私信のようなもの。
ワールド・エレクションはじめました。
引き続きエロゲ熱が冷めやらぬ、ということで、ワールド・エレクションというゲームをプレイしております。ワールプールというメーカーの十周年記念作品らしいですが、俺はここの作品ひとつもやったことなかったです。……なんではじめた。
内容としては、突如5つの異なる世界が繋がっちゃって、当初はいろいろあったけど、今はようやく均衡がとれてきたかなーっていうような舞台。で、お互いのことをもっと理解していきましょうねー、みたいな構想で作られた特区にある学園で、悪魔やら天使やら獣人やらと一緒に、わちゃわちゃするわけです。よく見かけるけど、個人的には結構好みの部類の設定です。
しっかし、共通シナリオが面白いゲームは、読んでいてほんとに幸せですよね。色々なゲームの共通シナリオだけ読んでいたい時もあるくらい。昔のpulltopあたりが得意な印象がありますね、特にしろくまベルスターズとか秀逸です。
このゲームの場合のそれは、ほとんど生徒会選挙について描かれているわけですが、各ヒロインを絡めた選挙活動イベントが順番に発生していき、共通ラストで選挙結果発表という流れとなっています。これがまた、主人公である敬をとりまく状況や、本人の意識が徐々に、けれど大きく変わっていくのが描かれてて、読んでいて飽きないんですよね。女の子も大体みんな可愛いですし。ひとり、まったく興味がわかない子もいますけど……。なんでしょうね……妖艶で、グラマラスな、お姉さん系、という……俺の好みをどうしてそこまで逆張りするのソフィアさん……。
まあ、そんなことより妹ですよ。最近流行りのサブヒロインじゃないですよー。
この妹、お兄ちゃん好きをこじらせすぎててやばいです。まず、お兄ちゃんが学園で孤立してる状況に対して「なんでお兄ちゃんのことよく知らないくせに恐がるの!」ってなって、そこから「こんな学園にいたらお兄ちゃんは傷つくだけだ……」となって、「お兄ちゃんのことをわかってくれる実家に連れて帰ろう……」ってなります。でもそんなこと直接言えるわけがないので父親を使って、なんの成果もあげていない主人公を退学させようとするわけです。そんで、いざ兄が生徒会選挙に立候補したら、自分のことを頼れないように選挙管理委員という中立の立場になるわけですが……途中から応援したくて仕方なくなるっていうね。当初は誰もお兄ちゃんを認めようとしない学園が嫌いだったけど、みんながお兄ちゃんの良さに気づいていくにつれて、『私だけが知っている』という特別さが失われていく。お兄ちゃんを認めてほしいという気持ちと、ひとりじめしたい独占欲がごちゃごちゃになって、でも自分は中立の立場を選んでしまったから応援もできなくて……最後にとうとう、我慢できなくなって泣いちゃうんです。……もうね、めんどくさすぎて可愛すぎでしょう。めんどくさい妹最高! こりゃもう最初に攻略するしかねえってわけです。
ということで、妹である伊織のルートに入ったぐらいのところまで読み終わりました。最近仕事が忙しくて殺伐としておりますが、このゲームが心の清涼剤となってくれることを祈って、ぼちぼち読み進めていきます。
サマポケクリアしました。
サマポケ感想。灯台の少女。
紬ルート読了。……ずるい。ほんとずるい。結局さ、『最後は、どうか、幸せな記憶を』に帰結する物語をやられたらこっちはどうしようもないわけですよ。抗えるわけがない。
そんなわけで、よくわからんくらいぐちゃぐちゃに泣いてたわけですが、じゃあ紬ルートが物語的に上手かったかと言われると、うーん……微妙です。このルートって、紬といかに最後まで楽しく過ごすかを描いてるわけで、それは成功してると思うんです。つまり、物語上の主目的は達成できている。現に俺はずびずびに泣いてるわけですし。けれど、それ以外の部分が弱いというか。もっとも大きいところで、静久の存在意義の掘り下げですね。紬と羽依里と静久。三人一緒で過ごす夏休みで、そこにこだわりがあったわけじゃないですか。静久にとって紬は、「残りの夏休み全部をあげる」ことになんの躊躇もしないような存在で、それは、羽依里にとっての紬と比べてもなんら遜色はないんですよ。だからどうしても、そこに理由を求めてしまう。
あと作中で、「夏休みって、全く話したこともなかった奴と遊ぶようになって、めちゃくちゃ仲良くなって、時間が無限に感じられて……でもそんなことはなくて、終わりを嘆いて」みたいなことを羽依里が言ってたと思うんですが、静久も最後に「わたしにとって、紬は夏休みそのものだった」とか言うんですよ。その言葉に、もやもやしたものを感じてしまうのです。
この夏休みは、三人で過ごした奇跡みたいに美しかった季節は、紬が百年近くの間、ツムギの代わりを勤めていたことに対するギフトに他ならないわけで。梅雨の終わりに加藤のばーちゃんが亡くなって、ツムギを知る人間が誰もいなくなって、本来、紬の役目──いなくなったツムギのことを皆が忘れないように──はそこで終わるはずでした。それでも紬がまだ残っていたのは、長雨の季節が終わり初夏の香りが感じられた空の下を歩き出したのは、「お前がやりたいことを、やりなさい」という言葉をくれた人がいたからです。それはまぎれもない、紬が手に入れた最初で最後の夏休みだったわけです。それをさ、紬は夏休みそのものみたいな言葉で飾ってしてしまうのは、どこか違うなぁと思う。
確かに紬は、たくさんの思い出を抱えて、夏の終わりと共にに還っていきました。そして、結果的には、来年の夏にまた、灯台のドアからやってくることになりました。けれどそれは、紬のこれまでの頑張りと、何人もの優しさと、いくつかの偶然の末にたどり着いた結末です。羽依里と紬と静久は、この眩しかった季節を三人一緒に駆け抜けた、友人だったわけじゃないですか。残される者、還っていく者という違いはあれど、それは対等の関係に違いない。だから、残された者がこの夏の思い出を胸に、涙を流し嘆くのも、それでも前へ踏み出すのも、来年の夏に紬にまた逢えるかもと淡い期待を抱くのも別にいいんです。思い出との向き合いかたは、人それぞれだから。けれど……紬を象徴化してしまうようなやり方は、共に駆け抜けた友人を同列から外して、どこか神聖視してしまっている気がする。だから、「紬は夏休みそのもの」という言葉には、もやっとしたものを感じたのだと思いました。
あー……完全にいちゃもんばかり書いてしまいましたが、ぐちゃぐちゃに泣いたことは事実です。よかったっす。
サマポケはじめました。
昨日の夜、amazonで注文していたsummer pocketsが届きました。急いでインストールして、夜通し、とはいかないまでも今日一日まるっとプレイして、鴎ルートを読了、現在は紬ルートに入ってしばらく、という状況です。keyのゲームをプレイすることは、多分リトルバスターズ以来ですので、10年くらい前、ということになるのでしょうか。そこからさらにclannad、air、kanonとさかのぼっていくと、20年──まあプレイしたのは十数年前ですが──ではきかなくなり……もう驚くくらい遠い過去ですね。それほどまでの長期間、一線で活動しているkeyというブランドには畏敬の念すら抱きます。
なぜ発売からしばらく経った今、サマポケをプレイしようと思ったかというと、単純にyoutubeのエロゲソングメドレーを流していたらopテーマが流れてきて、無性にプレイ欲が掻き立てられたからです。……あいかわらず曲から入る奴だな。それ一番信用しちゃいかん要素だろ。シナリオとかキャラとかまったく関係ないし。まあ、このブランドに関しては、面白さ、という意味では不安は全くないという安心感があるので大丈夫ですが。と、そういう予想を裏切らず、夢中で今まで読み進めていました。それで、プレイ直後の感想について、文章に残しておきたいと思い、キーボードを叩いています。勢いで書いているだけなので、すごく読みづらくなる予感しかしません。それでも、まあいいか。そういうのを残しておきたいと思ったから、そうしている。
そういうわけで、summer pockets。ある島で過ごす夏休みのお話。なんでしょうね、こういうテーマで作品を創ろうとして、それが作中で一貫していて、やっぱり物語的にめちゃくちゃ面白い。単純にそれができるということが、keyが今現在でも一線で活動している理由なんだなというのが、第一印象でした。なにせ、物語が夏休みから始まって夏休みで終わるのだから、学校の描写が無い! 当たり前のことなんですけれど、まずそれが新鮮ですよね。まあ普段の俺が学園ラブコメ的なエロゲばかりプレイしているからかもしれませんが。夏休みを利用して鳥白島に住む叔母の家にやってきた羽依里、うみちゃん。初対面だということを差し引いても、彼らの共同生活はどこか歪なもので、それがもうたまりませんね。生活リズムも食生活もバラバラで、だけど同じ屋根の下で寝食を共にして、お互いに思いやりはあるけれど、必要以上に深くは関わらない。やばいですね、この家の描写がほとんど無いのはゲーム上意味を持っていないからなのか、意図的に隠しているのか。後者だったら、爆発させられた時に完全にやられるでしょうね……。ほんと、読んでいてびっくりするくらい文章のリソースにまったく無駄がなく、それでいて不自然さを感じないので、見事という他ありませんでした。
それで、えーっと、夏休みの話でした。夏休みって、いわば非日常のひとつなわけじゃないですか。普段のルーチンではなく、祭りの日みたいに特別な。けれど祭りの日と違うのは、それがひと月以上続くっていうことで。ある程度のスパンを持った非日常なわけです。子供ならば万人に与えられていると言っていい、けれど大人になったら失ってしまう。何かを為すことができた子もいれば、取り立てて大きな出来事には遭遇しなかった子もいる。多くの友達と過ごした子もいれば、誰とも顔を合わさず一人だった子もいる。そんな思い出も、時の流れとともに忘却の彼方へ吸い込まれていってしまう。……けれど、あの夏に感じた太陽の眩しさは、うだるような暑さは、ふきだす汗は。それだけは誰しもに平等だったはずで。キャッチフレーズの『眩しさだけは、忘れなかった。』っていうのは、そういうことなのかなとか思ったりしました。
鴎ルートについての雑感とか。
子供の頃の思い出って、その時はかけがえのないものだと思っていても、年を取って大きくなるにつれて、大なり小なりの規模はあれど、いくつもの思い出の中のひとつになっていくじゃないですか。けれど人によっては、その『いくつもの中のひとつ』が、『たったひとつだけの、かけがえのないひとつ』になってしまうわけで。そうなった時、その思い出は、もはやただの記憶ではなくなっているんですよね。こんな自分でも得ることができた大切な宝物。それを抱えているだけで、生きていけるような、満足して消えていけるような。多くを得た人々は、それを、暗いだとか、後ろ向きだとか言って顔をしかめたりするのだろうけれど。記憶の価値は、他人が決めるべきものでは無くて。……話がそれましたね。鴎の場合のそれは、けれど、未来へ向けた願いに繋がっています。自分がもらった思い出は、皆がくれたものだから、今度は自分が渡す側に立ちたい、と。そうやって前に進んだのが久島鴎という女の子です。その軌跡を知ることが、このルートの大きな意味の一つだと思います。そしてもう一つは、思い出は自分が抱えていくものだけど、願いは誰かに託すこともできるということ。そうやって叶えた願いは、また誰かの思い出になっていく。それは控えめに言って、奇跡みたいな話で。物語みたいな物語で。だからやっぱり、めでたしめでたしで閉じられるべきなんだ。そんなことを思いました。
サボってたにっき。
にっき
<おんがくとか>
Ducaの15周年ベストが届いたので職場への往復電車の中で繰り返し再生。この中では『観覧車~』と『My First Love』が二強ですかね。Meis Clausonという人の音作りが、俺の琴線にびびっとくるみたい。まあ、俺はアップテンポな曲調でピアノを全面に押し出されたら、美味い美味いと言いながらガツガツ食べるようなバカ舌──いや、この場合はバカ耳──の人間なのですが。それでもこの人、こういう曲以外にも、シンアイ彼女のEDや恋愛ルセットのEDみたいなバラードも作れて、しかもそれがまたいい曲なんですよね……すげえなぁ。
そんなこんなで、なんか他にいい曲ないかなーとyoutubeでエロゲのOPとか流したりしてました。アストラエアFinaleのOPとか、やっぱり何度聞いても痺れますね。時にアウトロの入り。こんなのゲームやりたくなるに決まってる……今年の冬にでもやるかー。あと、『永遠の魔法使い』とかいう魔女こいにっきのED。聴いた後、反射的にサントラをポチってました。最近ほんと財布のひも緩いなぁ……。いや、普段は一曲のためにサントラを買うなんていうことはほとんどないのですよ。今回は音楽担当が水月・樋口と外れようがない面子なので、いいかなー、と。ゲームの方も気になったのですが、シナリオに新島夕の文字が。サガプラの頃はそうでもなかったのですが、最近はちょっと苦手意識がついてしまっているのです。なんというか、作品にテーマありき感が全面に出ていて、登場人物がそれに付随しているというか。……単純に好みの問題ですが。それでいて、めちゃくちゃに面白いというところがたちが悪い。そういう作品は、総じて読んだときに受けるダメージがでかいんですよね。魔女こいにっきもいずれ読むと思いますが、タイミングを間違えると生活が酷いことになりそう……。
<エロゲとか>
今週は職場の空気が殺伐としており、なんでこんな環境で仕事せにゃならんのだと、精神的に疲れておりました。そんな気分でまいてつを進めるのは嫌だったので、癒されるために何かいいゲームはないかなー、とケースをあさっていたら『ひめごとユニオン』という懐かしいゲームが出てきたのでインストール。小春ちゃんに会いに行っておりました。小春ちゃん可愛いんですよー。とある理由でこれまで異性に触れないように生きてきたという女の子でして、主人公にも最初はつっけんどんな態度をとっているわけです。しかし、主人公にだけは触れても大丈夫なことがわかったり、互いの秘密を共有したりすると、実験とか言って、とたんにぺたぺたくっついてくる。計算高く積極的にアピールしてくるのも、周りの女の子に主人公をとられまいとする対抗心で、しかもその計算高さやむき出しの対抗心は自信の無さを隠すためのものという、そんな感じのジュニア女子……。他のヒロインには全然興味が沸いてこないのですが、共通部分もテンポよく進むので非常に読みやすく、小春ちゃんの頑張りも見れたので、なんとか今週も乗り越えられました。ありがとう小春ちゃん。
<まいてつ>
そんなこんなで小春ちゃんに癒されたので、休日はまいてつを進めることができました。日々姫ルート終了まで。日々姫の、家に対する確執とかが書かれるかなーと思っていたけれど、そのカンは外れましたね。日々姫にとってそれは、双鉄に受けとめてもらったこと、稀咲に認めてもらったことで、終わっていたのですね。
稀咲「いいや、日々姫。格好いいのはキミの方さ」
たった一言。この一言。日々姫ルートで一番……いや唯一、ボロボロと涙をこぼして泣いてしまった回想シーン。双鉄が帝都に出て行ってしまい、自分の味方をしてくれる人が一人もいなくなってしまった日々姫。背を丸め歩いていた彼女は、しかしある時、自分の絵を好きだと言ってくれる人に出会った。
誰かに認めてもらうこと。ふと、『三月のライオン』の「嵐のように救われることがある」という言葉を思い出した。不意打ちのように、落雷に打たれたように。人は突然に救われることがある。
誰も知ることのない日々姫の絵を、自分の好きなものを、皆に知ってもらいたいと稀咲が提案した同好会。絵を描いて、発表する。ただそれだけ、たった二人だけの同好会。なんということはない、美術部をやめてしまった日々姫の絵を発表する機会を作るというそれだけの意味に思えた稀咲の提案。けれどそれは、この物語の終盤にきれいにつながっているんですよね。
発表の場は、市長選挙戦の討論会。そして、描いた絵は日々姫、稀咲共に──御人夜の未来図。
日々姫「描きたい絵、本当は誰にだってあるんです。それを表現しやすい世界を、私はみんなと描きたいです」
二人だけだった同好会。けれどこれからはみんなで描いていきたい。そう語る日々姫に、笑顔で握手する稀咲。それは二人が出会ったいつかの日と同じで。
もうね……見事です……ありがとうございました。