はじめのはじめ

二次元傾倒な日々。

『もののあはれは彩の頃。』プレイ日記。

 さあ、ゲームをはじめよう。

 内容はいたって単純、双六である。振り出しから賽を振り、あがりを目指す。賽を振る以外に移動する術は持たないし、マスに書かれたルールには従わなくてはならない。他者を欺き、出し抜き、誰よりも早くあがりを目指す。
 マスのルールは律と呼ぶ。とまった者は従わざるを得ない宿命。生きるも死ぬも出目次第。されど恐れるべからず。プレイヤーはそれぞれ、律に対抗し得る術をもつ。戒と呼ばれるそれは、己の根幹に根ざした、自身と他者の関わり──縁──の顕現。
 自身と他者をつなぐ縁とは何か、それが能力として現れる。ある者は傷を癒す術を、またある者は大切な人を守る絶対防御の術を。
 さあさあ、己が運と縁を信じて賽を振ろう。

 

 ──と、こんな感じの世界観にいきなり投げ込まれるゲームなのですが、すごい面白いです。自身の身体ごと双六の盤面に囚われているという状況は、ノーゲーム・ノーライフを彷彿とさせますね。それでこのライター、膨大な資料に裏付けされた設定の鬼ですね。こういう人の書く作品は無条件で信頼できる。
 プレイヤーは全員記憶を失っており、なぜこのゲームに参加しているのかわからない状態。ただ、あがりを目指す、あがらなければならないことだけは、本能的に理解しているという。この双六の盤面以外にきっと、彼らが住んでいた本来の世界があって、プレイヤー達は望み望まずはわかりませんが、この途方もないゲームの世界(盤面)に降りてきたのでしょう。アッシェンテ!!
 双六が進むにつれて、彼らは「ここではないどこか」の記憶を幻視していきます。双六パートは三人称で綴られていますが、ときおり幻視する日常パートは主人公である暁視点で、双六のプレイヤー達は普通に学生として過ごしている。
 日常パートが、本来彼らが生きるべき正しい世界と仮定して、彼らがそちら側に戻れるのか、それがこの物語のカタルシスとなりそうです。彼らはどのような経緯でこのゲームに参加したのか。なぜみさきは日常パートを幻視しないのか。なぜ京楓は当初、暁を敵視していたのか。散りばめられた謎も、きっと、そこに帰結するはず。ああ、楽しみだなぁ!


 ところでヒロイン4人については、京楓、みさきは幼なじみ好きとして、琥珀、クレアは個人的な嗜好として好みなので、全員良かです。特に琥珀、感情の起伏が少なくて、一人称ボクで、人見知りだけど懐いたら寄ってくるという、俺の好み要素メガ盛りキャラでとても良かです! 物語として、きっとみさきがメインだろうから個別は最後にするとして、最初はやっぱりキャラクター的に一番好きな琥珀ルートからですかね。……と書いたところで、ふと、このゲーム始めてから一つも選択肢に出くわしていないことに気がつきました。これ、ルート固定のやつですかね?