はじめのはじめ

二次元傾倒な日々。

まいてつ日記。オープニングまで。

 ということで、『まいてつ』をプレイし始めました。
 
 しっかし凄いですね、このゲーム! まず驚いたのがシステム周りの快適さ。一度読んだ部分は、小節ごとに選べて再読できるうえ、その小節内の部分選択もシークバーで可能という徹底ぶり。あと、物語のテーマの関係から鉄道用語が本文中に頻出するため、用語集があるんですが、こいつをキャラが読み上げてくれるんですよ。さらに、用語によっては説明文の中にキャラ同士の会話がある。俺は鉄道関係の知識量が乏しく、基本的には出てきたワードはすべて見るようにしているんですが、まったく退屈しない。
 
 続いてキャラクターについて。造形、E-mote、声がばっちり噛み合っている。日々姫の「そいたら、にぃに──んんっ──ということは、兄さん」っていう、地の隈元弁を標準語に直す台詞一つをとっても、表情、仕草、声色……ここまで出来るものなんですね。そして、ここまでするからこそ、生きてくるんですね……。しばらく会っていなかった義兄が、その本質がまったく変わっていないことに安堵する。自分の成果や善行を人に見られることを恥ずかしがる。自己を犠牲にするかのような義兄の行動に誰より憤る。そんな日々姫の姿から見えてくるのは、『優しい人間が馬鹿をみること』に対する恐れ……みたいなもので。世間の冷たさに立ち向かうためには、強くあらねばならない。そして過度な優しさは、他人につけ込まれ得る弱さであると。そんな『壁』が見えるような気がします。もうめんどくさい匂いがぷんぷんですね! 楽しみです!
 
 あとですね、文章との相性が抜群でした。こればっかりは好みの問題が強いですが、ほんとしっくり来るんですよ。エロゲの文章ということならば『トノちゃんと並ぶほど』、と言うことになんら躊躇いを感じない自分がいて、驚きを感じるくらいには。……なんというか、我ながら随分と時間がかかったなぁ、とか思ったりします。それはさておき……。
 自身を『道具であり、物である』と誇らしく語るハチロク。その言葉に、というわけではないけれど、ハチロクへの共感を持つ双鉄は、明確な歪みを持っているはずです。けれどその歪みを、ほとんど気にならないくらいに演出する構成、筆致。ほんとうに、素晴らしいです。
 
 ようやくオープニングまで進んだところですが、いったいどれだけの熱量が共有できたら、こんなゲームを創ることができるんだろう。凄まじいな……。

星メモ日記ラスト。Eternal Heartについて。

 星メモEH、夢アフターとメアアフターを読了しました。本編の方は、若干消化不良で終わってしまっていましたが、このファンディスクできれいに補完されています。以下、少しだけ雑感を。
 
 メアアフター。なんというか、このライターさんは洋とメアが恋人になるシナリオは描きたくなかったんじゃないか、とか思ったり。いや、メアすげえ可愛いんですけどね……。このゲームって、コンセプトありきで作られてるじゃないですか。七夕伝説、星にまつわるおとぎばなし。そこでメアに与えられている役どころは、あくまで“友達”とか“娘”であって。それを、無理に“恋人”という形にしている、っていうことをすごく感じる。邪推すると、わざとそういう印象を与えるように書いているんじゃないか、とまで思う。肩車のシーンとかプールのシーンとか、特に。
 メアが、洋と夢の願いの光を与えられて今の形を保っている、という設定である以上、洋とメアが恋人として結ばれる場合には、夢は新たな光を獲得する必要があるはすで。その“新たな光”は、本編でもこのファンディスクでも直接語られてはいません。けれど、きっとそれは、洋とメアと夢の『三人』で一緒にいたいという、そういう願いから生まれるものであるんじゃないか。そんなことを考えたりしました。
 
 夢アフター。本編では不十分だった、洋と夢の幸せな日々の描写。そしてメアの隕石を見つけるまでのお話。星メモを総括する、良いシナリオでした。幸せに幕を降ろすためには、やはりここまでの描写が必要なんだと思います。それは、物語の構造としては『蛇足』と言われてしまう部分なのかもしれないですが、エロゲは、その蛇足を描写することを許されている──むしろその部分を描写することに意味を持っている──数少ない媒体であると信じています。変わらない星空の下で、緩やかに変わっていく日常。散りゆく桜を惜しむのではなく、輝きはじめるだろう初夏の星々に想いを馳せる。これまで積み重ねてきた想い出に永遠を、これから歩いていく明日に夢を。

星メモ。夢、メアシナリオについて。

 夢、メアシナリオ読了してました。
 きっつい……波長が合わないのに読ませる力があって面白いシナリオって、すごい性質が悪い……。
 実は一週間前くらいにプレイし終わっていて、ずっと悶々と考えていたんですが全然消化できそうもなくて、こうやって文章に起こしていったら多少は受け入れられるんじゃないかと思ったので、書いておきます。
 
 これらのシナリオ、夢、メアの分岐が発生するまでは共通部分となっており、そこでは洋の救済が描かれているという構造。幼いころから誰にも頼らず、家族にすら甘えることなく生きてきた洋。七夕の短冊ですら「捨てたんだ」と語った彼が、唯一願い事をしたのが、引っ越しの日に流れた星に対してだった。そんな子供の頃から変わらずに生きてきた洋を、
 
「ちがうんだよ……」
「それ、ちがうんだよ……」
 
 そう言って、優しく抱きしめる夢。自分はお姉さんだから甘えてもいいんだよ、と。病気だからとか関係ないんだよ、と。
 いや、夢にその役割を背負わせるのって残酷すぎませんか……。夢だって無理してるじゃないですか。自分がお姉さんだからって、関係ないじゃないですか。このシナリオと俺の考え方が全然噛み合ってないからかもしれませんがあの展望台でのシーン、正直痛々しくて直視できなかったです。ごめんなさい、これは多分俺が、主人公に向けられる"包容力"だとか"包み込むような愛情"みたいなものに苦手意識を持ってるからだと思います。てんちょさんと違って、俺は”家族”っていうものに拒否反応はないんですけれど、母性みたいなものが入ってくると、けっこうきつい。ほとんど唯一の例外って、Gardenの愛ちゃんシナリオくらいかも……。あの作品が成功(もちろん、商業的な意味でなく)しているのって、舞台設定の秀逸さによるところが大きくて。幼なじみが亡くなってしまったことにより、主人公にとって意味を失った世界。行き着いた先は箱庭を彷彿させるような楽園。そういう舞台だからこそ、ひたすらな愛情が映えるんじゃないかと思っています。
 
 話が脱線しました。
 洋にお姉さん風を吹かせたかった、そんな幼いわがままをずっと守ろうとしていた夢。一応、俺も理解はしているんですよ。ああいう過去を持つ洋を受けとめられる女の子を考えれば、夢みたいな造形になるってことは。けど、やっぱり考えてしまう。そこまでの過酷を背負わせる必要があったのかって。
そして夢もよく理解している。洋に甘えてもらうためには、決して弱い自分を見せては駄目なんだと。弱い自分を見たら、きっと洋は無理をしてしまうから。だから、弱い自分を見せるくらいなら、忘れてもらった方がよほどいいのだと。彼女が流れ星に願った内容は、どう取り繕うとも"残酷な優しさ"でしょう。それを「変わっていく何もかもの中で、唯一変わらない、私の永遠」と言わしめる筆致。いやー、きっつい……。
 
 「永遠」という言葉が出てきましたが、そいつは洋の救済と同じく、このシナリオに息づいている大きなテーマだと思います。
 部室で岡泉部長が語った、天文学の意義。
 生きているものは、かならず死ぬ。それは星だって、宇宙だって同じことで。死という終わりへと続く中で、なぜ生きていくのか。
 それに対する答えは、物語終盤で千尋が語っている。
 存在したということは、誰にも否定できないこと。存在とは破壊し得ないもの。それこそが、永遠の真理。
 存在したということ。いずれ星に還ってゆく時にも抱えていくことができる、想い出という名の光。
 このあたり、重要なはずなのにあまり詳しく述べられてないですよね……そういう世界観をある程度受け止めておかないと、メアシナリオが、メアちゃんとせっくすする以外の意味を成さない気がするんですが……。そういう点でも、不親切な構造だと思います。
 すごいざっくりとした解釈ですが、”強い願いや想い出を光に喩え、そこに永遠性を持たせている”ということなんでしょう。
 その光は、三次元を生きる我々には見ることが叶わないけれど、確かに、いつまでも、そこにあるのだという。だからきっと、世界は万華鏡のように、想い出の光に満ちている。
 
 ……我ながらすごい雑な感想。なんかきちんと読めていない気がしてもやもやするなぁ。EHまでやったら解消するのかな。でもそろそろ別のゲームやりたい。『まいてつ』とか面白そう……。

星メモ日記。小河坂千波について。

 千波シナリオ読了。俺はもうだめです……読み終わってしばらく放心状態でした。他の個別シナリオに比べて頭一つか二つくらい飛び出てる。完敗です……。洋ではないですが、「千波最高ー! サイッコー!」と叫びだしたい気分。霧散して雲雀ヶ崎の空にとけていきたい……。
 
 “生まれてくる家は選べない”って言葉があるじゃないですか。家族ってやつは選択的ではなくて、生まれた瞬間から持っている最初の関係性。それは、良くも悪くも相当な強度を持ったもので、どういう形にせよ、付き合っていかなくてはいけない存在なわけです。家族に内分される“兄妹”という関係も、同様に兄妹が生まれた瞬間から発生するもので。同じ屋根の下でご飯を食べたり、ゲームしたり、風呂に入ったり、喧嘩したり、そうやって一緒に過ごしてきた存在。兄妹の数だけ、兄妹の形があって、ふとしたやり取りの中に、ふたりが積み上げた時間が垣間見えることがある。
 だから、エロゲの妹シナリオって、多くは兄妹から恋人へっていう関係性の変化に焦点をあてることになるじゃないですか。兄妹という、とても強固だけれど一線を越えることができない関係から、どうやって恋人となるか。そこには恋心の発生があって、葛藤があって、解決がある。
 けれど洋と千波の場合は、そうではなくて。
 千波シナリオって、上述したような関係性の変化ではなく、もっと根底にある部分、つまり“生まれてくる家は選べない”っていうところにメスを入れてるんですよね。しかもそれは“家族に対する否定”ではなくて、“自分の生まれに対する否定”なんです。その葛藤は、物語が始まる前にある程度の進行をみている──いうまでもなく、洋と作ったオルゴールの音色を聴いた時ですね──わけですが、千波の中で消化されたということではない。それは、個別シナリオの冒頭に語られるオルゴールの音色を聴くことで元気を育んでいけるというエピソードや、父親の幽霊かもしれない存在に遭遇したときの台詞からも明らかです。
 
「千波は、いらない子供だったの────?」
 
 父親に、どうしても聞きたかったこと。自分の存在が、家族の負担となっている。家族だから、その関係はとても強固で動かしがたいから、投げ出すこともできない。その果てに、母親はいなくなってしまった。自分がいなかったら、みんなは幸せに過ごしていたんじゃないか。ただ、自分がいないというそれだけのことで。
 そんな言葉を叫びながら部室の扉を開いた千波、その先にいたのは父親ではなく、レンで。けれど、千波の言葉に対する答えを持っていた。
 
「キミにとっては悪夢だったそれも……」
「みんなにとっては、夢だった……」
 
 泣いてしまうくらいに優しい答え。そうして目覚めた千波を、抱きしめることができた詩乃。そう、千波シナリオは関係の変化ではなく、どうしようもないくらい関係の修復の物語だったように思います。千波と両親。小河坂兄妹と詩乃。洋と大河。大河とレン。大河と家族。そしてその中心には、千波がいて。千波の笑顔があって。
 ダメな子ほど可愛いというのも、もちろんあるのですが、ダメダメな人間がそれでも頑張る姿というものは胸にくるものがあると思います。レンもきっと、人間のそういうところが好きなのかもしれません。彼女がいう「ダメ人間」には、からかうニュアンスが多分に含まれているけれど、その瞳にときおり愛しさが垣間見えるのは、俺の気のせいではないでしょう。そしてそれは、千波と洋の間にもあって。千波の頑張りに、笑顔に、どれほど洋が救われていたかは計り知れません。
 
「そのままの千波が好きなんだ」
「おまえが幸せになれるなら、俺も幸せなんだから……」
 
 兄も、母と同じように、犠牲になってしまうのではないか。そんな恐れから、自分が変わろうとしていた千波。そんな千波を、洋が受けとめるわけです。そして、この「好き」っていう肯定は、実は二回目なんですよね。一回目は、一緒にペーパーオルゴールを作っていた時。千波に「大嫌い」といわれた洋は、けれど「好きだ」と答えた。自分のことをいらない存在と思っていた千波にとって、この言葉は、強く心に突き刺さったに違いありません。
 そう考えると、千波シナリオとこさめシナリオには類似点があります。“自分という存在の受容”ですね。タイトル画面──明日歩、衣鈴、こももの段階では昼の雲雀ヶ崎の風景だったそれが、千波とこさめシナリオになると夕方に変わる──の演出には、黄昏時にたたずむ彼女たちの手をしっかり掴むというシナリオの趣旨がこめられているのかな、と思ってみたり。
 
 ……少し話が逸れました。
 洋に負担をかけないようにと、変わろうとしていた千波。折れてしまいそうになりながらも、毎晩オルゴールの音色を聴いて明日も頑張ろうと元気を出していた千波。けれど洋に朝ごはんを作られてしまい、怒りながらも食卓につき美味しいご飯を食べていたダメ可愛い千波。そんなそのままの千波を洋が受けとめて、ふたりは恋人同士になるわけですが、その関係がまた独特で。
 
 兄妹よりもずっと一緒にいられる関係。
 キスができる関係。
 働かないでお小遣いもらえる関係。
 キャベツ畑で男の子を授かってコウノトリから女の子を授かる関係。
 
「これで全部だよっ、この四つがあれば千波は末永く幸せだからねっ」
 
 洋に、恋人ってどういうものかわかっているのかと聞かれた時、千波はそんな風に答えます。その言葉に嘘の色はないんです。千波にとっての恋人とは、そんなもので。恋人になったからといって、兄妹でなくなるわけではない。洋は千波に対して容赦のないつっこみを続けるし、千波は相変わらずダメ可愛くて、トンデモ料理を作り続ける。ただ、できることが増えた。恋人同士がすることができる。なにより、ずっと一緒にいることができる。そんな洋と千波の関係は、兄妹であり恋人でもある二人のやりとりは、どうしてかとても自然で、連続的に映るんですよね。積み上げてきた二人の時間が、やり取りが、そうさせるのかもしれません。それは、エピローグの部分でも丁寧に描かれています。
 九月の雲雀ヶ崎の朝日を浴びて、通学路を走り出す洋と千波と衣鈴と鈴葉。「急がないと遅刻だよっ」と完全に自分のことを棚に上げた千波が洋の腕に抱きつき、「くっつくな」と洋がぶっきらぼうに照れ、「……仲がよろしいことで」と衣鈴が呆れ、「ふたりはお似合いの兄妹だと思いますっ」と鈴葉が力説する。そんな何気ない、いつも通りの朝のやり取りが、どうしてこんなにも眩しくて泣きそうになるんでしょうか……
 あー、千波シナリオ本当に面白かった……。

星メモ日記。姫榊こさめについて

 というわけで、久しぶりに星メモの続きをプレイしていました。予定通りこさめさんのシナリオを読了した……のですが。
 やばいです、こさめさん、可愛いです……いや、正直にいうと舐めてました。だって俺たちってどこまでいってもちっちゃい女の子が好きなわけじゃないですか。八重歯がみえるような笑顔で「わはー」とかいう女の子に無条件降伏しちゃうじゃないですか。だから、大人びてみえるこさめさんのようなキャラって、好感は持てたとしても可愛いとは思わないだろうなーって高をくくっていたんです。それが、個別シナリオ入って付き合いだしたら……傷つかないように予防線を張って一定の距離をたもっている女の子って、こんなにもめんどくさくて可愛いということを、俺は知っていたはずなんですけど、既知かどうかは関係がないですね。やられました。
 
 ここを読んでくださっている方の大半は、星メモなんて数年前にプレイ済みでしょうから、こさめさんの背景なんて説明する必要はないという前提で書いていきますけれど、こさめさんって“まつろわぬもの”とかいう存在じゃないですか。姫榊こさめという女の子にとって、自分の人生は既に終わってしまっていて、後は事後処理というか……いかにきれいに物語の幕を降ろすかというそれだけのために存在しているという状態。こさめさんは皮肉にも賢い子どもでしたから、いつまでも都合よく雲雀ヶ崎に留まっていることができないだろうと察していたはずです。それは彼女の家庭環境が“まつろわぬもの”をおくり還すという使命を負っていることにも起因していたのでしょう。彼女は、彼女の家庭にとって、在ることを許されてはいない存在。そんなこさめさんにとって、こももからの全肯定は、いかほどの救いだったか。星天宮という境遇にありながら、まつろわぬものとなった自分の存在を認めてくれる。その受容は、その肯定の価値は……はかり知ることはできなかったでしょう。そして同時に、どれほどこももや、家族の立場を危うくさせているだろうかも、よくわかってしまっていた。上で事後処理と書きましたが、自分が在ることで狂ってしまった状態を元に戻すため、といったほうが、より正確でしょうか。こももの存在は、こさめさんにとって救いであると同時に、到達すべきゴール地点でもあったわけです。
 
「だって、わたしには、恋をする資格がありませんから」
 それは絶対にこさめさんの口から出てくると思っていた言葉。こさめさんにとってのゴール地点はこももなのだから、それ以上に、しがらみを作ってしまうわけにはいかない。それは彼女の考える、奇麗な去り方ではないのだから。こういう予防線張ってくる女の子やばいですよね。そのくせ洋に冗談で付き合ってとか言われた時に照れ隠しにチョップとかしちゃうわけですよ。ぜんぜん上手くごまかすことが出来てない。こんなの、後で絶対崩れるに決まってるじゃないですか……。
 恋に憧れていると同時に、極度に恐れているということ。物語終盤に彼女の口から出た“ウサギは寂しいと死ぬんじゃない。抱きしめられると死んでしまう”という趣旨の言葉は、まさにそれを明示しています。どれだけ自分の存在を肯定してくれる人がいたとしても、ほかならぬ自分自身が、自分の存在に肯定的でない限り、ここにいていいのかわからない。いつ消えてしまうかもわからない恐怖という名の見えない鎖によって、常に締め上げられているこさめさんにとって、完全な状態である満月を忌み嫌っているこさめさんにとって、満ちたりてしまうことへの明確な恐れが、そこにあるんです。満ちたりてしまったら、後は欠けていき、最後には消えてしまうのだから。
 こういう、こさめさんの恋に対する二面性が、天秤の両端でゆらゆらと揺れながらつりあってしまっている状態がこのシナリオの妙であって、一言にすると“こさめさん信用できない”というところに集約されるんでしょう。
 個別シナリオ中盤にある“一日限定の恋人ごっこ”なんて、まさに期待と恐怖がごちゃまぜになった感情に起因しているものですよね。
 
「わたし、小河坂さんの彼女に、なっていますか……?」
「誰かが見たら、どう思うでしょうか……」
 
「他人の目なんか関係ない。俺がこさめさんを好きで、こさめさんが俺を好きなら、恋人だろ」
「俺たち、だからデートするんだろ?」
 
「わたしでも、恋人ごっこくらいなら可能なんですね……」
 
 ここの会話とかもう、完全に読者殺しにきてます。全然ふたりが言葉に乗せた気持ちが噛み合っていない。洋はこさめに《恋人をつくる資格はある》ということを知ってもらいたい、こさめと一緒にいる自分はこんなにも幸せだ、ということを伝えたいのだけれど……こさめさんにとっては、恋人“ごっこ”以上のことは、そもそも望んでいないのだという。そもそも“一日限定の恋人ごっこ”というもの自体がパワーワードすぎて、多分特定の人間に鋭い刃のごとく突き刺さるものでしょう……。
 
 このシナリオで協調されているのは、やっぱり上述したような天秤の揺れであって。そして、これは絶対に意図的にそうしたんだと思いますが、こさめさんはそれに耐えることができるほどの強さを持っていないというところ。こももシナリオでこももの強さが描かれたように、こさめシナリオではこさめの弱さが描かれている。そしてその弱さは、克服されるとかそういう類のものではなくて。弱いままでどうやって生きていくか。その解答を得るというラストになっているのが、また俺の好物なんですよ……。
 物語終盤、自分が満たされてしまったと感じたこさめさんは、ひとり、舞台の幕を降ろそうとします。幕引きのシーンは、奇しくも全ての始まりである展望台。幽霊との恋物語は、悲恋という名のハッピーエンドでなければならない。ならば、今この場面で消えるのが一番幸せなんだろう。《これ以上、この恋物語を続けることで傷つきたくない》というこさめさんの弱さからくる幕引きは……けれど、洋の行動によって止められます。
 誰だって、大切な人を失った世界に取り残されるのは、身が引き裂かれるように痛いことで。そんな当たり前を、共有する。その痛みを、共有する。それは一種の共依存といってもいいのかもしれません。自分が存在している価値を、相手に求めるそのやり方は、誤解を恐れず言うならば、異常ととられてしまう方法で。少なくとも、物語ラストで洋がとった行動──自分の手首を切るというそれ──は常軌を逸していて。けれど、だからこそこさめの天秤を壊してしまうくらいの力を持っていた。このふたりが歩いていくには、それくらいの異常がちょうどよくて。なぜなら、こさめが語るように「ふたりじゃないと抱えきれないくらい、この恋はとっても重くて、大きい」のだから。
 
 
 余談。
 ポエム的な締めくくりをぶっ壊す形になりますが、まーた“はじめてのせっくす”が野外だったよ! もう、なんなの……。こもも以外みんな、はじめては野外の会の会員じゃないですか……。いやまあ、こさめさんの場合は、野外であることに理由付けはされていたけどさ!

にっき

今週末は友人の結婚式のため東京へ行くことに。なので、星メモ日記はおやすみです。次は多分こさめさんシナリオに進む予定。こさめさん絶対めんどくさい人ですよね? こんな不確かな存在である自分は、幸せになっちゃいけない……みたいな。それは裏返せば、いつか消えてしまう存在ゆえ、失う事や失わせる事に怯えているということで。楽しみじゃい!

ところで、移動中の電車で読むために、kindleにどんなラノベを入れていこうかと見繕っていたところ、円環少女の13巻セットがあったので購入。面白いラノベってことで、いつだったか名前を聞いたことがあった。……しっかし、冷静になって考えてみると、往復の電車で13巻も読めるわけがない! いや、冷静にならなくてもわかってた。いいかげん読みたいと思った本をポチポチ購入する癖を直さねば。

星メモ日記。姫榊こももについて

 こももシナリオ読了。
 
 姫榊こももは、妹のこさめが見ていてくれるならどこまででも強く在ろうとすることができる、そんな女の子だったのだろうと思う。ものすごく簡単な言葉で置き換えてしまえるなら、「お姉ちゃん基質」の究極系、みたいな。こさめが誇れるような姉でありたい、という願望が行動の原理になっている。けれど対するこさめは、こももが上述したような強さではなく、“自分がいなくなったとしても前に進んでいける”、そんな強さを持ってくれることを切望している。……今語ったような、この物語の歪な基底状態は、こももシナリオ終盤でようやく明らかになる。
 
 こももにとっての特別な存在は、これまでずっとこさめだけだった。それが揺るぎ始めたのは、言うまでもなく「お姫様だっこ」のシーンからだろう。それまでのこももにとって、洋という男の子はただの友人だったはずだ。
 
「小河坂くんって律儀よね」
「姫榊の生真面目さには負ける」
 
 こももが洋を意識し始めるまでは、お互いに信頼し合っている友人関係で。上で抜粋した会話に代表されるこももと洋のやりとり、距離感はとても心地よく映る。けれどこの段階では、洋はまだ線の外側に立っていて。こももが生真面目に頑張っているのは、結局のところこさめが見てくれているからなのだ。
 こももシナリオの序盤を読んでいた時、どうしてこの子は他人に頼ることをしないんだろう、その性格はどこからきているんだろう、などということをずっと考えていた。けれど、自分の半身と言っても過言ではない妹が見ている前で情けない姿なんか見せられない、そういう精神からきているのだとしたら納得はできる。突き抜けすぎでないかとは思うけれど、洋曰く“生真面目”ということなんだろう。
 そんな風に他人に弱みを見せていなかったこももだけれど、不意打ちみたいな形で洋に助けられてしまうわけで。しかもお姫様だっこなんて、自分が女の子であることを嫌でも意識してしまうような状況。この場面から、こももの心境に変化が生まれているのは明白だろう。その表出は、お弁当のシーンなどで描写されている。こももが、弱い自分を見せてもいいと思える。唯一、洋だけがそういう存在となっていく。
 
 “弱い自分でも受けとめてくれるこの人がそばにいてくれるなら、自分はいくらでも強く在ろうとすることができる”
 こももと洋の関係性って、物語上では「支え合って」なんて言葉が使われているけれど、どうにも適切な表現じゃないように感じる。共に歩いているんだけれど、隣同士というわけではなくて、こももが先行していてその後に洋が続いている、というイメージ。洋が後ろから見守ってくれているから、こももは自信を持って歩くことができる、みたいな。だから表面上では、こももはすごく強い女の子に見えるわけで。
 
「逃げるわけには、いかないのよ……」
「待たせるわけにも、いかないのよ……」
 
 物語終盤でのこももの独白。前者はこさめに対して、後者は洋に対しての言葉だろう。たとえ泣きじゃくって一度は立ち止まってしまったとしても、こさめと洋が信じてくれているなら、進まなくちゃいけない。ここでも、こももの強さが際立っている。
 
 結局のところ、こももシナリオは終始、こももの強さが描かれているわけだけれど、まるで仕組まれたかのように、あのエピローグへ収束していく。こももがいて、こさめがいて、洋がいるならばあの結末は約束されていた、とでも言えばいいだろうか。でもなんだろう……何か見落としがあるみたいに、違和感が残っている。何か思いついたら、また加筆しよう。
 それにしても、こもも、強すぎるよなぁ。眩しいくらいに格好いい。
 
 
 ところでこももシナリオを読んでいてふと、AIR美凪シナリオを思い出した。構造的にそこまで似てるってわけでは無いと思うが、「現実と向き合っていくまでの心地よい夢」みたいな雰囲気が記憶の扉を叩いたのかもしれない。美凪と言えば、某氏が書いたAIR感想があって。これまでネット上で様々なエロゲの感想を読んできたけれど、中でもやっぱり突出していたと思う。憧れて、少しでも近づきたいと思って、けれど俺の文章ではまだまだ足下にも及んでいない。……いつかあんな文章が書きたい。