はじめのはじめ

二次元傾倒な日々。

日々姫ルート、メモ書き

凪「痛かことから先に忘れよったら、人は簡単に死ぬばい。そぎゃんこつばわからんのは、心構えが悪かとよ」
 凪の言葉は、凪らしくもなく、水平だ。感じさせられた驚きは、すぐさま静かな納得に変わる。
 説明するでもなく“凪”というのは元気溌剌、明朗快活な少女の名前。名は体を表すことが多いこのゲームでは珍しく、一見、名が体の逆となっている少女。そんな凪が発する、まさに凪海のような言葉をして、”凪らしくもなく水平”と表現する。うっとり。
 しかも、そのあと凪はけろりと元に戻り、「授業料たい! オマケするばいっ!」と双鉄に詰め寄るんですよね。こういう、無邪気な少女に救われる、手を引いてもらう、という展開に極端に弱くなったのはいつからだろう。
 
日々姫「理解しました。出来ました。私少しも──有利になんてなってない」
 これは共通シナリオの最後の選択肢……ハチロク、ポーレットとの“誰が双鉄と一緒に行動するか”勝負で、自分を選んでもらえたことに対する“有利”ということなのでしょうね。そして、それでもなお稀咲という強大すぎるライバルがいることに気づき、気合いを入れ直しているという。
 
日々姫「同じことをしているだけです。わたし、兄さんの妹ですから」
 どの道が正解なのかわからない。だからその道が間違いであると決まるまで、今進んでいる道が正しいと信じて懸命に歩く。それは、大好きな兄から教わった方法。
日々姫「理解、してくれてますか? 私の気持ち」
 けれど、日々姫は語ります。自分に歩く方法を教えてくれた兄だけれど、ゴールに辿り着いたその先──終着駅について“それから”の事を、はたして考えているのか、と。ゴールはけっして、終わりではないのだということを。
 
日々姫「でも、私、わからせますから。兄さんに。そわそわって、うずうずって、こういうのかって、絶対」
 ああ──これは、あれだ。日々姫による双鉄攻略ルート。そうか、そういう展開で来るのか。これは面白い、意識的に攻略される双鉄というのは新鮮な感じがする。
 各ルートの方向性はもちろんそうなのだろう。けれど、駅弁のデザインとか、ハチロクの客車の手配先とか、そういう個別の問題についても、それぞれのルートで対応法とか結果を変えているのか。ルート個別の、意味がつながるような理由と結果。当然そうすべきなのだというのはわかるけれど、そこまでするのは手間で、それを惜しんでいないという印象を受ける。
 
日々姫「傷ば深めてしまうのは、ポーレットさん」
 
日々姫「にぃにぃたちに『謝らせてしまった』って……そしたらあん人、自分をもっと責めてしまいよるけんね」
 
日々姫「わかるんよ。私も、ポーレットさんと同じやけん……にぃにぃやハチロクのように、強かことなかけん」
 この言葉は、この思考は。“同じ”と語った日々姫にも、かつて同じことがあったのだろうと確信するに十分すぎるもので。きっとその時に『謝らせてしまった』のは真闇姉で。無力な自分のせいで、大切な人に頭を下げさせてしまう。そのことに、どうしようもなく傷ついてしまったことがあったのでしょう。
 
 市長選挙候補。区切りが良いところまで進めたので、今日はここまで。自分のことを”強かことなかけん”と語った日々姫。それでも──傷は痛く、苦しいけれど、兄と同じ歩幅で歩けるように。時には、手を、引いてあげられるように。決意するその姿は、凛々しく美しかった。

にっき

<かいもの>
 Amazonで色々ポチるの巻。ものべのhappy endとか、PS4版まいてつに付属してるLoseのサントラは昨日届きまして、Ducaの15周年ベストアルバムは発売日がまだなので来週に届くみたい。『観覧車〜あの日と、昨日と今日と明日と〜』の音源は持っていなかったので、すごい楽しみ。本当はLoseさんちの「こころたびーLose PIANO Selectionー」も買いたかったのですが、2万円近くのとんでも価格だったので断念。再販とかしませんかねぇ……。

 

<漫画>
 『政宗くんのリベンジ』を全巻まとめ買い、読み終わりました。というのも、作画担当の人が昔書いてた『こもりクインテット!』って漫画──杉井光が原作担当で、さよならピアノソナタと同じ舞台で描かれるカルテット+ドラムスの物語──が好きでして、この漫画も気になっていたんです。
 幼少期に肥満体型でいじめられていた政宗くん。当時そんな自分をこっぴどく振ったお嬢様に復讐するため、ダイエットしてイケメンになった姿で彼女に近づく! っといった導入からスタート。結構ヘビーな設定だと思いましたが、その後の展開はすごいソフトでしたね。よくあるキャッチーなラブコメに、小さじ一杯くらいのシリアス設定で味付けしました、といった具合。一気読みするくらい面白かったのですが、この手のラブコメはどうしたって、とらドラという化け物と比較される運命にあるんですよね。あれってラブコメの皮を被った何かであって、ラブコメではないんでしょうけど、それでも構造がラブコメじゃないですか……あれ、ラブコメって何だ? そう、ですから、あれと比較されて耐えられる物語って稀有なもので、この漫画はそこまではいかなかった印象でした。

 

<まいてつ>
 故障していたデスクトップPCを新調したので、そちらにもインストール。日々姫ルートに進むために共通部分を進めているのですが、何度読んでも面白い。

ハチロク「未熟であれば、熟成させれば良いだけのこと」
双鉄「!」
ハチロク「双鉄様が、教えてくださったことですよ?」
双鉄「ああ──そうだな。そうだった」
(中略)
双鉄「よし、行くぞハチロク。仕切り直しだ」
ハチロク「はい。お供します、双鉄様」

 こんなやり取りを共通部分で自然に入れることが出来る技術、脱帽します。この会話ひとつで、双鉄とハチロクの関係性が、二人の間に存在する空気が、共に前に進む姿が、十分すぎるほどに伝わってきます。主従という形式をとってはいるけれども、互いを尊重し、支え、歩いていく。この二人の場合、それがまたすごく絵になるんですよね……。ああ、誤解が無いように書いておきますと、俺がハチロクルートを読了していて再度共通部分を読んでいるからこのシーンが映えている、というわけではないのです。初読の時から、いやむしろ初読のときの方が、この感動は大きかったように思うのです。
 双鉄の「仕切り直しだ」の声色がまた素晴らしくて、凛とした中にも、ハチロクへ向けた感謝と笑顔が感じ取れる。好きなシーンのひとつです。

 

 明日は多めに時間がとれそうなので、ようやっと日々姫ルートを進めることにします。右田日々姫という女の子は、子供のころから優秀な姉や兄と共に過ごしてきたので、おそらくかなりのコンプレックスを持っていたはず。それは、『絵』という姉兄にはない武器を持つことや、宝生稀咲の存在で一定の収まりをみせていると思うのですが……。未だに日々姫が他人に評価されることを苦手とするのは、きっと自分に自信がないから。評価されるということは、他人と比較されるということだから。そうしたフックの存在から、はたして日々姫ルートはどういう展開になるのか。ほんとうに楽しみです。

にっき

<書くことについてとか>

 ずいぶんと更新が途絶えておりました。というのも、俺はこうやって文章を書くのが苦手で、「これは文章に残しておかねばっ!」と思った事があったとしても、まず何から書き出せばいいのかとか、言いたいことが上手く書けないとか、そもそもそれは本当に書く必要のあることなのかとか、頭の中でぐるぐる考えて結局何も書かないまま……そういったサイクルによく陥るわけなのです。ですので、”文章化して残しておきたいもの”が、文章化する労力を上回るレベルでない場合、「まあいっかー」で終わってしまうこともよくあったりするわけで。けれど、そうしたときにその”文章化して残しておきたいもの”は、時の流れと共に心の中で確実に変質していってしまう。それは、冷蔵庫に入れた食品が腐る……というよりも、氷が融けて水になるみたいな、水が蒸散して水蒸気になるような、そんなイメージ。それは確かに存在しているのだけれど、手でつかもうとしても指の間からすり抜けていく。仮につかむことが出来たところで、再構築しようとしても全く別物になっている。残滓、みたいな。そしてそれは、きっと悲しいことだと思うのです。

 俺は、人間の感情って、ほとんど全て言語化できると考えているんですよ。盲信かもしれませんが。それは一言かもしれないし、便せんに入れたラブレターかもしれないし、400ページの小説かもしれないけれど、感じた気持ちというものは、正確な形で言語化することができる。技術さえあれば。そう、技術さえあれば、です。だから、同じ感情を伝える場合でも、一言で済む人もいれば、いくつもの言葉を重ねる人もいれば、そもそも上手く伝えることができない人もいたりする。……まあ、いくら気持ちを正しく言葉に込めることができたとしても、受け取る側が正しく理解するとはかぎらないのですが。それはそれとして。

 というわけで、“すごい書き残したいこと”に遭遇したときに上手く言語化できない、なんてことになったら嫌なので時々は日記──何日かの記録をまとめて書くことが果たして“日記”と呼べるのだろうか──でも書いて、慣れておこうかな、と思ったしだいであります。

 

<引っ越しについて>

 俺は三重に住んでまして、三重って結構上下に長いんですよ。その中くらいから、上の方まで引っ越しました。名古屋が近くなって、それなりに便利になりましたね。ちょっと気が向いたら大須まで行けるってのは、思ったよりもいいものです。

 通勤は相変わらず電車なのですが、三重県ってJRよりも近鉄の方がはるかに便利で、利用者も圧倒的に近鉄の方が多いんです。『まいてつ』をプレイしている身としては、JRで通勤、と思わなくもないのですが、やはり利便性から近鉄になってしまう。まあどちらにしても、鉄道に多少の関心を持つあたり、我ながら単純な性格をしているなぁと思いました。

 

<まいてつについて>

 前回の感想が5月31日ですか……。随分と間が空いたのですが、まだハチロクとポーレットのシナリオが終わったところなのです。誤解しないでいただきたいのですが、つまらないわけではないのです。むしろ真逆で、これほど自分に波長の合う作品はめったにお目にかかれないと断言できます。ただ、仕事が多忙であったり、引っ越しの準備等があったり、そもそもエロゲの気分ではなかったり──なんだろう、そういうサイクルってありません? 定期的にラノベが読みたい、とかアニメが見たいとか──したわけなのです。

 それはさておき。

 ハチロクシナリオも、想像通り素晴らしいお話だったのですが、そのあとに読んだポーレットのシナリオがまたやばかった。なんですかあの愛に満ち溢れた物語は! ハチロクシナリオは、双鉄とハチロクが共に過去を乗り越える──終着駅にたどりつく、と言い換えてもいいでしょう──お話で、“それから”の進み方も描かれる素晴らしいものでした。これぞまさに王道。

 一方、ポーレットシナリオは。俺は前回の日記でハチロクと双鉄が似ている、と書いたと思うのですが、ポーレットについても同様でした。幼いころに出会っていた二人。大切な人との別離を経験したばかりの二人にとって、その出会いはささやかな、そして大切な転換点になっていて。それから歩いてきた道は、奉仕的ともとれるほど痛々しいもので。けれど。けれどですよ。それが物語終盤でくるりと反転するんですね。もう、見事としか言いようがない。痛々しく映っていた奉仕的活動──もっとも、この形容を本人たちは否定するでしょう──が、報われる。過去のすべてが、味方になる。

 ポーレットシナリオに入った後、日々姫とハチロクが実に象徴的な台詞を言うんですよ。

日々姫「違いますよ、兄さん。その手はもっと──未来に向けて動かさなくちゃ、ダメですってば」

ハチロク「はい、双鉄様、おやすみなさいませ。そうしてどうぞ、素敵な明日をお迎えください」

  どちらも、自分に構おうとする双鉄へ向けた言葉です。彼女達はこの時からすでに、双鉄とポーレットなら、共に歩いてゆくことが出来るのだと確信していたのでしょう。暗い過去は、けれど明るい未来へと地続きになっているのだと。

 心に巣くう暗い闇のような過去を、王道的に乗り越えるのではなく、見方を変えて、味方に変えて、抱きしめる。それは、なんというか、すごくロマンのある回答だと思いました。だからこそ、あの終盤の美しさがあるのでしょう。もう……大好きなお話でした。

まいてつ日記。オープニングまで。

 ということで、『まいてつ』をプレイし始めました。
 
 しっかし凄いですね、このゲーム! まず驚いたのがシステム周りの快適さ。一度読んだ部分は、小節ごとに選べて再読できるうえ、その小節内の部分選択もシークバーで可能という徹底ぶり。あと、物語のテーマの関係から鉄道用語が本文中に頻出するため、用語集があるんですが、こいつをキャラが読み上げてくれるんですよ。さらに、用語によっては説明文の中にキャラ同士の会話がある。俺は鉄道関係の知識量が乏しく、基本的には出てきたワードはすべて見るようにしているんですが、まったく退屈しない。
 
 続いてキャラクターについて。造形、E-mote、声がばっちり噛み合っている。日々姫の「そいたら、にぃに──んんっ──ということは、兄さん」っていう、地の隈元弁を標準語に直す台詞一つをとっても、表情、仕草、声色……ここまで出来るものなんですね。そして、ここまでするからこそ、生きてくるんですね……。しばらく会っていなかった義兄が、その本質がまったく変わっていないことに安堵する。自分の成果や善行を人に見られることを恥ずかしがる。自己を犠牲にするかのような義兄の行動に誰より憤る。そんな日々姫の姿から見えてくるのは、『優しい人間が馬鹿をみること』に対する恐れ……みたいなもので。世間の冷たさに立ち向かうためには、強くあらねばならない。そして過度な優しさは、他人につけ込まれ得る弱さであると。そんな『壁』が見えるような気がします。もうめんどくさい匂いがぷんぷんですね! 楽しみです!
 
 あとですね、文章との相性が抜群でした。こればっかりは好みの問題が強いですが、ほんとしっくり来るんですよ。エロゲの文章ということならば『トノちゃんと並ぶほど』、と言うことになんら躊躇いを感じない自分がいて、驚きを感じるくらいには。……なんというか、我ながら随分と時間がかかったなぁ、とか思ったりします。それはさておき……。
 自身を『道具であり、物である』と誇らしく語るハチロク。その言葉に、というわけではないけれど、ハチロクへの共感を持つ双鉄は、明確な歪みを持っているはずです。けれどその歪みを、ほとんど気にならないくらいに演出する構成、筆致。ほんとうに、素晴らしいです。
 
 ようやくオープニングまで進んだところですが、いったいどれだけの熱量が共有できたら、こんなゲームを創ることができるんだろう。凄まじいな……。

星メモ日記ラスト。Eternal Heartについて。

 星メモEH、夢アフターとメアアフターを読了しました。本編の方は、若干消化不良で終わってしまっていましたが、このファンディスクできれいに補完されています。以下、少しだけ雑感を。
 
 メアアフター。なんというか、このライターさんは洋とメアが恋人になるシナリオは描きたくなかったんじゃないか、とか思ったり。いや、メアすげえ可愛いんですけどね……。このゲームって、コンセプトありきで作られてるじゃないですか。七夕伝説、星にまつわるおとぎばなし。そこでメアに与えられている役どころは、あくまで“友達”とか“娘”であって。それを、無理に“恋人”という形にしている、っていうことをすごく感じる。邪推すると、わざとそういう印象を与えるように書いているんじゃないか、とまで思う。肩車のシーンとかプールのシーンとか、特に。
 メアが、洋と夢の願いの光を与えられて今の形を保っている、という設定である以上、洋とメアが恋人として結ばれる場合には、夢は新たな光を獲得する必要があるはすで。その“新たな光”は、本編でもこのファンディスクでも直接語られてはいません。けれど、きっとそれは、洋とメアと夢の『三人』で一緒にいたいという、そういう願いから生まれるものであるんじゃないか。そんなことを考えたりしました。
 
 夢アフター。本編では不十分だった、洋と夢の幸せな日々の描写。そしてメアの隕石を見つけるまでのお話。星メモを総括する、良いシナリオでした。幸せに幕を降ろすためには、やはりここまでの描写が必要なんだと思います。それは、物語の構造としては『蛇足』と言われてしまう部分なのかもしれないですが、エロゲは、その蛇足を描写することを許されている──むしろその部分を描写することに意味を持っている──数少ない媒体であると信じています。変わらない星空の下で、緩やかに変わっていく日常。散りゆく桜を惜しむのではなく、輝きはじめるだろう初夏の星々に想いを馳せる。これまで積み重ねてきた想い出に永遠を、これから歩いていく明日に夢を。

星メモ。夢、メアシナリオについて。

 夢、メアシナリオ読了してました。
 きっつい……波長が合わないのに読ませる力があって面白いシナリオって、すごい性質が悪い……。
 実は一週間前くらいにプレイし終わっていて、ずっと悶々と考えていたんですが全然消化できそうもなくて、こうやって文章に起こしていったら多少は受け入れられるんじゃないかと思ったので、書いておきます。
 
 これらのシナリオ、夢、メアの分岐が発生するまでは共通部分となっており、そこでは洋の救済が描かれているという構造。幼いころから誰にも頼らず、家族にすら甘えることなく生きてきた洋。七夕の短冊ですら「捨てたんだ」と語った彼が、唯一願い事をしたのが、引っ越しの日に流れた星に対してだった。そんな子供の頃から変わらずに生きてきた洋を、
 
「ちがうんだよ……」
「それ、ちがうんだよ……」
 
 そう言って、優しく抱きしめる夢。自分はお姉さんだから甘えてもいいんだよ、と。病気だからとか関係ないんだよ、と。
 いや、夢にその役割を背負わせるのって残酷すぎませんか……。夢だって無理してるじゃないですか。自分がお姉さんだからって、関係ないじゃないですか。このシナリオと俺の考え方が全然噛み合ってないからかもしれませんがあの展望台でのシーン、正直痛々しくて直視できなかったです。ごめんなさい、これは多分俺が、主人公に向けられる"包容力"だとか"包み込むような愛情"みたいなものに苦手意識を持ってるからだと思います。てんちょさんと違って、俺は”家族”っていうものに拒否反応はないんですけれど、母性みたいなものが入ってくると、けっこうきつい。ほとんど唯一の例外って、Gardenの愛ちゃんシナリオくらいかも……。あの作品が成功(もちろん、商業的な意味でなく)しているのって、舞台設定の秀逸さによるところが大きくて。幼なじみが亡くなってしまったことにより、主人公にとって意味を失った世界。行き着いた先は箱庭を彷彿させるような楽園。そういう舞台だからこそ、ひたすらな愛情が映えるんじゃないかと思っています。
 
 話が脱線しました。
 洋にお姉さん風を吹かせたかった、そんな幼いわがままをずっと守ろうとしていた夢。一応、俺も理解はしているんですよ。ああいう過去を持つ洋を受けとめられる女の子を考えれば、夢みたいな造形になるってことは。けど、やっぱり考えてしまう。そこまでの過酷を背負わせる必要があったのかって。
そして夢もよく理解している。洋に甘えてもらうためには、決して弱い自分を見せては駄目なんだと。弱い自分を見たら、きっと洋は無理をしてしまうから。だから、弱い自分を見せるくらいなら、忘れてもらった方がよほどいいのだと。彼女が流れ星に願った内容は、どう取り繕うとも"残酷な優しさ"でしょう。それを「変わっていく何もかもの中で、唯一変わらない、私の永遠」と言わしめる筆致。いやー、きっつい……。
 
 「永遠」という言葉が出てきましたが、そいつは洋の救済と同じく、このシナリオに息づいている大きなテーマだと思います。
 部室で岡泉部長が語った、天文学の意義。
 生きているものは、かならず死ぬ。それは星だって、宇宙だって同じことで。死という終わりへと続く中で、なぜ生きていくのか。
 それに対する答えは、物語終盤で千尋が語っている。
 存在したということは、誰にも否定できないこと。存在とは破壊し得ないもの。それこそが、永遠の真理。
 存在したということ。いずれ星に還ってゆく時にも抱えていくことができる、想い出という名の光。
 このあたり、重要なはずなのにあまり詳しく述べられてないですよね……そういう世界観をある程度受け止めておかないと、メアシナリオが、メアちゃんとせっくすする以外の意味を成さない気がするんですが……。そういう点でも、不親切な構造だと思います。
 すごいざっくりとした解釈ですが、”強い願いや想い出を光に喩え、そこに永遠性を持たせている”ということなんでしょう。
 その光は、三次元を生きる我々には見ることが叶わないけれど、確かに、いつまでも、そこにあるのだという。だからきっと、世界は万華鏡のように、想い出の光に満ちている。
 
 ……我ながらすごい雑な感想。なんかきちんと読めていない気がしてもやもやするなぁ。EHまでやったら解消するのかな。でもそろそろ別のゲームやりたい。『まいてつ』とか面白そう……。

星メモ日記。小河坂千波について。

 千波シナリオ読了。俺はもうだめです……読み終わってしばらく放心状態でした。他の個別シナリオに比べて頭一つか二つくらい飛び出てる。完敗です……。洋ではないですが、「千波最高ー! サイッコー!」と叫びだしたい気分。霧散して雲雀ヶ崎の空にとけていきたい……。
 
 “生まれてくる家は選べない”って言葉があるじゃないですか。家族ってやつは選択的ではなくて、生まれた瞬間から持っている最初の関係性。それは、良くも悪くも相当な強度を持ったもので、どういう形にせよ、付き合っていかなくてはいけない存在なわけです。家族に内分される“兄妹”という関係も、同様に兄妹が生まれた瞬間から発生するもので。同じ屋根の下でご飯を食べたり、ゲームしたり、風呂に入ったり、喧嘩したり、そうやって一緒に過ごしてきた存在。兄妹の数だけ、兄妹の形があって、ふとしたやり取りの中に、ふたりが積み上げた時間が垣間見えることがある。
 だから、エロゲの妹シナリオって、多くは兄妹から恋人へっていう関係性の変化に焦点をあてることになるじゃないですか。兄妹という、とても強固だけれど一線を越えることができない関係から、どうやって恋人となるか。そこには恋心の発生があって、葛藤があって、解決がある。
 けれど洋と千波の場合は、そうではなくて。
 千波シナリオって、上述したような関係性の変化ではなく、もっと根底にある部分、つまり“生まれてくる家は選べない”っていうところにメスを入れてるんですよね。しかもそれは“家族に対する否定”ではなくて、“自分の生まれに対する否定”なんです。その葛藤は、物語が始まる前にある程度の進行をみている──いうまでもなく、洋と作ったオルゴールの音色を聴いた時ですね──わけですが、千波の中で消化されたということではない。それは、個別シナリオの冒頭に語られるオルゴールの音色を聴くことで元気を育んでいけるというエピソードや、父親の幽霊かもしれない存在に遭遇したときの台詞からも明らかです。
 
「千波は、いらない子供だったの────?」
 
 父親に、どうしても聞きたかったこと。自分の存在が、家族の負担となっている。家族だから、その関係はとても強固で動かしがたいから、投げ出すこともできない。その果てに、母親はいなくなってしまった。自分がいなかったら、みんなは幸せに過ごしていたんじゃないか。ただ、自分がいないというそれだけのことで。
 そんな言葉を叫びながら部室の扉を開いた千波、その先にいたのは父親ではなく、レンで。けれど、千波の言葉に対する答えを持っていた。
 
「キミにとっては悪夢だったそれも……」
「みんなにとっては、夢だった……」
 
 泣いてしまうくらいに優しい答え。そうして目覚めた千波を、抱きしめることができた詩乃。そう、千波シナリオは関係の変化ではなく、どうしようもないくらい関係の修復の物語だったように思います。千波と両親。小河坂兄妹と詩乃。洋と大河。大河とレン。大河と家族。そしてその中心には、千波がいて。千波の笑顔があって。
 ダメな子ほど可愛いというのも、もちろんあるのですが、ダメダメな人間がそれでも頑張る姿というものは胸にくるものがあると思います。レンもきっと、人間のそういうところが好きなのかもしれません。彼女がいう「ダメ人間」には、からかうニュアンスが多分に含まれているけれど、その瞳にときおり愛しさが垣間見えるのは、俺の気のせいではないでしょう。そしてそれは、千波と洋の間にもあって。千波の頑張りに、笑顔に、どれほど洋が救われていたかは計り知れません。
 
「そのままの千波が好きなんだ」
「おまえが幸せになれるなら、俺も幸せなんだから……」
 
 兄も、母と同じように、犠牲になってしまうのではないか。そんな恐れから、自分が変わろうとしていた千波。そんな千波を、洋が受けとめるわけです。そして、この「好き」っていう肯定は、実は二回目なんですよね。一回目は、一緒にペーパーオルゴールを作っていた時。千波に「大嫌い」といわれた洋は、けれど「好きだ」と答えた。自分のことをいらない存在と思っていた千波にとって、この言葉は、強く心に突き刺さったに違いありません。
 そう考えると、千波シナリオとこさめシナリオには類似点があります。“自分という存在の受容”ですね。タイトル画面──明日歩、衣鈴、こももの段階では昼の雲雀ヶ崎の風景だったそれが、千波とこさめシナリオになると夕方に変わる──の演出には、黄昏時にたたずむ彼女たちの手をしっかり掴むというシナリオの趣旨がこめられているのかな、と思ってみたり。
 
 ……少し話が逸れました。
 洋に負担をかけないようにと、変わろうとしていた千波。折れてしまいそうになりながらも、毎晩オルゴールの音色を聴いて明日も頑張ろうと元気を出していた千波。けれど洋に朝ごはんを作られてしまい、怒りながらも食卓につき美味しいご飯を食べていたダメ可愛い千波。そんなそのままの千波を洋が受けとめて、ふたりは恋人同士になるわけですが、その関係がまた独特で。
 
 兄妹よりもずっと一緒にいられる関係。
 キスができる関係。
 働かないでお小遣いもらえる関係。
 キャベツ畑で男の子を授かってコウノトリから女の子を授かる関係。
 
「これで全部だよっ、この四つがあれば千波は末永く幸せだからねっ」
 
 洋に、恋人ってどういうものかわかっているのかと聞かれた時、千波はそんな風に答えます。その言葉に嘘の色はないんです。千波にとっての恋人とは、そんなもので。恋人になったからといって、兄妹でなくなるわけではない。洋は千波に対して容赦のないつっこみを続けるし、千波は相変わらずダメ可愛くて、トンデモ料理を作り続ける。ただ、できることが増えた。恋人同士がすることができる。なにより、ずっと一緒にいることができる。そんな洋と千波の関係は、兄妹であり恋人でもある二人のやりとりは、どうしてかとても自然で、連続的に映るんですよね。積み上げてきた二人の時間が、やり取りが、そうさせるのかもしれません。それは、エピローグの部分でも丁寧に描かれています。
 九月の雲雀ヶ崎の朝日を浴びて、通学路を走り出す洋と千波と衣鈴と鈴葉。「急がないと遅刻だよっ」と完全に自分のことを棚に上げた千波が洋の腕に抱きつき、「くっつくな」と洋がぶっきらぼうに照れ、「……仲がよろしいことで」と衣鈴が呆れ、「ふたりはお似合いの兄妹だと思いますっ」と鈴葉が力説する。そんな何気ない、いつも通りの朝のやり取りが、どうしてこんなにも眩しくて泣きそうになるんでしょうか……
 あー、千波シナリオ本当に面白かった……。