はじめのはじめ

二次元傾倒な日々。

何かの端っこ

 創作物を読んでいて、ふと、『ああ、この作者は何か大きい十字架を背負っているのかな』と思うことがある。十字架と一言でいったが、まあ文字通り人の死とか、何らかの傷であるとか、そんな感じのものを。そしてその経験が、彼らを作家たらしめているんじゃないかと思ってしまう。

 具体的に例をあげると、橋本紡さんや片岡ともさんあたり。彼らは何かの影を追いかけながら、小説を書いているように見える。決して届かない実体に少しでも近づくために、ああでもないこうでもないと悩みながら文字を打つ。その姿に、作品に、俺はたまらなく惹きつけられる。

 

 一般的な創作スタイル(といわれているような何か)からは遠く、不健全な方法であるといわれるかもしれない。なぜなら、きっと実体に追いつくことはないのだ。どれだけ先に進んだとしても、忘却のスピードには追いつけない。そして失ってしまう。わずかばかりの残滓を置いて。

 そこはきっと、想像もしたくないほど何もないのだ。……たまらなく怖い。あんまりじゃないのかとさえ思う。けれども彼らは飛び込んでいったんだ。きっと、そうする以外にどうしようもなかったのだろう。

 

 気持ちというものは不思議で、こうして文章にしたり、誰かに話してしまうと多少ではあるが落ち着いてくる。それは、自分の中の気持ちが文字にこもったり、誰かに移ったり、または大気中に霧散したりするからだろう。エネルギー保存の法則というやつだ。

 何がいいたいのかというと、彼らが抱えた何かは、少なからず俺の中にも入っているということで。十字架の主は、ひっそりと息づくのである。