰も近づいてこない。ポン子との出会いに救われたところはありますが、それでもクルルに出会った頃の敬は、みんなに受け入れてもらうことに飢えていたと思います。自分と同じように特殊な能力を持つ生徒が集まった学園で、けれどやっぱり腫れ物のように扱われている現状。「みんなに俺が平凡な人間だとわかってもらうには時間が必要だ」と言って、はや1年が経過して。どこかあきらめの感情が、芽吹きつつあったんじゃないかと。誰かとわかりあうことは、実はとても難しくて、こんな特殊な自分では無理なんじゃないかと。

 物語の中で、クルルが最初に出会ったのが敬じゃなかったら世界はすぐに崩壊していた、と述べられています。運命ですよね。でも、こうも思うんですよ。敬がクルルと出会わなかったら、全力でクルルに説得しようと思う敬には、なっていなかったんじゃないかなと。いや、もちろん突如現れたクルルが人類補完計画みたいなことを言い出したら、そりゃあ、あの頃の敬だって戦おうとはするでしょう。けれど、あそこまで個と個の話をして、かつクルル達を理解しようとは、しなかったと思うんです。世界中のひとりひとりに選択権があって、自分の答えを自分で決めて。それが、それこそが世界の選択だ、なんて……クルルと出会う前の、生徒会選挙に立候補する以前の敬は考えていなかったと思います。

 クルルと出会って変わったのは、敬だって同じで。だからきっと……“お互いさま”なんでしょう。

「私達、これからどうなっていくんだろう……」
「明日には忘れてるんじゃねーの?」
「たくましすぎますよ、ファウラさん……」
「あたしらはそんなもんさ。お前ら人間はちがうのか?」
「……ちがわないのかな」

 精神支配がとけた直後の伊織とファウラの会話。この伊織の「……ちがわないのかな」が好きです。そう、たぶん、そんなにちがわないんですよね。セックスに対するスタンスに多少の違いはあれど──お前どこまで根に持つんだ──獣人も人間もたいしてちがわない。その前段、ソフィアとチコ、パフとメロウのやりとりもいいですよね。チコがソフィアにくっついて、メロウがパフを挑発して、パフが「キーですわ!」と怒って。たいしてちがわない奴らが、寄り添ったり、喧嘩したりしている。そんな世界のとある場所では、朝焼けに包まれながら、敬が再びクルルに告白して──。

 そして、エピローグ。

 手をつないで歩いている敬とクルルの一枚絵だけで、どうしてこんなに満たされるのか。

「心で感じるのと頭で考えるのは、全然、ちがうよね」
「……全然、ちがう答えになる」

 クルルが語るこの言葉には、とても強い感慨が込められていたはずです。心で感じることができるクルルは、敬と出会ったあの日に、はじめて生まれたものだったでしょうから。そして、敬は多分、この言葉にそこまでの意図は感じていない。それでいいのだと思います。一心同体ではない彼らは、手を繋ぎ寄り添って、歩くことができるから。自分のことを自分でもよくわからない、理屈ではない心は、けれど相手がいてくれるだけで満たされるから。
 暗い夜もいつか、朝になるから。