はじめのはじめ

二次元傾倒な日々。

最近のこと。

〇ONEの話
 ONEリメイクの発売日が近づいてきた。
 fhanaの楽曲や映像があまりにも素晴らしい(ほんと、良すぎないっすか?)ので定期的にオープニングムービーを観ているわけだが、原作のほうをプレイしていない身としては純粋に発売が結構楽しみだったり。でもまあ、こういうリメイクって当時熱中した人たちにとっては、どういう心境なのだろうか。
 
 
 このムービーを観ているだけで、ハッキリ分かることがある。俺はこの、傘の女の子(公式ホームページで確認したところ、『里村 茜』というらしい)の事が好きになるだろうということだ。いや、勝手なイメージだけでもう好きになっている。
 傘いうモチーフ、感情の起伏が少なそうな顔。けれど、消えてしまいそうな儚さといった印象は受けず、どこかに芯はしっかりと通っている……みたいな。もう、ど真ん中ストレート。ああ、早くシナリオ読みたい……。
 
 
〇佐々木とピーちゃん
 4巻読んでるけど、相変わらず面白い。巻を進めるごとにどんどん面白くなってる。けれど何故これで面白くなるのかがわからない。普通の人間がやったら確実に物語が取っ散らかってバラバラに空中分解するだけなんだけど……なんか未知の技術というか超絶技巧で料理されて目の前に出てくる。食べる側としては、「うめえ、マジうめえ!」ぐらいしか言えない、そんな感覚。あれ? 前も同じような事書いた気がする。まあいいか。
 最近は異世界よりも現実編のほうが佳境で、各勢力が集結しているけれど、これゆくゆくは異世界のほうにも戦力として向かうことになるんじゃないか? というのも異世界での主要キャラがオッサンしかいねえ(なんならサブキャラもオッサンしかいない。終わりである)から何しても映えないだろ! あっ、お隣さんは戦力にならないか。……じゃあ愛人枠で連れて行こうね。なんなら本人がそう言って連れていくことをせがみそう。
 
「お主、異世界では隔離空間が発生しないんじゃから役立たずじゃろ。こっちで居残りのほうが良いんじゃないかえ?」
「……確かに戦闘面ではおじさんのお役に立つことは出来ないかもしれません。けれど、別方面では違います」
「ほぅ。というと?」
異世界では貴族や王族など、おじさんと関係の深い人物は男性ばかりと聞きます。男性というのは射精しないでいると健康上良くないという研究結果が出ていることから、異世界で長期間過ごす場合はおじさんの性処理という課題が発生してしまいます。そこで、私が四六時中行動を共にすることで、いつでもおじさんの性の捌け口として私の身体を使ってもらえる、というわけです」
「だそうじゃ。お主の健康のため、連れて行ってやるかえ?」
「茶化さないでください。お隣さん、異世界は非常に危険な場所です。我々は回復魔法が使えますがそれも万全ではありません。連れていくわけには──」
「おじさんは、私よりそのロリババアの身体のほうが好み……ということなんですか?」
「おいこら」
「いえ、そういうわけではなくですね……」
 
 みたいなやり取りは容易に想像できる。んで、結局なしくずし的に連れて行ってもらう、みたいな。
 いやーこのあたりの人間関係、すごい好き。

最近のこと。

〇16bitセンセーション
 6話面白かったです。原作のとおり、いやそれ以上の規模で被害を被ったアルコールソフト。もうこの会社でゲームを作ることは無いかもしれないと皆が離れていく中、自分たちの居場所を守るためにコノハとマモルが立ち上がるという熱い展開ですね。そのための手段として、これまでずっと出来ていなかった、コノハが原画の美少女ゲームを作るという。未来を大きく変える決断をしたわけですね。
 というか、ラストのマモルのセリフって告白にしか聞こえないだろ......俺が全部叶えてやる(プログラミングで)って......。
 
〇他アニメ
 普段はほとんどアニメ観てないんですが、今期は16bitの他にフリーレン、薬屋を観てます。
 薬屋については、わざわざアニメで観る必要はないかもしれませんが......でも「牛黄をください」のシーンまでは観ようと思っていて。あのお話、とりわけ猫猫が踊る場面からの一連の流れは、本当に、ここ数年読んだ中で一番美しい物語の閉じかただったと思います。
 
〇佐々木とピーちゃん
 ずっと止まってましたが、ようやく3巻を読み終わりました。読み始めると、なんで中断してたんだろうと思うぐらい面白え......。とうとう各勢力が一堂に会してしまったところで4巻へ。この巻のお気に入りシーンはやはり、エルザ様の歓迎会ですね。ここで酔っ払ったやらかしによって後でえらい事になるわけですが、それを差し引いてもあの場の和やかな雰囲気は癒されるというか。セッティングした二人静氏のイケメンっぷりがいい感じ。扉絵にしたのも頷けます。3人と1匹が泥酔して失敗するぐらい、年甲斐もなく学生のように宅飲みをするっていうのがたまらなく好きでした。
 このラノベ、多分飲み会シーンが最も映える気がする。

16bitセンセーション第5話 ネタバレ感想

 遅くなったけれど、アニメ5話を観ました。
 んで、考えたことなどをつらつらと。
 原作に準拠した場合の今後の展開にかかるネタバレを含んでしまうので、そういうのダメな人はスルーしてください。
 
 ストーリーとしては仕込みの回なんだけれど、普通に面白かったです。というか、観てる瞬間よりもあーだこーだ考えている時間の方が楽しいのかもしれない。
 これまでコノハが「変えちゃえばいいんだよ」と言って突っ走ってきた結果について、彼女自身がようやく認識する。棚のエロゲが減っているということは、自分の行動のせいで『無かったことになった』という結果だ。そして、考え始めてしまうと背筋が凍るほど怖くなってしまう。つまり、無くなったのがゲームだけなのか、それともクリエイターが生まれるキッカケごとなのか。
 マモルに冗談交じりに、「タイムトラベラーの苦悩ってやつはわからないかー」と喋っていたのは、ほかならぬ彼女の本心だったのだと思うのです。
 
 コノハもクリエイターの端くれなので『自分のせいで世に出なかったゲームがあるかもしれない』という疑念は、心の奥に突き刺さって簡単には消えてくれない傷になってしまったはず。けれど、心細く布団に包まっている時に思い出すのはどうしようもなく、過去に行かなければ会えない人達で──。
 結果として彼女は、タイムリープはするけれども誰とも関わらず大人しくしているという折衷案を選ぶ。自分が本当にやりたいことを、見失ってしまうわけですね。
 
 そんな状態のコノハが、他の誰でもないマモルに不安を打ち明けるというのがいいですよね! (急にテンションが上がる)
 いやー、マモルにしてみたら「変えちゃえばいいんだよ」と自分が吹っ切れるキッカケをくれたコノハが今更なにを言ってるんだ、となり素っ気ない受け答えをしてしまうのもわかるんですが。それでも、マモルは分かっているんですよ。自分のやりたいことを我慢して、誰とも積極的にかかわらず、ただ一緒にいるだけでいい。そんなコノハを見て、「お前にできるわけないだろ」と言いはなつ。
 一見冷たくあしらっているように聞こえてしまう言葉だけれど、これ本質は全然違っていますよね。コノハという女の子は、エロゲのことで悩んだりしている人を見たらズカズカと踏みこんでいきお節介を焼くようなうっとうしい奴なんだと、それを誰よりも知っているマモルだから、誰とも関わらないなんて「できるわけないだろ」という言葉。告白かよ……。
 あーもう、会社の屋上かどこかで二人が話しているシーンだけで満足でした……。
 
 それで、ここからが今後の展開のネタバレを含む内容です。
 
 
 
 いや、アニメ版では……アルコールソフトのコンシューマー成功しそうじゃないですか?
 
 原作では市ヶ谷の会社が倒産してアルコールソフトは多大な損害を受け、コンシューマーの話は白紙に戻ってしまうのだけれど──今回の場合は、コノハがいるわけで。
 いくらお金を稼いだとしても変わらずにゲームだけ作っていけば良かったのに──と後ほど評されていた市ヶ谷に対して、コノハが何のアクションも起こさないとは考えられないじゃないですか。『自分が関わることでゲームが消えてしまうならばもう誰とも関わらない』と決めていた彼女だったけれど、今度は『自分が行動しないとゲームが発売されない』状況に直面することになるわけです。その現実に、コノハは決断を迫られる。
 
「どっちを選んでも消えてしまうゲームがあるのなら、コノハは行動することを選びます!」
 
 そういう風に吹っ切れるコノハの姿が、ありありと目に浮かびます。
 
 そして、決定的に未来が変わっていき。
 1999年から未来に戻ったコノハは、今とは大きく変わった世界に着地するんじゃないでしょうか。そもそも、未来に帰ることが出来ないなんて展開も十分あり得る気がします。
 まあ……帰れるにせよ、それがコノハの望んだ未来である可能性は極めて低いですよね。そっからどう展開させてくのか、どう折り合いをつけていくのか。楽しみです。

アニメ『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』が面白いのでネタバレ全開で語りたい。

アニメ『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』とは

 原作は、『神のみぞ知るセカイ』(以下、『神のみ』という。)で知られる若木民喜先生の漫画で、1992年のエロゲ黄金時代の零細ゲーム制作会社を舞台に、当時の開発現場のネタやエロゲをとりまく環境をコミカルに描いている作品である。アニメ化に際しては『ANOTHER LAYER』と銘打ち、2023年を生きているオリジナルキャラ『コノハ』を主人公に据えて、コノハが1992年にタイムリープしてしまい──という原作とは異なったオリジナルストーリーにて、現代と過去のエロゲ制作環境の差異を描いていく。

 
 物語はエロゲ制作会社のサブイラストレーター(要するにしたっぱ)であるコノハが、エロゲ文化が衰退してしまっている2023年から、エロゲ黎明期とも言える1992年へとタイムリープしてしまうところからスタートする。

タイムリープするコノハ。公式HPから引用)
 
 このタイムリープは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のように、物語冒頭で過去に行きクライマックスで返ってくるという「1回の旅」ではなく、最初のタイムリープは1992年、2回目では1996年といった具合に、断片的に歴史の転換点を追っていくという形の旅であることが、数話すすんだ段階で開示される。
 視聴者はコノハが驚いたり感心したりするのと同様に、エロゲの──ひいてはハードであるところのコンピュータの──歴史を追っていくことになる。昔よくあった、ドラえもんで歴史を学ぶタイプの漫画をイメージしてもらえるとわかりやすい(最悪の例え)。
 

主人公コノハについて

 コノハは、自分の大好きなゲームである、可愛い美少女がたくさん登場する魂のこもったフルプライス作品を作るという目標を持っている19歳の女の子である。しかし現実は零細エロゲメーカーのサブイラストレーターで、仕事といえば廉価ゲームに登場する男性キャラの色塗りばかり。現状にうんざりして、「現実(リアル)なんてクソゲーだ!」と『神のみ』の名言を口にする始末である。
 ──夢のあるゲームを、夢を持った人たちと作りたい。
 そういった願望はあるけれど、今の会社を辞めて新天地に飛びこんでいく勇気や行動力は持ち合わせていない。それはコノハの自己認識として、神絵師と呼ばれるような人気イラストレーターと比較して自分が『何者でもない』ということを、どうしようもなく理解してしまっているからだと思う。このことは、最初のタイムリープで1992年に行ったときのセリフ、「どうしてコノハにこんな事起っちゃったの! コノハにこんな試練与えられても困るんだよー」からも見え隠れしている。そんなコノハは、幸運にも勤め先の会社と同じ場所に建っていたエロゲメーカー『アルコールソフト』にて、住み込みで働かせてもらうようになる。
 

タイムリープと本作のコンセプトについて

 原作漫画の舞台であるエロゲメーカー『アルコールソフト』。1話ラスト、ここでようやく原作キャラが登場することになる。PC-98フロッピーディスク、16色ネタなど、当時のエロゲCG制作の手法を紹介しつつ、環境の違いに戸惑いながらも、コノハは美少女の色塗りを完成させる。社員全員が熱量をもってエロゲをつくっているという姿勢に感化され、自分がやりたかったゲーム制作はこういうものだったんだという充実感に満たされた彼女の中で、『2023年に戻れなくても、ここでずっと働くのも悪くないかもしれない』という感情が芽生えていく。
 
 1~2話を観ている段階の印象としては、いにしえのエロゲ制作現場での経験を積んだことでコノハがどう変化していくのか、物語ラストで現代に戻った時にどう成長しているのかを観る作品なのかなと思っていた。というのも、この物語は漫画『16bitセンセーション』のアニメ化で、コノハはアニメオリジナルキャラクターだからである。
 原作ファンとしては、メイ子やカオリ、キョンシーなどの『アルコールソフト』のメンバーにも焦点を当てて、コノハは彼女らと関わることで成長していくものだと想像していたのだ。なので1話を視聴しながら、ラストまで原作キャラが登場しない展開には驚いていた。これ、原作ファン置いてけぼりで大丈夫か、と。
 
 そういった心配は、2話のラストを観た時点でひっくり返ることになる。1992年のアルコールソフトで、携わってきたエロゲが完成したかと思いきや、コノハは前触れもなく、2023年に帰ってきてしまうのだ。
 「まじか⁉ 現代と過去を何度も行き来する展開なのか、しかもなんかコノハのタイムリープを観測してるっぽい奴もいるぞ!」
 といった具合に感情がぐちゃぐちゃになり、続く3話。コノハが再度タイムリープした先が、前回のリープから4年後の1996年だったことで、この物語の構成が明らかになる。なるほど、我々はコノハと共にエロゲ黎明期から現在までを追体験していくのか。
 
 漫画『16bitセンセーション』は、エロゲ黎明期を生き、創り上げてきた人間達を描く記録であるが、アニメ『16bitセンセーションanother layer』は、エロゲが衰退した後の時代を生きている人間が、記録でしか知り得なかった世界を歩んでいくという体験記だったのだ。
 

現代のエロゲとユーザーについて

 ここで、少し脱線して現代におけるエロゲ市場について語っておく。
 2023年においては、ストーリー重視のフルプライス作品を創ろうと思ってもなかなかに難しい。大手ブランドのビッグタイトルならいざしらず、無名ブランドでは中身で勝負しようと思ってもまず、手に取ってもらうことから難しいからだ。もちろん、フリーの有名絵師やライターを起用して宣伝広告をうちまくることで知名度を確保するという方法も無くはないが、それだけの資金投資をしたところで回収するだけの利益が見込めるか、市場規模はあるのか、それをスポンサーに説明し納得させることが出来るのかという事まで考えると、非現実的ということは想像に難くない。
 この前、大手ブランドゆずソフトの作品『千恋万歌』が、累計売上40万本を越えたと発表していたがあれはかなり特殊な例である。有識者曰く、美少女ゲームはsteamでの海外市場がそれなりにあるそうだ。
 では国内の市場はどうかというと、一定数のユーザーはエロゲを離れてスマホゲームに移ったとされる。かくいう俺も今ではほとんどエロゲをプレイしておらず(直近では『サクラノ刻』をクリアしたぐらい。とんでもない名作だった)、『ブルアカ』や『プロセカ』に時間を費やしている。1話でコノハが『FGO』や『マギレコ』の広告を見て対抗心を燃やしている描写からも、競合先としてスマホゲームが想定されているのだろう。そして、そのスマホゲーム市場についても2022年度から売り上げは下降し、今後さらに急落していくと予想されている。
 ユーザーの次の移住先がどうなるのか、新しいビジネスが生まれてくるのか。取り残された市場を愛しているユーザーはどうすればよいのか。

 

 そう──このアニメを観ていて、ふと思いだしたのが、昔増田で読んだ記事だった。

 大体2010~15年くらいだったと思うが、エロゲユーザーである人が、エロゲの黄金時代をリアルタイムで経験することが出来なかったことに対する想いを語った文章で、寂しさや虚しさが入り混じった感情をして「祭りが終わった後の会場で一人佇んでいる」と表現していた。

 今となっては、「いや、2015年もエロゲはそれなりに売れていただろ」と反論することは出来るだろうが、当時その記事を読んだ俺としては、「あー、まあ気持ちは分からなくはないなぁ」だった。

 

 俺がエロゲをプレイするようになったのは大学生になった2007年以降で、その頃はなんというか、『エロゲ業界の土台が固まり、そして崩れた後』みたいな雰囲気だった。elfなどの時代はよく分らないが、その後葉鍵が覇権を握っていたところにtype-moonが切り込み、他にも実力のある国がいくらか領土を持っていた。そしてユーザー側としては、エロゲの考察サイトや感想サイトがまだ辛うじて残っていたが、勢いは無かった気がする。なので、『kanon』や『Air』が発売された年のように、ユーザーがテキストサイトでひっきりなしに感想や考察を垂れ流していた時代に対する、憧れのような感情があったことを覚えている。
 

コノハとマモルについて

 といったところでアニメのほうに話を戻し、コノハとマモルについて語っていこう。
 展開として、この2人を組ませたのは非常に効果的だと思っている。というのも、彼女らは自分の大好きな物の黄金時代が終わった(終わろうとしている)時代を生きているという共通点があるからだ。コノハは上述したように2023年というエロゲ衰退後の世界で美少女ゲームを愛しており、マモルはPC-98という自分の青春がwindowsの登場によって終わろうとしている状況に向き合わなくてはならない。

PC-98と『対話』するマモル。公式HPから引用)

 

 このことについては、2話の時点から少しだけ散りばめられていたところだが、4話で一気に焦点が当たる。PC-98が終わろうとしていることを諦めて受け入れようとしているマモルを、コノハが叱咤激励するシーン。ここでこのアニメの主張や方向性が示される。──好きな物に対する愛がどれほどのものか、どう向き合っていきたいのか。
「そんな未来なんて変えちゃえばいいんだよ!」
 
 さて、コノハのタイムリープのシステムは、謎の老婆から貰ったいにしえのエロゲ箱が鍵になっている。箱を開けると、玉手箱のようにそのゲームが発売された時代にタイムリープする。1回目は『同級生』が発売された1992年12月、2回目は『痕』が発売された1996年7月、といった具合である。そして現代に戻ってくる鍵は、リープ先でエロゲを一本完成させた時、と思われる。
 4話終了時点で1996年から2023年に戻っているので、順当にいけば3回目のリープ先は、『kanon』が発売された1999年6月だろうか。長雨の季節──ストーリーの折り返し地点としても、感情曲線を下げるちょうどいい位置であり、どういう展開になるのか楽しみでならない。
 なお、軽くwikipediaで調べたところ『kanon』のPC-98版は、発売されていない
 現時点で、未来の改変がどれほど進んでいるかを判断するひとつの目安として、これも見どころである。
 

おわりに

 最終的にコノハが着地する2023年がどうなっているのか──PC-98はどういう形で残るのか、それとも無くなってしまうのか。エロゲをとりまく環境はどうなっているのか。それを予想しながら観ていくのがすごい楽しいアニメなのでとにかくオススメしたくなり、久しぶりにブログを書いている。
 個人的には大穴狙いで、作者の過去作として美少女ゲームが大流行している『神のみ』の世界に繋がって、コノハがメインイラストレーターを担当している作品を桂馬が購入する、みたいなオチになったら面白いな、とか夢想している。これだけ色々とエロゲ関係の許可取ってるんだから、小学館の許可も……取れないかな。

「君たちはどう生きるか」感想。あるいは、墓碑銘の素晴らしき混乱について。

 まず、この作品を観た直後の感想は、「よくわからない」だった。

 もともと、エンタメに振ってない作品という前情報だけは持っていたから、自分なりの解釈が必要な映画なのだろうと身構えてはいたのだが、それでも結局、本作が伝えたいことがよくわからなかった。作品の命題である「君たちはどう生きるか」の前提が、どうにも心の中に入ってこなかったのだ。「何」があって、「どう」生きるのかを問われているのか。それがわからなければ、考えようも無いだろう。  ……とはいえ流石はスタジオジブリで、よくわからない作品であるにも関わらず、僕は飽きもせずにスクリーンを観続けていたのだけれど。特に冒頭の空襲シーンの描写は、実際に熱が感じられるほど凄まじかった。

 
 そんなわけで、家に帰ってからネットで色々な方の感想や考察を読んだ。
 曰く。宮崎駿が、アイルランド出身の作家ジョン・コナリー著「失われたものたちの本」に影響を受け、引退を翻して本作を創ったこと。
 曰く。作中の異世界には、これまでの宮崎監督の作品を想わせる描写がちりばめられており、それが「物語の世界」と思われること。
 曰く。作中の大叔父とは宮崎監督自身の暗喩で、13の積み木とは本作を含めた氏の長編作品と考えられること。
 他にもさまざまな意見が散見された。
 それらひとつひとつを、なるほど読み取る力が強い方々は凄いな、と思いながら読ませてもらった。おかげで、心の中でおぼろげだが作品の全体像が形作られてきた。けれど、肝心の本質が、自分としてはどうにもしっくりこない状態。本作とは、いったい何だったのか。その答えを見つけられずにいた。
 
 そんな状態がどれくらい続いただろうか。思考が澱みから抜け、ゆるやかに流れ出したのは、「死」について考えだしてからだったと思う。
 この問いを投げるには、あまりにも本作は「死」の香りが強すぎるのではないか。いや、むしろ「死」の香りしかないじゃないか。どうなってる。そう考えていた時、間違いに気づいた。
 ──いや、違うのか。
 「どう生きるか」とは、こう問うているのに他ならない。すなはち、「どう死ぬのか」。
 そう考えたとき、よくわからなかった本作が、驚くほどスッと心の中に落ちてきた。
 宮崎駿は言っているのだ。
 自分は、こうやって死ぬ。この映画は、自分の死に対して捧げられた墓碑銘だ、と。
 
 少し、本筋からそれる。
 「サクラノ詩」という作品がある。
 Windowsでプレイできるノベルゲーム。いわゆる「エロゲ」というやつだ。「サクラノ詩」は、そのエロゲの中でも屈指の名作である作品だが、その中でこういうエピソードがある。
 稀代の天才芸術家である草薙健一郎が、病気のため死の淵にいる。彼と、その息子である草薙直哉はある少女を救おうとしているが、そのためには莫大な金が必要だという。健一郎が作品を描くことができれば金は手に入るが、病気で描くこともままならない。そこで、息子の直哉が、父親の未発表作品として贋作を創って売りさばく……という話。
 その中で、完成間近の贋作を見て、健一郎はこんなことを言うのだ。
 
「これは、お前が俺に捧げた墓碑銘だ。だから俺は、ここに自分の名を刻む」
「これは俺の作品じゃない。俺の死のために、草薙直哉が描いてくれた作品だ」
「俺の墓は花であふれているだろう。だがそんなものは見せかけだ。本当の墓は、この絵の傍らにある」
「A Nice Derangement of Epitaphs」(墓碑銘の素晴らしき混乱)
「この作品はそう扱われるだろう。だが、それで良い」
「これは、俺のための墓碑銘なのだからな」
 
墓碑銘の素晴らしい混乱。元はとある戯曲における言い間違いのセリフだが、この文脈ではTrompe le Monde(世界を騙す)として引かれている。つまり、意味の取違いがまた別の意味を持つ、ということだ。
 
 
 “巨匠・宮崎駿の死”という言葉から真っ先に浮かんだのが、上述のシーンである。
 ……どうだろう。そう考えると、「君たちはどう生きるか」のクレジットが、これまでの宮「崎」駿ではなく、宮「﨑」駿というのも納得のいく話ではないだろうか。
 つまり本作は、名監督「宮崎駿」の死のために、監督「宮﨑駿」が創った映画なのだ。
 12作品もの名作長編映画を生み出した天才「宮崎駿」。その死に対して捧げられた13番目の墓碑銘。
 だから、究極的にはこの映画は、公開される必要はなかったのだと思う。なぜなら、これは宮崎駿のために創られた作品なのだから。それでも公開されたのは、「A Nice Derangement of Epitaphs(墓碑銘の素晴らしき混乱)」こそが、この作品のもうひとつの意義だったから。
 そう考えたとき、「君たちはどう生きるか」という問いの意味も見えてきた。どう生きるかなんて、どうあっても個人個人の命題だろう。
 
 
 というわけで、以下は僕なりの墓碑銘の混乱だ。他の人にとっては蛇足以外の何物でもないが、よかったら付き合ってほしい。
 
 宮崎駿の墓には、「君たちはどう生きるか」と刻まれている。これは、異世界の墓の扉にある「我ヲ學ブ者ハ死ス」と表裏一体だろう。
 ここで、大叔父はどういう風にあの異世界を創っていったかを考えてみる。
 人は誰しも綺麗なものを、正しいものを好む。それは当然のことだ。いったい誰が、自らすすんで汚いものを集めたがるだろうか。間違ったものを好むだろうか。
 だから彼は、綺麗な物だけを集めてあの世界を広げていった。
 ……しかし、である。
 綺麗で無垢なものだけを集めた世界が果たして美しいか、という問いに対する答えが、あの異世界だ。大叔父が招待した綺麗な小鳥セキセイインコは、いつしか人間を食らう生き物になっていた。ペリカンたちは空の果てを目指すことを止め、飛ぶことを忘れてしまいかけていた。
 綺麗なものしか存在しないはずだった世界が、どうしようもないディストピアになっていた......なんていうのはよくある類の話だ。
 現実の世界と、大叔父が創り上げた異世界。その両方を旅した第三者である眞人が、迷うことなく現実の世界を選択してしまうぐらいには、歪なのだ。戦争の最中である世界と比べてすら劣っている、それが綺麗な物を集めて作られた世界。
 では、一体何が足りなかったのだろうか。
 マクベスのように、「きれいはきたない、きたないはきれい」とでも言ってみようか?
 
 ……いや、本作にはちょうど、おあつらえ向きの奴がいたじゃないか。
 正しさだけでは生きてはいけないのだ。人が生きていくためには、嘘も必要なんだ。
 そういうことだろう? 友達。

「負けヒロインが多すぎる!」1巻の感想とか。

 どうも、ご無沙汰しております。桜乃はじめです。
 最近読んだラノベがすげー面白くて、とりあえず感想を書きたくなった次第です。
 
 というわけで、雨森たきび氏著「負けヒロインが多すぎる!」1巻について。
 
 舞台設定は現代日本のとある高校。ジャンルはラブコメ
 1巻の構成は、
 ラノベ好きでぼっちを満喫している高校生温水和彦(ぬくみず かずひこ)は、同じ学校に通う3人の女子八奈見杏菜(やなみ あんな)、焼塩檸檬(やきしお れもん)、小鞠知花(こまり ちか)が失恋する(負けヒロインになる)場面を目撃してしまう。温水を中心として、文芸部という場で3人の負けヒロインたちは交流を重ね、最終的に振られ仲間どうしの奇妙なコミュニティが出来上がる。
 といった感じでしょうか。
 ……いや、これで面白くなってるんだから、作者はバケモノとしか言いようがない。
 
 とりあえず、主人公である温水からスタートして考えていきましょうか。
 1巻の時点では、感情の振れ幅や変化は少ないです。いわゆる、フラットなアーク、とかいうやつ。行動すべてが受動的で、相手のアクションに対する反応で、達観したキャラを立たせてます。ラブコメの主人公って、1巻の段階でなんらかの変化が見られて、クライマックスで劇的な選択をする形が多いじゃないですか。『とらドラ!』で竜児が大河の隣に並び立つと決めたように。『俺妹』で京介が桐乃のために父親に抗議したように。けど、本作では温水に大きな変化は見られていません。ただただ、カメラとして機能している感じで、主人公の背景を描いていないわけです。これ、どう考えても意図的ですよね。
 んで、そのカメラで何を映しているかっていうと、負けヒロイン3人の負けっぷりなわけで。
 
 三者三様の負けっぷり。
 八奈見は、三角関係の中で少し身を引いたらあっけなく他の2人が上手くいって。焼塩は幼なじみがいつの間にか彼女を作っていて。そして小鞠は告白して見事に玉砕した。それらすべてを、温水はただ、目撃してしまう。いや、最初はさ、1巻では八奈見が自分が振られたことを自覚して、立ち直って少し前を向く、ぐらいの構成なのかなーとか思いながら読んでたんですよ。クライマックスでの八奈見の叫びで全部吹き飛びましたね。そんなお利口な奴じゃない。この女、全然諦めてねえ。
 
 そう、温水というカメラを通して見る負けヒロイン3人は、全然お利口なんかじゃないんですよ。顔はいいけど、どこか残念なところがある、B級グルメ的な。……ひどい例えだな。物語の中で、女心が分かっていない温水に対して八奈見とか焼塩が、「そういうところだよ」って言うんですけど、それは彼女たちにもブーメランで返っていく。「そういうところ」が災いしてか否かはわかりませんが、結果として彼女たちは意中の彼のメインヒロインにはなれなかった。
 けれど、なんですよね。
 振られておしまいで人生まで終わるわけじゃないですし、気持ちに整理なんかつくわけないし、時間は平等に流れていくし。そういうときにどうするかっていうところで、この物語の場合は、創作っていう手段が使われてます。いや、もちろん振られ仲間同士の新しい人間関係っていうところも手段のひとつではあるんでしょう。けれど、それが単なる傷のなめ合いみたいな印象を受けないのは、文芸部の合宿の中でそれぞれが創作に向き合っているからだと思うんですよ。
 何かを書くことの意味。それは、楽しかった何かが終わってしまうことに対する反抗であって。流れていく時間を押しとどめようとする行為。文芸部の合宿イベントが、取ってつけたような印象を受けずに読めるのは、そういう背景を感じることができるからだと思います。
 
 そんなわけで合宿を通して仲良くなった『温水+負けヒロイン3人』ですが、クライマックスで温水が八奈見に告白してないのに振られるというハットトリックかますことで、『振られ仲間4人組』というきれいな形に落ち着く、と。確か、星メモやってたときの明日歩シナリオの感想(星メモ感想。南星明日歩について。 - はじめのはじめ)でも言った記憶があるんすけど、こういう振ることが一つの意味を持っているの、好きなんすよ。本作も、それがきれいにハマっていて読後感いいです。
 
 あー、しっかし、こういう明確な悪役が出てこない学園ものって、読んでて楽しいですよね。近年から流行りの、クラスカーストがあーだこーだ陰キャがどうだっていう物語って、よく雰囲気ぶち壊してくる悪役のカースト上位男女が出てくるじゃないですか。あれいらないですよね。物語上、起伏をつけるためにイイ感じに機能するのはわかるんですけど、下げる流れを作るためにわざわざ悪役キャラ登場させていびらせる必要ないじゃないすか。その点、本作はそういう要素も必要最小限で、非常に好感が持てました。
 
 あとは、細かい点をいくつか。
 
 物語序盤から八奈見と温水が待ち合わせして弁当を食べる旧校舎横の非常階段。誰の目にも触れない秘密の場所ってことなんですけど、あれ指定したの八奈見なんですよね。学校内の水道水の味を吟味するほどのぼっちである温水ですら、一人になれるそんなスポットを知らなかった。そういう場所って、探そうとしないと見つからないわけで。そういうところからも、八奈見のキャラクターが見えてきてヤバいです。
 
 それと、合宿中の玉木部長のセリフもぶっ刺してきましたね。温水の考えていたラノベの設定で、最初は反発していたヒロインが主人公のやさしさに触れて心惹かれていく、というものを、
「それは打算だ」
 と切り捨てるシーン。
 物語の主人公の打算、ともとれる言葉ですが……この文脈で使うんだったらどう考えても、『作者の、読者に対する』ですよね。つまりは、そういうやつじゃねえぞってことで釘刺してきてます。
 
 最後に、温水の妹の佳樹。お兄様呼び完璧妹でお兄様だだ甘やかし妹なわけですが、ひたすら裏方ですね。現状、負けヒロインというテーマから外れていますが、「兄妹として生まれた時点で負けている」みたいな感じで物語に絡んできたら俺が死にます。期待してます。
 
 そんな感じで、まったく油断ならない物語で最高です。どうやら5巻まで出てるらしいのでじっくり読んでいく所存。
 ではまた。

はぴねす2について、というよりも桐ケ谷璃乃が可愛すぎるという話。

 璃乃が可愛すぎる……。

 

 久しぶりの更新です。はい、もう璃乃が可愛すぎて精神がぐちゃぐちゃになったので、落ち着くために文章化しているだけのやつ。

 

 というわけで、はぴねす2です。

 最近(というには少し前か)流行りの、過去の有名作品にナンバリングつけて世界観を共有させた新作を発売する手法のゲームで、前作をプレイしていなくても全く問題なく読めるシナリオですね。魔法が使える少年少女達による学園もの。……と、そんなことはどうでもいい。

 桐ケ谷璃乃、ですよ。

 

キャラクター「桐ヶ谷 璃乃」 | はぴねす!2 Sakura Celebration

 

 クラス委員長で、明るくて、世話焼きで、しっかりしていて、ちょっと背が低いことを気にしていて、ツンデレ気質で、頼まれ事は器用にこなすけれど自分のことには不器用な女の子。あれですね、この会社の作品でいうなら『祝福のカンパネラ』のアニエスをイメージしてもらえればいいかと思います。……って、なんか別のところでもアニエスを引き合いに出した気がするな。どんだけ好きなんだよアニエスのこと。璃乃だっつってんだろ。

 璃乃は理由があって主人公のことを意識しているわけですが、プレイ一週目は璃乃ルートには進めず、必ずメインヒロインの花恋ルートに進む選択肢しか選べなくなっている。花恋と璃乃は、ライバルであると同時に大切な友達でもあるので、璃乃は自分の気持ちに蓋をして主人公と花恋の背中を後押しするわけです。とうぜん璃乃は、2人に自分の気持ちを気づかせるようなヘマをする女の子ではありません。付き合い出してからも、笑顔で主人公たちを気遣うわけです。ああ、璃乃……ごめん……つらい役どころをさせてしまって……。もう、俺は花恋ルートにおける璃乃の笑顔を見るたびにダメージを受けていました。

 そんな状態で2週目に選んだ璃乃ルート、まともでいられるわけがない! あれですね、一度落ちてから上がったほうが燃え上がるという一般的なシナリオの技法を、結果として2ルートを使って味わったことになる。もうね、誇張なしに、プレイ途中にヘッドホンを外して床を何度も転がりまわってました。

 璃乃はね、上でも書いたように、器用と不器用のアンバランスの上で成り立っているような女の子なんですよ。で、心の深いところまで入り込んでいくと、当然のことながら不器用な面が露わになる。その不器用さが、世間における彼女の”優等生”というイメージとのギャップを生み、すげえかわいいいいいいいぃぃぃぃ! っとなるわけです。俺たちでいうところの、『めんどくさい可愛い』ってやつですね。いいですよ、璃乃。いい感じにめんどくさいです。どれくらいめんどくさいかというと、主人公に打ち明けたいことがあるのに、主人公が全然気づく素振りも無いことに腹を立てて、絶対に自分から言い出さないって決めちゃって。なんだかんだで、その状態で1年以上仲良く過ごしちゃうくらいにはめんどくさいです。皆さん、プレイしましょう。そして叫びましょう、「璃乃めんどくせー!」。

 そんなめんどくさい璃乃と、紆余曲折あって付き合うことになるわけですが、そこからがまたやばい。ものすごいデレです。初速から最高速をたたき出すレベル。今までの抑圧から解放されたからか、これでもかというほどに甘えてくる。公衆の面前でのキスはやめましょうねー(さくらむすび感)。個別ルートのシナリオはそつなくまとまっているのですが、これ、その道に長けたライターさんが書いていたなら、依存によって璃乃がダメダメになっていくような展開を入れることもできただろう、っているレベルで主人公にベッタリ。そういう展開も見たかったのですが、今回は普通にまとまってました。

 あとねー、声がいいです。普段の声もいいんですが、自分に自信が持てない時とかに出す、「~なの?」っていう疑問の声! 普段ハキハキとしゃべっている璃乃が、心を揺らしながら小声で聞いてくる! 俺を殺す気か!

 結論、璃乃が可愛いから、これを読んだ諸氏は、はぴねす2やりましょう。

 以上。