はじめのはじめ

二次元傾倒な日々。

にっき。

 今日はマジで寒かった。昨日ユニクロで買った超極暖のインナーが無かったら耐えられなかっただろう。数セット買ったら財布の中に木枯らしが吹き荒れたが、背に腹は代えられない。これでこの冬は乗り切れ……るのか? まだ11月だぞ、おかしいだろ。
 
 サクラノ刻のサントラから『幾望-既望-希望-Piano ver-』を聴いていた。ヴォーカル無しならこの曲が一番のお気に入り。ヴォーカル有りなら、言わずもがな『Mon Paache!』なのだけれど。
 鳥谷真琴という少女は、ひたすらに当事者になれなかった存在だった。すべてが終わった後に、いつの間にか救われていたり、奪われていたり。誤解を恐れず言ってしまえば、それでも良かったのだと思う──彼女が普通の少女であったならば。凡庸で無垢な少女であれば、自分の知らぬところで何が起ころうと、それに気付かない。自分の身に降りかかる幸運も不幸も、等しく神が与えた運命だと受け入れる他ないからだ。
 けれど、それに気づかぬほど彼女は平凡ではなく。かと言って当事者になれるほどの才があるわけでもなく。
 「サクラノ詩」の頃の彼女は、それでもまだ、あがいていたのだ。俺が述べたようなことは既に自分で理解していて。けれども、次こそは当事者になるのだと、蚊帳の外はまっぴらだと。そんな彼女の姿は、こんなことは言いたくないが、美しかった。
 だが、すべてが過ぎ去った後の「サクラノ刻」では。大人になって現れた彼女は、どこか諦めたような瞳をしていて。終ぞ当事者にはなれなかったが美しく輝いていた時間を懐かしむだけの背中はひどく頼りなさげで。ただただ、痛々しくて、直視することが出来なかった。直哉と共に月を見上げて語る際に流れる『幾望-既望-希望-Piano ver-』を聴いていると、そういった、彼女の過ぎ去ってしまった過去への郷愁を想わずにはいられない。
 
 佐々木とピーちゃん、4巻読了。ピーちゃんにも嫉妬するお隣さんが可愛い。私もペットショップで売られておじさんに買われたい、って......。お隣さんは、モノローグではかなり過激な思考が多い(というかほとんどエッチな妄想だ)から誤解しがちだけれど、佐々木の前では自分から上手にアピールすることができないのだ。基本的に受け身というか、手を出されるのを待っている。それが望ましい。
 そのあたりについては「佐々木と共依存の関係となり二人で堕ちていく」という最終目標のため、最初に手を出すのは佐々木の方からである必要があるから、なのだろう。そのために、佐々木の周りに女性がいればいるだけ自分が手を出される可能性が低くなるから排除しようとしている......んだけど、とうとうピーちゃんにまで嫉妬し出したよ。おじさんと通じ合えるのは自分だけでいい、と。まあ、佐々木の心の拠り所が自分以外になることが許せないので、そりゃそうか。うん、当然ですね。
 そういえば前回の日記で俺は、お隣さんが佐々木に直接性処理などの話題をふるという会話を書いたが、あれは適切な内容では無かった──なんてことを4巻を読みながら思った。お隣さんに申し訳ないことをしてしまった。ああいう事が言える関係になるのは、佐々木に手を出されてからだろう。
 ……しかし、である。
 4巻の時点ではお隣さんと佐々木の間で認識のズレがどんどん加速してしまっている。まあそれが物語上の妙であることは理解できるのだが、やはり佐々木にはなるべく早く、お隣さんの内面を察してあげて欲しいと願う。デスゲームでの立ち振る舞い等から、うすうすはただの薄幸の美少女で無いと感じているだろうが、その内面が自分に対する情念で溢れているとは夢にも思っていないだろう。お隣さんにしても、上で述べたように自ら佐々木にアピールすることはできず、ましてや自分の劣情が悟られてしまうことを何が何でも回避しようとするはず。そうなってくると、関係性を進めるキーになるのはやはり、アバドンだろう。4巻ラストのお色気シーンも、彼が意図的に演出したもの……なんていうのは曲解だろうか。人間の行動原理で最も強いのは欲望なので、お隣さんに焦りを覚えさせるために演出した、みたいな。
 なんにせよ、自分の本性が佐々木にバレてしまった時のお隣さんの反応が早く見たいので、アバドン頑張ってくれ。