はじめのはじめ

二次元傾倒な日々。

にっき。

 『高校全部落ちたけど、エリートJKに勉強教えてもらえるなら問題ないよね!』読了。
 タイトルのとおり、高校浪人になった主人公が、エリートJKとエリートJC(あと26才の叔母)に勉強を教えてもらってエリートJKと同じ高校への入学を目指すお話。ストーリーに特筆する点は無く、教科書どおりの構成。エリートJCのまゆらちゃんがチョロ可愛かったです。
 あと読んでてビックリしたのが、『萌え』というワードが出てきたこと。
 “これが、この感覚こそが──萌えなのだ。”
 ですよ。久しぶりにその言葉を見た気がする。
 
 『現代思想入門』の続き。今回はドゥルーズという人が登場した。デリダの世界観が、“日常の中に他者性という泡が浮かんだり消えたりしている”というイメージなら、ドゥルーズは“芝のようにどんどんと外に広がっていく植物のような関係性”というイメージらしい。んで、キーワードは『差異』とか、『生成変化』とか。
 最初は、この『差異』っていう言葉がしっくりこなかった。というのも、「ゆのっちと宮ちゃんは違うタイプの美少女である」という意味で使われる差異ではないからだ。
 「ゆのっち」や「宮ちゃん」という定義よりも以前に、世界にはあらゆる要素がシーソーのように揺れ動いており、そのシーソーが『今』の状態にあるから『今のゆのっち』という存在が定義されている。この“シーソーの揺れ動き”のような力学が、『差異』なのだ。シーソーは揺れ動き続けているので、必然、別の力が加わったとしたらバランスが変わり、『今のゆのっち』から『次のゆのっち』へと変わる。そしてまた別の力が加われば──というように、万物は定義を確定できるものではなく、常に変化の途中であるということを『生成変化』というらしい。
 このあたりの、「ある物が必ず一定の状態であるわけではない」ことを著者は『仮固定』と言っているが、科学の知識があるならドゥルーズの言う『準安定状態』のほうがイメージしやすいと思う。要するに、化学反応におけるポテンシャルエネルギーの図なのだ。今は安定した状態だが、外部からエネルギーを加えれば別の状態になり得る、というアレ。
 そういう世界観なので、今の安定した状態にとどまらず外部へ向けて進んで行ってより安定した自分を発見していこうぜ、というのがドゥルーズの考えらしい。
 
 プロセカ、ワンダショの新章ストーリー読了。
 もう、なんでかわからないのだが、ワンダショのメインストーリーが更新されるたびに毎回泣いてしまっている。司や寧々の成長が、えむの旅立ちが、類の心の機微が、こんなにも心に突き刺さる。壁にぶち当たりながら、足りない己を自覚しながら、それでも立ち止まらずに前に向かって進んで行く彼らを見ていると……年甲斐もなく自分も彼らと共に成長していきたいと思ってしまう。
 正直、他のユニットのストーリーって最初のやつ以外ほとんど読んでいなくて。けれど、ワンダショだけ読み続けてる。ワンダショが他と違うのは彼らの夢がそれぞれ別にあるところで、各々がいつか来る別れを自覚しているところなんですよね。『ワンダーランズ×ショウタイム』という奇跡のような巡りあわせがあったから彼らは夢を諦めずに追うことが出来たのだけれど、その夢のために、いつかは別れなければならない時が来る。そこを理解したうえで、彼らは笑ったり泣いたり喧嘩したり励ましあったり、かけがえのない時間を共有していく。いやほんと、大好きな物語だ。
 今いちばん、続きが出るのが待ち遠しいという作品は間違いなく、ラノベでもなくエロゲでもなく、ワンダショの新ストーリーです。