はじめのはじめ

二次元傾倒な日々。

20231204

 今朝、通勤中にブルースカイのタイムラインを眺めていたら、るーくん氏のポストで目に留まったものがあった。リアルの会話の中で「アニメでまで悲しい思いをしたくない」という発言があったことに驚いた、というやつ。興味深い内容であるとともに、なんとなく心当たりがあったので、ぼんやりと自分自身について考えていた。
 
 俺の場合、物語にふれる中で誰かの自由意志──ここでは『自分の行動について自分の意志で決定することができる』くらいのふわっとした意味で使用する──が奪われる展開が長く続いたり、それが執拗に描かれるものだと、途端にそのまま本を閉じたくなる(あるいは視聴をやめたくなる)。
 例をあげると、親が子供に暴力をふるうシーンがあったとする。ここで、殴るという行為自体はまったく同じであったとしても、たんなる憂さ晴らしような理由なき暴力であったとしたらあまり気にならない。あーこいつクソ野郎だな、程度の印象だ。しかしそれが、子供の逸脱した行動を制限するような、いわゆる制裁という目的だったとしたら、心の奥からドス黒い感情が噴きだしてくる。椅子に縛りつけて水責めしながら、何の権利があってお前は他人の意志を踏みにじって束縛しているんだ、と問い詰めたくなる。制裁を受けている側が、そんなことには屈せずに平然としているならいいのだ。そこにあるのは、決して穢すことのできぬ高潔な魂と、暴力や権力を使っても他人を思い通りにすることができない哀れな人物がいるだけなのだから。けれどそうではない場合、ひとりの人間の意志が簒奪されている。物語の中だろうと、これは許されるものではない。
 
 まあ実際は、多少そういったシーンがあったとしても本なら流し読みに切り替えるなどして対応できるので、そこで止めてしまうことは滅多にないのだが。けれど、鬱屈とした展開が必要以上に継続した場合、「そこまで必要か?」という気持ちが芽生えてしまい、素直に物語を楽しめなくなってしまうことはある。解放のカタルシスを味わうよりも、前段階のストレスが多くなってしまうと、感情の収支が割に合わないからだ。
 筆致が上手い人はそのあたりをよく理解しているので、苦い薬をオブラートで包むようにストレス描写をごまかしつつ、解放を世界中にまで広がっていくように感じさせる。まるで魔法のようである。
 
 ──と、ここまで書いてきて気づいた。
 これ、「アニメでまで悲しい思いをしたくない」じゃないな。
 あれだ。タブーの話だ。
 
 俺は別に、登場人物が行動を制限されて悲しんだり自ら心を凍らせたりしている、その感情が嫌いなわけではない。人間の意志が奪われている、その『状態』が嫌なのだ。これは似ているようでいて、実のところはまったく性質が違う。前者は他者への共感から生まれる拒絶だが、後者は俺の個人的なこだわりにもとづく拒絶だからだ。言葉を選ばずにいうなら「気に入らねえ」という、やつあたりに近い。
 なんだろうな、子供のころに抑圧された生活を送っていたトラウマからそういったこだわりが生まれた、というわけでは無いと思う。うちの親はそこまで教育熱心だったり、付き合う友達を制限したりするような人間ではなかったはず。ドゥルーズガタリが否定したように、小さな頃のトラウマだけで人間の振る舞いが決まるなどというのは現実的ではないだろう。けれど、まあ完全に無関係と言ってしまえるほど繋がりがないわけではなく……思い返せば物心ついたころから、「~しなさい」と言われたことに反発していたような気がする。
 
 とりとめの無い話になってきたので、ここまで。