はじめのはじめ

二次元傾倒な日々。

夏空の話。

 今年もまた、夏という季節がやってきました。

 近畿地方を掠めるように上陸した台風も過ぎ去り、この三連休は夏真っ盛りと言ってもいいほど暑かったです。根っからのインドア派である俺は、友人宅でどうでもいい雑談をしながらゲームをしたり、自宅でエロゲ──ピュアコネクト面白いなぁ──をプレイしたり、たまった小説とかを読んでいたのだけれど、日中はエアコン無しでは過ごしにくいくらいでしたね。エアコンのある時代に生まれてよかった・・・・・・。

 季節は夏、であります。

 どういうわけか、この季節には人を感傷的なきもちにさせるものがある気がしますね。人々の行動から考えると、夏休みに海に花火に……と、解放的なイメージがあるにもかかわらず。本当、どうしてだろう。

「夏には、感傷的なイメージがあるよな」

 いつだったか、そんな事を友人に話したことがあります。それを受けた彼は、

「確かに、夏の夕暮れとか、夜は、ふと寂しくなったりするなぁ」

 と、そんな風に答えました。

 夕暮れ、夜。確かに、間違ってはいない。現にこれを書いている今は22時半くらいなのですが、窓の外は深い闇色に染まっており、昼間の暑さに比べると随分快適な温度の風が入ってきます。こんな風に当たっていると、適当に車を走らせて、どこか人気のない公園で、タバコでもふかしたくなるような感情が沸き起こってくる。けれど、俺が考えていたイメージは、青と白、そして銀色に輝く夏空であって。ジリジリと照りつける太陽に灼かれたアスファルトであって。そんな中で鮮やかに咲く向日葵の黄色であって……。

 白と青と銀に蹂躙されたような世界を見た時のこの感覚は、いったいどこから来るのでしょうか。郷愁、という言葉で表されるような感情と似ているけれども、焦がれる故郷が無いような、そんな矛盾を抱えた感情は。

 昔、某店長さんが 

「ぴったり当てはまる言葉がないから、代替として”しにたい”という言葉を使っている」

 と言っていた気がしたけれど、上手いなぁと思いました。本物の死を望んでいるわけではなくて、なんか完全な美、みたいなものを前にしたときに、消え去りたいと思うような感情。自分という存在を消して、美しい世界を観測し続けていたい、というような願望。だからこそ”しにたい”。そういうイメージから選んだ言葉だったんじゃないのでしょうか。本当のところは、本人しかわかりませんが。

 しかし、どうしてこんな感情を持つようになったのか。別に俺はAirとか、エヴァがクリティカルにヒットした年代を、オタクとして生きてきたわけでもないのだけれども……。

 

 話が飛びますが、物語上の季節が夏で『なんかキラキラした青春みたいな幸せで充実した生活』とか描いているようなエロゲをプレイしても、自分自身がそこにいたいかと言われると決してそうではなかったりします。彼らの空間はそれ自体で完成されていて、とても綺麗で、俺はそれを見ることができれば満足してしまう。いや、もちろんたまには『家が隣でなんとなく一緒に過ごしてきて気づいたらお互いに家族みたいな関係になってしまっていた幼なじみとか欲しかった……』とか呪詛を吐くこともありますが……。

 結局のところ俺が読んだり観たりしている中の人物たちの日常に、俺の居場所はないわけじゃないですか。こう書いてしまうと、不満に思っているととられてしまうかもしれませんが、そういうわけではなくただの事実として。別にそれは俺にとってマイナスなことではなくて、彼、彼女らのキラキラした日常は、この世界のどっかにはあるんだと思っていたら、俺にとっては充分なんです。だからこそ、彼らの世界に入る必要はない。

 

 なんだろう、上述したような『この世界のどっかにはあるんだと思』うための装置が、この夏空、ひいては『夏』という季節なのかなぁ。

 桜庭一樹の著書に『ブルースカイ』って作品があって……場所も時代も全然違う登場人物たちが、物語の中で交差して最後にまた戻っていくんですが、最後にそれぞれが青空を見るんですよ。生きてる時代も違う人達の上に、けれど青空はどこまでもどこまでも続いてるんです。

 と、そんな感じでしょうか。自分で書きながら強引だなぁと思いますが。ただ、どんな世界でも、夏の陽ざし、白と青と銀色の空はどうしようもなく眩しくて。交わらない世界でも、その眩しさは等しく、違いなんかは無いんだよなーと思いました。

 これ、もう信仰だな……。

ヤマノススメのすすめ。

 先日、Amazonで購入した『Angel Beats!』がなかなか届かないので、近所のTSUTAYAまで出掛け、以前から観ようと思っていた『ヤマノススメ』を借りてきました。全話がDVD1枚に収録されているようだったので、とりあえず1期まで。ここを読んでいる方々は、すでに視聴しているという可能性が高いのですが、インドア派で高所恐怖症の女の子あおいが、幼なじみのひなたという女の子に引っ張られ、山に登ったり登らなかったり、いちゃいちゃしたりするアニメです。公式サイトは下のあたりに。

http://www.yamanosusume.com/1st/

 

 結論から言いますと……1期を見終わった時には、Amazonで1期から2期の2巻までのBDをポチってしまうくらいに面白かったです。いや、あおいとひなた可愛すぎるんですよ……こんなの見てしまったら部屋中転がりまわって──最高に見苦しい姿──インターネッツで通販の扉を開くのは必至!

 

 

 学校で友達と話したり、一緒に遊んだり、といったことをしてこなかったあおいですが、高校1年生の春に、幼なじみだったひなたと再会して。学校の休み時間はもちろん、帰り道にアイスを買って一緒に食べたり、休日は山に登りに行ったりと、一緒にいる時間がどんどんと増えていきます。その過程で、あおいにとってひなたは、遠慮しなくてもいい、普通の友達に比べてより距離の近い、特別な存在になっていくんです。

 それは幼なじみだったということや、ひなたのまっすぐな性格のおかげなのかもしれませんが、こういった女の子同士の『特別』な関係性っていうのが、たまらなく好きなんですよね。心情表現で「こいつは~!」とか言いながらも、一緒にいるのが当たり前でかけがえのない相手、といったような。

 

 悲鳴のような感嘆の言葉をまき散らし、部屋を転がりながら──やはり見苦しい──、2期の2巻まであっという間に観てしまったわけですが……中でも恐ろしい破壊力を持っていたのは、2期の5話ですね。

 とある理由からあおいとひなたがケンカをし、数日間2人は口も利かない状態になる、というお話なのですが……ケンカ中のひなたが家を訪ねてきた時のあおいの嬉しそうな顔とか、それをひなたには見せないところだとか。

 このシーン、「……なんの用?」とそっけなく言っているつもりのあおいですが、絶対うれしさで顔がふやけているのを隠しきれてないですよね! 久しぶりにひなたとおしゃべり出来るのがうれしくて、それでも、そんな顔はひなたには見られたくなくて。だから、怒っているふりをして背中を向けてるんですよ! ひなたはひなたで、いつもあおいの事を見ていて、彼女がもっと笑えるように手をとり進んでいますが、あおいから自分に向けられる好意には鈍感だという。

 もう、だめだ……この2人可愛すぎる……!

 

 あと、1期8話のエンディング。これ、ひなたは絶対あおいのぱんつ見えてますよね?

「おおー、絶景だねー!」

「もー、お店の人に迷惑でしょ……なにが見えるってのよぅ」

「いや、あおいの水玉ぱんつがね!」

 とか言っちゃうわけですよ。もうだめだ……!

 

 あ、あおいは水玉ぱんつとか穿いてるみたいです。高1です。

 ひなたはくまさんぱんつとか穿いてるみたいです。高1です!

 あと、あおいは生えてないみたいです。高1です!!

 

 本当に、リアルタイムで見ることができなかったのが悔やまれますね……。Twitterで某氏とか某氏が、悲鳴を上げていた理由がよくわかりました。

 さて、この文章を書きながらAmazonで残りのBDも購入したことですし、何度も見返しながら楽しみに待つことにします。

長雨の季節に。

 紫陽花を見ると、ある女の子の事が頭をよぎる。

 

 といっても、実際の知人というわけではなく、『your diary』というゲームの“ゆあ”という人物の事だ。肩にかかるくらいの桜色の髪を可愛らしく編み込んでいるのが印象的で、その下には子供っぽさを感じる大きな瞳。140cmを切る身長と無邪気な性格は、どこからどう見てもお子様で。そして、幸せの神様であるという、そんな女の子。

 

 実際にこのゲームをプレイしたことは、あるにはあるのだが、最初からメインヒロインであるゆあのルートに進み、結局クリアせずに止めてしまった……のだと思う。不明確なのは、プレイした記憶がほとんど残っていないからだ。

 つまらなかった、というわけではないはずだ。不満な点もあっただろうが、比較的楽しく読んでいたように思う。けれど、シナリオを一つもクリアしていない……そういう類の、よくある話。

 そんな不誠実な読者である俺だけれども、ゆあという人物の事はわりとよく覚えているようで、こうして紫陽花の季節になると彼女の顔が浮かんでくる。

 

 何故、紫陽花と彼女なのだろう。ストーリー上のキーだったのだろうか。いや、おぼろげだけれど、そうでは無かったと思う。物語上の季節が、梅雨どきだったのか。公式サイトのギャラリーやストーリーを眺めても、よくわからない。

 あるいは、誰もが憂鬱になりがちな長雨の季節に、けれど鮮やかな花を咲かせてくれる……そんな姿に、誰かを幸せにするために頑張り、役目が終われば消えていくような、幸せの神様を重ねてしまうからだろうか。

 ただ、紫陽花を見ると、ふと彼女の事を思い出す。お気に入りの黄色い長靴をはき、同じく黄色の雨傘に小さい体をすっぽり入れたゆあが、紫陽花を眺めている姿が浮かんでくるのだ。彼女は、一体どんな表情をしているのだろうか。自分と同じような存在を眺めて、一体どんな思いを感じているのだろうか。俺は、傘越しに、そっと覗いてみる。

 すると、その横顔は、どうやら笑顔のようで。

 それを見て俺はほっとするのだ。きっと彼女自身の物語も、ハッピーエンドなのだろう、と。

 きっと、もうすぐ主人公が現れて、彼女は子犬のように飛びつくのだろう。突然抱きつかれた彼は、口では雨に濡れたことをぼやきながらも、彼女の桜色の髪をやさしく撫でてあげるはずだ。幸せな2人の未来が、ずっと続いていくのだ。

 俺は、そんな想像をしながら、紫陽花の横を通り過ぎる。

誰彼時に見える星の話。

 ねこねこソフトの新作『すみれ』、クリアしました。てっきりルート分岐があるものだと思っていたので、びっくりです。

 感想等は後々に書くかもしれませんが、一番印象に残った……というか好みだったのは雛姫の話。はい、こういう面倒くさいと言われるような女の子、大好きなんですよ。そして、瞬間最大風速は、やはりというべきか雛姫シナリオの観覧車のシーンですね。 

 

 雛姫(もう、ずっと前に、失くしていたものと思っていたのに……)

でもそれは、まだ私の中に小さく、残っていたようで。

それをあなたが、見つけてくれたようで。

 

私はまだ、笑えるのだ。

 

 今まで当然のように雛姫の中にあったものを、けれど周りの人達は見つけられなかったものを、健ちゃんが見つける。誰彼時の、赤と紺が混じり合い、すみれ色に溶けあっていく街を背景に、見えにくいかもしれないけれど、確かにそこにある、そんな何かを。

 と、今回はこれが言いたかっただけです。

ねこねこソフト『すみれ』 共通部分の感想とか。

 というわけで、5月末発売のエロゲの中では、ねこねこソフトの新作『すみれ』と、朝妻さんがディレクターということでPULLTOP Airの『なついろレシピ』を購入しております。サントラすきーの私としては、どちらも特典がサントラ(ねこねこの方は15周年の物ですが)ということで非常に好ましいです。

 さて、私は残念ながら“落とし神”ではありませんので、同時に多数の美少女ゲームをクリアすることはできません。ひとまず、すみれからプレイし始めていますが、この作品、やはりというべきか読み進めるごとにダメージを受ける(褒め言葉)タイプですね……。あきらかに、青年・中年層のエロゲプレイヤーを殺しにきています。

 

 主人公である片瀬健二は、営業職数年目の社会人。学生の頃は、人と接することの苦手な、エロゲなど二次元のコンテンツに熱中している、本当に『どこにでもいる』人物でした。社会人になり、愛想笑いのスキルを身に着けどうにか日々の仕事をこなせるようになった彼は、以前のような二次元への熱が薄まっていることを自覚します。エロゲを買うことも少なくなり、録画したアニメもどんどん溜まっていく。そんな日常の中で、彼が唯一続けているのが、エロゲ等のキャラの“なりきりチャット”のようなネトゲ です。

 一日の終わりにログインし、数年来の知人である“多恵”と“ピンク”の三人で、とりとめもない会話を楽しむ。彼らの不文律はただ一つ、相手のリアルは詮索しないこと。健二のアバターは、自身と同性同名のエロゲ主人公である“健ちゃん”。言うまでもなく、ねこねこソフトの過去作品『みずいろ』の主人公ですね。

 そんな彼ら3人のコミュニティに、突然現れた“モエ”が加わることにより、物語は転がりだしていきます。というのも、この“モエ”の正体は、親同士の再婚により最近同居するようになった健二の妹、初芝すみれだったのです。……そして、そのことを知っているのは健二だけ、という状況。

 

 健二も、すみれも、自身はリアルでは『馴染めない』人間だと自覚しています。健二は、対人関係を愛想笑いと見て見ぬフリで切り抜けるような……すみれは、学校の休み時間を寝たフリで過ごすような……そんな生活を送っていました。

──けれども、ネットの中では。

 普段はお調子者でも、ここ一番では行動力がある、ヒロインのために一生懸命な主人公“健ちゃん”であり。

 休み時間に寝たフリなんかしない、プリクラが趣味の、クラスの人気者“モエ”であろうとしていました。

 

 その試みは、しかしながら早々に破綻してしまいます。

 

 ……こんな時こそ……健ちゃんならば……

リアルの俺には無理でも、本物の健ちゃんならば……

さりげない優しさで、励ましてやれるはずだ。

泣き続けるヒロインを、慰めてやれるはずだ。

……こんな時こそ……健ちゃんならば……

 

……だけど、思いつく言葉がなかった。

 

 ネットの世界では『本物の』健ちゃん──まさにエロゲの主人公のように、女の子が悲しんでいる時にさりげない優しさを見せる、かっこいい男──として振る舞っていた健二ですが、自分は本物ではないと突きつけられる。この、『思いつく言葉がなかった』時の感情は、計り知れないものでしょう。自分に想いを寄せてくれている女の子……すみれに、現実では力になれないと身を引きつつもせめてネットの中ではヒーローでいようとした健二が、そのネットの中ですら本物の主人公にはなれなかったと知った時。いや、心の片隅では気づいていたことだったのかもしれませんが、その現実を目の当たりにした瞬間。彼に残された選択肢は、

 

 健ちゃん「そっか、モエすごいなー、クラスの人気者だな」

モエ「ええ、なんたってわたし、MMCですからね」

健ちゃん「ははは、モテて、モテて、こまっちゃうか、懐かしっ」

 

 社会人になって磨きをかけた愛想笑いのスキルを使ってニコニコ笑いながら、ネットの世界の晴天の下、モエの強がりを聞くことだけでした。

 

 この空しさ、この瞬間があったからこそ、後に彼が見て見ぬフリをやめ、すみれの部屋に入り、不格好ながらリアルでも『健ちゃん』のようになりたいと語る言葉に……意味が生まれているような気がします。

 

 ……と、共通部分──恐らくその中でも前半──だけでもこのやられっぷりです。ああ、もっと気楽に読みたいとは思うのですが、仕事帰りにこの物語は危険でしょう……。

 とはいえ今後が非常に楽しみなので、ダメージを受けつつも早く進めていきたいと思います。今後、健二やすみれがどう変わっていくのか。『健ちゃんのように』、『モエのように』という感覚を指針にすることは良いと思いますが、それ自体が呪縛になってしまわないか。そして“多恵”や“ピンク”がどういった人物で、何を抱えているのか。気になることは尽きませんね。そんな中、誰のルートから進めればいいのでしょうか……とりあえずピンクですかね!

『ハクメイとミコチ』の話とか。

 先日、地元では大きい部類に入る書店に行った時のことです。

 以前から買おう買おうと思っていた『坂の上の雲』の1、2巻を手に取り、そのままぶらぶらと漫画コーナーで面白そうな本を探していた私の目に、興味深い帯が入り込んできました。

 

 森の奥で暮らす、ふたりの小さな女の子。

身長はわずか9センチメートル。

 

 なるほど、確かに私は小さい女の子が好きです。お姉さんよりも妹に優しくするのは当然ですし、高校生よりも中学生、小学生の女の子を可愛いと思う人種です。あ、勘違いしてはいけません。ゆのっちは高校生ですが、とても魅力的だと思いますよ?

 さて、そんな私ですが、さすがに身長9センチメートルは対象外です。だって、握りこぶしくらいのサイズじゃないですか。とりあえず既刊と思われる1~3巻を手に取り、悠々とレジに持っていきましたが、決してそういうことではありません。絵柄の雰囲気がなんとなく好みだったからですよ。

 ……前置きが長くなりましたが、そういうことで今回は漫画『ハクメイとミコチ』の話です。

 

 身長わずか9センチメートルの少女であるハクメイとミコチ。彼女らは、大木の根付近に家を構えて生活しています。各地には、同じく手のひらサイズの人間たちによる街が形成されているようで、2人だけが特殊な存在というわけではないようです。すなはち、イメージとしては人類のみが小人サイズになった世界、といったところでしょうか。

 漫画の中で描かれているのは、主として小さな彼女達の日常生活です。それらは、いたって普通のものですが、視線が違うことで新鮮な世界が広がって見えます。

 たとえば……

 一粒がメロンほどもあるブルーベリーやツルバミを染料に布を媒染して洋服を作ったり、米の一粒を砕いて適量のご飯を炊いたり、柑橘類の木の下で葉っぱと茎のテントをこしらえ野宿したり……といった具合に。また、詳しくは語りませんが、彼女らの仕事についても、深く掘り下げて描かれています。

 このように、衣食住や仕事について丁寧に表現されているので、読者の中で、登場人物たちが生活している存在としてしっかり形作られてきて。すると必然的に、街が息づくわけですね。私は、ここが非常に重要な点だと思っています。

 異世界──と、あえて表現します──を描く作品は、それこそ世界の数ほどありますが、その世界の街が息づくためには人の営みに関する描写が欠かせません。現実に則した世界の物語である場合、私たちは自分のそれを流用する形で、登場人物の暮らしを想像することができますが、異世界の場合はそうはいかないからです。

 つまり、想像するための足掛かりが必要になる。

 そういった点で、この『ハクメイとミコチ』という漫画は、非常に多くの足場が存在しています。よって、描かれる街や市場は活気づき、世界は非常に魅力的に映っています。一方で、そうした日常描写があるからこそ、合間にひょっこり混じる非日常──探検であったり、祭りであったり──のエピソードが絶妙のスパイスになっているように感じました。

 

 と、こんな風に冷静に語っていますが、初読した時は、

「なんだこれ、すげえ面白いな!」

「ミコチ可愛い。ハクメイも可愛い。いや、ミコチ可愛い」

「あー、もう旅に出たいな……(定期的に発する言葉No.2くらい)」

「今いる世界にさよならしてえ……(ユメミルクスリ)」

 といった独り言を発するくらいに、かなりのダメージを受けていました。

 そんな『ハクメイとミコチ』。オススメできる漫画ですので、よろしければ是非。

道の話とか。

 『なついろレシピ』の発売日が5月に延期し、4月末発売のエロゲについては、やってみようかなと思うものが無くなってしまいました。ということで、ゆっくり、ゆっくりと歩くような速さで『花咲ワークスプリング!』を読み進めています。若葉ルートと彩乃ルートが終わり、現在は祈ルートの途中まで。

 このゲームの事を考える場合、大きく2つの時間について触れなければなりません。ゲーム本筋の時間と、そこから恐らく5年以上前──不知火飛鳥が存命していた頃の時間です。若葉・ヒカリのルートでは前者が、彩乃・祈のルートでは後者も含めて重要となっています。

 

 ありふれた話になってしまいますが、人生を道に例えるとします。

 このゲームでは──

 自信に溢れた力強い足取りで進む不知火飛鳥がいて、彼に手を引かれるようにして、後をついていく玖音彩乃がいる。苦笑しながらも隣を進む山下久美や古賀千代子がいる。そんなふうに先を進む飛鳥を見つめ、仲間と慕う花咲遊真がいる。反対に、兄を敵とみなして、全く別の力を求める不知火祈がいる。

 けれど、突然、飛鳥はいなくなってしまいます。

 引いてくれていた手を見失い立ちどまる彩乃。そんな彩乃を気にしつつも、久美と千代子は前に進み、種類は違えど『先生』と呼ばれるようになって。

 目標を見失った遊真は、けれど見定めた道を違わずに進んでいき──だからこそ、その道の途中で、空森若葉と琴吹ヒカリの手を引くことが出来た。そうして進んでいった先、かつての仲間がいた場所には、彩乃が待っていた。そして、その場所に、遊真や飛鳥とは違った正しさを信じる祈が戻ってきて──。

 花咲ワークスプリングの大まかな背景は、そんな感じでしょうか。

 

 こうやって、無数に枝分かれした道をそれぞれ進んでいく姿を想像すると、登場人物たちが非常に身近な存在に感じられますね。

 「他人を求めて敬う、足ることを知る、それができない人に幸せは訪れない」と断言する彩乃だったり、孤独の強さを信じながらも「自分は、幸せなんていう幻想は手に入らない」とつぶやく祈だったり、「近くにつまんなそうな顔してるヤツがいると、安らげない」と子供の頃からの行動理念を語る遊真。なかなかどうして、チャーミングな人物だと思います。

 彼らについて詳しく語るのは、けれど、また別の機会に。

 

 

 しかし、『なついろレシピ』は5月29日ですか……『すみれ』とぴたり重なってしまいましたね。どちらからプレイするか、悩みどころです。こうして興味深いゲームが次々に出てくれるのは、嬉しいことですね。『サクラノ詩』も7月に決まったようですし、今から待ち遠しいです。けれど、一番待ち望んでいるトノイケ氏の新作は、まだ影も形もないようで。同志の皆さん、気長に、気長に待ちましょう。

 最後に余談……というか私信ですが、某氏がサノバウィッチをプレイし始めたようで、嬉しい限りです。