はじめのはじめ

二次元傾倒な日々。

20231212

 『シャングリラ・フロンティア』の漫画版を読んでた。人に勧められて、ためしに1巻を読みはじめたのだが一気に最新の15巻まで購入して読んでしまった。……なにこれ、すっげえ面白い。
 続きが読みたくて書籍化情報を調べてみたら、これ書籍化してないんすね。なろうからいきなり週刊少年マガジンで漫画化してる。納得。多分それが、もっともこの作品の面白さを引き出すやり方だと思う。
 武器や魔法で切った張ったするようなバトル物はやっぱり漫画が映えるし、この作品のように『特定の強敵を倒していく』のが主な目的であるタイプなら尚更でしょう。フルダイブ型VRゲームの世界を舞台にプレイヤースキルの高い主人公が難関クエストを攻略していくという、どこにでもある世界観なんだけど、どういうわけか気づいた時には惹きこまれている。これは、読者に新しい情報を開示するタイミングが抜群に上手い、っていうところに起因してるんじゃないかな。
 
 誰もが認める神ゲーであるシャングリラ・フロンティア。プレイ人口は膨大だが、実は制作者が設定しているメインストーリーは誰も進めることが出来ていない。それは、世界の謎を解き明かすためのカギである『七つの最強種』というモンスターが倒せていないから。っていう設定の中で、主人公はそのうちの1体『夜襲のリュカオーン』と接触し、『呪い』を受けてしまう……と。
 ここまででもうガッツリ続きが気になってくるんだけど、間髪いれずに七つの最強種の一体を攻略する長編ストーリーを差し込んでくるっていうのが、『シャンフロ』の上手いところだと思う。読んでる最中は夢中だったので全然意識してなかったけれど、これって序盤で盛り上がった熱量を維持しつつ、ゲーム世界の謎を解き明かすためには最強種の討伐が必須である、という世界設定をわかりやすく説明出来るっていう、一石二鳥の構成になってる。そして、最強種の一角を倒した主人公たちは一躍有名人となってしまい、大手クランから接触を受け──と展開を広げていくことが出来る。
 この段階でもう読者(というか俺)は完全に夢中になってるので、その後、多少展開を緩やかにしたりサブストーリーを進めていっても大して気にならないんですよね。例えるなら、ジェットコースターで登った後のくだり。勢いがのったまま慣性で進んで行くので心地よい、みたいな。ある程度進んだらまた、七つの最強種という山で盛り上げていけばいいわけで。この登り降りのバランス感覚、絶妙だと思う。
 
 唯一の欠点は、小っちゃくて可愛い女の子が登場しないこと。ヒロインは存在してるんだけど恋愛描写などは必要最小限で。すれ違いの恋愛描写をギャグテイストで描いているので、あんまりアピールポイントにしていない節がある。とはいえ、その点を除いてもくっそ面白いので、可愛い女の子成分を摂取したい気分のとき以外であればマジでオススメな漫画っす。

20231204

 今朝、通勤中にブルースカイのタイムラインを眺めていたら、るーくん氏のポストで目に留まったものがあった。リアルの会話の中で「アニメでまで悲しい思いをしたくない」という発言があったことに驚いた、というやつ。興味深い内容であるとともに、なんとなく心当たりがあったので、ぼんやりと自分自身について考えていた。
 
 俺の場合、物語にふれる中で誰かの自由意志──ここでは『自分の行動について自分の意志で決定することができる』くらいのふわっとした意味で使用する──が奪われる展開が長く続いたり、それが執拗に描かれるものだと、途端にそのまま本を閉じたくなる(あるいは視聴をやめたくなる)。
 例をあげると、親が子供に暴力をふるうシーンがあったとする。ここで、殴るという行為自体はまったく同じであったとしても、たんなる憂さ晴らしような理由なき暴力であったとしたらあまり気にならない。あーこいつクソ野郎だな、程度の印象だ。しかしそれが、子供の逸脱した行動を制限するような、いわゆる制裁という目的だったとしたら、心の奥からドス黒い感情が噴きだしてくる。椅子に縛りつけて水責めしながら、何の権利があってお前は他人の意志を踏みにじって束縛しているんだ、と問い詰めたくなる。制裁を受けている側が、そんなことには屈せずに平然としているならいいのだ。そこにあるのは、決して穢すことのできぬ高潔な魂と、暴力や権力を使っても他人を思い通りにすることができない哀れな人物がいるだけなのだから。けれどそうではない場合、ひとりの人間の意志が簒奪されている。物語の中だろうと、これは許されるものではない。
 
 まあ実際は、多少そういったシーンがあったとしても本なら流し読みに切り替えるなどして対応できるので、そこで止めてしまうことは滅多にないのだが。けれど、鬱屈とした展開が必要以上に継続した場合、「そこまで必要か?」という気持ちが芽生えてしまい、素直に物語を楽しめなくなってしまうことはある。解放のカタルシスを味わうよりも、前段階のストレスが多くなってしまうと、感情の収支が割に合わないからだ。
 筆致が上手い人はそのあたりをよく理解しているので、苦い薬をオブラートで包むようにストレス描写をごまかしつつ、解放を世界中にまで広がっていくように感じさせる。まるで魔法のようである。
 
 ──と、ここまで書いてきて気づいた。
 これ、「アニメでまで悲しい思いをしたくない」じゃないな。
 あれだ。タブーの話だ。
 
 俺は別に、登場人物が行動を制限されて悲しんだり自ら心を凍らせたりしている、その感情が嫌いなわけではない。人間の意志が奪われている、その『状態』が嫌なのだ。これは似ているようでいて、実のところはまったく性質が違う。前者は他者への共感から生まれる拒絶だが、後者は俺の個人的なこだわりにもとづく拒絶だからだ。言葉を選ばずにいうなら「気に入らねえ」という、やつあたりに近い。
 なんだろうな、子供のころに抑圧された生活を送っていたトラウマからそういったこだわりが生まれた、というわけでは無いと思う。うちの親はそこまで教育熱心だったり、付き合う友達を制限したりするような人間ではなかったはず。ドゥルーズガタリが否定したように、小さな頃のトラウマだけで人間の振る舞いが決まるなどというのは現実的ではないだろう。けれど、まあ完全に無関係と言ってしまえるほど繋がりがないわけではなく……思い返せば物心ついたころから、「~しなさい」と言われたことに反発していたような気がする。
 
 とりとめの無い話になってきたので、ここまで。

2023/11/29

 『全力回避フラグちゃん!』1巻読了。
「立ちました!」
 フ ラ グ ち ゃ ん が 可 愛 い !
 それに尽きる。はー、幸せ。
 いや、頑張ってる小っちゃい女の子が好きなんですよ。失敗して落ち込んだりもするんですけど、次の日にはまた前向きにチャレンジしていく、みたいな感じの。
 とはいえ、フラグちゃんに友達ができてホントに良かったです。いくら彼女が頑張り屋でも、あのまま1人で特訓して失敗してを続けていたら、どこかで折れてしまっていただろうから。落ち込んでも、話を聞いてくれる友達がいるならまた頑張れる。そういう子なんだ、フラグちゃんは。
 うあー、あの艶やかな黒髪を撫でくりまわしたい。「や、やめてください~!」って言いつつも、ちょっと嬉しそうにしてもらいたい。んで、他の女の子を見ててフラグちゃんに嫉妬されたい......モブ男じゃなくてもニチャァァって汚らしい笑顔になる自信しかない。
 ところで、フラグちゃんって死神のローブからクソださTシャツに着替えたわけですが、ズボンは履いているんでしょうか。フラグちゃんは小っちゃいので神さま作のTシャツがブカブカで、裾はおおよそミニスカートぐらいの丈になっていますが、下着はどうなっているのか。表紙や挿絵ではTシャツしか見えず、その下は完全に闇の中。天界アイテム『フクカエール』のせいで、フラグちゃんの着替えシーンはほとんど無く、唯一、X線のお話で造影剤を体中に塗る場面では「Tシャツなどを着て」とあります。など、って何だ!? 靴下のことなのか!?
 まあ、バーで飲んで酔った翌日に酔いが醒めてるので、天使たちにも代謝というメカニズムはあるわけで。ということはフラグちゃんもおしっこをするはず。つまり、パンツは履いている可能性が高いのです。では、ブラジャーはどうだろう。フラグちゃんはまな板だから着けてないかもしれない。
 結論、フラグちゃんはパンツは履いてるがブラジャーは不明(着けても無駄かも)。「立ちました!」
 上の推測を確認するため、俺は続巻を購入しに本屋に向かったわけだが。2巻だけ売っていなかった。なぜなんだ......。
 仕方なくAmazonで注文しておいたが届くまでお預けなのか。
 とりあえず、ガガガ文庫の新刊をいくつかと、『バズれアリス!』の2巻があったので買っておいた。異世界で追放された聖女がyoutuberとしてお金とか信仰心を集めていく話で、1巻はけっこう面白かったはず。敵にトドメをさすときの決めゼリフ「この鉄パイプが、あなたの、運命です!」的なやつが独特で好きだった。欠点は、挿絵が精神が不安定になりそうなくらい歪んでいること。今どき珍しいレベルで歪んでいる。表紙は多少、マシなんですけどね......。

2023/11/27

 佐々木とピーちゃん5巻読了。
 はじめは前巻からの引継ぎ的な内容でお隣さんも登場していたのだが、中盤以降は異世界の王位継承ストーリーだったので現実世界側の人物は軒並み退場。そのため、個人的にはあまりテンションが上がらなかった。異世界方面がひと段落したので次巻からは地球のほうでデスゲームが……と思っていたところ、どうやらさらに新しい世界観が追加されるようだ。SF編、だろうか? 地球側の勢力なので、お隣さんも多少は関わってくれたらいいなぁ。
 以下、妄言。
 毎週、月曜日朝の通勤電車は精神的に死んでるわけです。火曜日以降は惰性でなんとかなるのですが、月曜だけはどうしてもだめ。けれどまあ、結婚したり家建ててローンがあったりと、どうにも気軽に死ぬことが出来なくなってしまったわけで。しにてぇ、と思いながらも電車に揺られて仕事に向かうのです。昔はこのへんの感覚がけっこうドライで、二次元趣味に没頭するために金が必要だから、仕方なく時間を割いて働いているのだと真剣に思っていた。別に今の仕事がイヤになっても選り好みしなきゃ働き口なんていくらでもあるだろ、とか、何もかもイヤになったら淡路島まで行って海の中に歩いていけばいいだろ、とか舐めたこと考えながら生きていたわけですが、そういうわけにもいかなくなった。三次元と二次元の精神的比重がゼロヒャクではなくなって、このクソみたいな社会にいくらか根を下ろすことになった。……これはまあ、今となっては良かったのだろうと思う。
 そんなことを考えていたら、佐々木のことが頭に浮かんだわけです。異世界でそれなりの地位や金を手にしたものの、佐々木にとっての最終的なゴールは地球でゆったりと隠居生活をおくることなんだな、と。
 四十路手前のひとり暮らし、小さい商社に勤めていたが物騒な異能力バトルに巻き込まれたおかげで国家公務員に転職、以降それなりに出世はしているが現実世界に深い関係性のある人物はいない。そんな彼ではあるけれど、異世界に入り浸ることはなく毎朝きちんと出社している。別に異世界で隠居してもいいのでは、と思うのだが現実世界の人間関係を切ってしまうことをしない。そのあたりから、佐々木が現実世界のほうにかけている比重はけっこう大きいのだと思うのだが、どうしてなんだろうか?
 あとこれはすごい偶然なのですが、佐々木の対人関係のスタンスがほぼドゥルーズの考える理想像だったり。交友関係を外側に広げていきつつ、ある程度関係を深めた相手には自ら協力したりするのだけれど、必要以上に近づきはせずに適切な距離を保つ、という。そういう意味では、時代に即した主人公像なのかもしれない。
 どうにも気分が沈みがちなので、気晴らしが必要である。本棚を漁っていたら『全力回避フラグちゃん!』という表紙がすげえ可愛いやつがあったので、明日はこれを読もう。

にっき。

 『高校全部落ちたけど、エリートJKに勉強教えてもらえるなら問題ないよね!』読了。
 タイトルのとおり、高校浪人になった主人公が、エリートJKとエリートJC(あと26才の叔母)に勉強を教えてもらってエリートJKと同じ高校への入学を目指すお話。ストーリーに特筆する点は無く、教科書どおりの構成。エリートJCのまゆらちゃんがチョロ可愛かったです。
 あと読んでてビックリしたのが、『萌え』というワードが出てきたこと。
 “これが、この感覚こそが──萌えなのだ。”
 ですよ。久しぶりにその言葉を見た気がする。
 
 『現代思想入門』の続き。今回はドゥルーズという人が登場した。デリダの世界観が、“日常の中に他者性という泡が浮かんだり消えたりしている”というイメージなら、ドゥルーズは“芝のようにどんどんと外に広がっていく植物のような関係性”というイメージらしい。んで、キーワードは『差異』とか、『生成変化』とか。
 最初は、この『差異』っていう言葉がしっくりこなかった。というのも、「ゆのっちと宮ちゃんは違うタイプの美少女である」という意味で使われる差異ではないからだ。
 「ゆのっち」や「宮ちゃん」という定義よりも以前に、世界にはあらゆる要素がシーソーのように揺れ動いており、そのシーソーが『今』の状態にあるから『今のゆのっち』という存在が定義されている。この“シーソーの揺れ動き”のような力学が、『差異』なのだ。シーソーは揺れ動き続けているので、必然、別の力が加わったとしたらバランスが変わり、『今のゆのっち』から『次のゆのっち』へと変わる。そしてまた別の力が加われば──というように、万物は定義を確定できるものではなく、常に変化の途中であるということを『生成変化』というらしい。
 このあたりの、「ある物が必ず一定の状態であるわけではない」ことを著者は『仮固定』と言っているが、科学の知識があるならドゥルーズの言う『準安定状態』のほうがイメージしやすいと思う。要するに、化学反応におけるポテンシャルエネルギーの図なのだ。今は安定した状態だが、外部からエネルギーを加えれば別の状態になり得る、というアレ。
 そういう世界観なので、今の安定した状態にとどまらず外部へ向けて進んで行ってより安定した自分を発見していこうぜ、というのがドゥルーズの考えらしい。
 
 プロセカ、ワンダショの新章ストーリー読了。
 もう、なんでかわからないのだが、ワンダショのメインストーリーが更新されるたびに毎回泣いてしまっている。司や寧々の成長が、えむの旅立ちが、類の心の機微が、こんなにも心に突き刺さる。壁にぶち当たりながら、足りない己を自覚しながら、それでも立ち止まらずに前に向かって進んで行く彼らを見ていると……年甲斐もなく自分も彼らと共に成長していきたいと思ってしまう。
 正直、他のユニットのストーリーって最初のやつ以外ほとんど読んでいなくて。けれど、ワンダショだけ読み続けてる。ワンダショが他と違うのは彼らの夢がそれぞれ別にあるところで、各々がいつか来る別れを自覚しているところなんですよね。『ワンダーランズ×ショウタイム』という奇跡のような巡りあわせがあったから彼らは夢を諦めずに追うことが出来たのだけれど、その夢のために、いつかは別れなければならない時が来る。そこを理解したうえで、彼らは笑ったり泣いたり喧嘩したり励ましあったり、かけがえのない時間を共有していく。いやほんと、大好きな物語だ。
 今いちばん、続きが出るのが待ち遠しいという作品は間違いなく、ラノベでもなくエロゲでもなく、ワンダショの新ストーリーです。

にっき。

 keyの新作(anemoi -アネモイ- | Key (visualarts.gr.jp)、シナリオライターに新島夕の名前を見つけてにっこり。最近は『恋カケ』とか『アイこめ』とか、この人が企画からやってる作品ばかり読んでいたので、久しぶりに制約がある状態で書いたシナリオが読めるのは楽しみだ。なんというか、新島夕というシナリオライターは良くも悪くも映画監督気質、といった印象を受けるのだ。常に新しい表現を模索して、試しながら作品を発表している……みたいな。すると、場合によっては物語やキャラクターが犠牲になってしまうわけで。『恋カケ』はともかくとして、『アイこめ』が商業作品として成立してるのは、オープニングムービーやBGMによる雰囲気づくりの功績が非常に大きいと俺は思っています。
 そんなわけで、舞台設定がしっかり決まった状態かつ、keyのようにキャラクターに対する比重が大きい作風のゲームで、新島氏がやりたいことをどうやって形づくるのか、待ち遠しい。
 
 通勤電車の中で千葉雅也の『現代思想入門』を読みはじめた。なんか本屋さんでプッシュされていたので手にとった次第。目次を眺めつつ、付録である<現代思想の読み方>の章を読んでいたところ、「読みながらツッコミを入れないこと」という文を目にしてハッとしてしまう。というのも、過去に読みながらツッコミを入れてしまった結果読めなくなってしまう、という経験があったからだ。歳をとってしまった弊害なのかわからないが、これは良くない。著者が言うように、読んでいる間はデータをダウンロードするように思考をなぞっていき、ツッコミを入れたり咀嚼するのは読後で十分だろう。
 そんなわけで巻頭に戻り、デリダからスタート。二項対立からの脱構築というのが基本思想らしい。本物(本質的なもの)と偽物(非本質的なもの)があったとして、そりゃ本物がいいに決まってる──という部分に、「それって違う場合もあるんじゃない?」と疑問を投げかける、みたいな。
 つまりは、こういうことだ。「おっぱいっていうのは大きい方が良いに決まっている。小さいほうが良いなんて奴は少女趣味の変態だろ。大きくないと興奮しねえよ」という言説があったとする。これを二項対立に分けると、巨乳=大人=正常=生存戦略に有利 vs 貧乳=子供=異常=生存戦略に不利、となる。ここでは、人間の生存戦略の観点から巨乳側が上位(パロール)と捉えられるかもしれないが、それを脱構築する。「いやいや、代理(かなめも)のおっぱいから母乳が出たら興奮するし飲みたいでしょう?」
 つまり、おっぱいは毒にも薬にもなるパルマコン的なものということだ(多分違う)。
 なんにせよ、同一性だけで世界を診ることができたら簡単だろうけど実際は違うよね、差異を重要視しようよ、ということらしい。
 入門書の入門書、と謳っているだけあって、かなりわかりやすく噛み砕いて書かれているので俺みたいなド素人にはちょうど良い塩梅な本だと思う。

にっき。

 今日はマジで寒かった。昨日ユニクロで買った超極暖のインナーが無かったら耐えられなかっただろう。数セット買ったら財布の中に木枯らしが吹き荒れたが、背に腹は代えられない。これでこの冬は乗り切れ……るのか? まだ11月だぞ、おかしいだろ。
 
 サクラノ刻のサントラから『幾望-既望-希望-Piano ver-』を聴いていた。ヴォーカル無しならこの曲が一番のお気に入り。ヴォーカル有りなら、言わずもがな『Mon Paache!』なのだけれど。
 鳥谷真琴という少女は、ひたすらに当事者になれなかった存在だった。すべてが終わった後に、いつの間にか救われていたり、奪われていたり。誤解を恐れず言ってしまえば、それでも良かったのだと思う──彼女が普通の少女であったならば。凡庸で無垢な少女であれば、自分の知らぬところで何が起ころうと、それに気付かない。自分の身に降りかかる幸運も不幸も、等しく神が与えた運命だと受け入れる他ないからだ。
 けれど、それに気づかぬほど彼女は平凡ではなく。かと言って当事者になれるほどの才があるわけでもなく。
 「サクラノ詩」の頃の彼女は、それでもまだ、あがいていたのだ。俺が述べたようなことは既に自分で理解していて。けれども、次こそは当事者になるのだと、蚊帳の外はまっぴらだと。そんな彼女の姿は、こんなことは言いたくないが、美しかった。
 だが、すべてが過ぎ去った後の「サクラノ刻」では。大人になって現れた彼女は、どこか諦めたような瞳をしていて。終ぞ当事者にはなれなかったが美しく輝いていた時間を懐かしむだけの背中はひどく頼りなさげで。ただただ、痛々しくて、直視することが出来なかった。直哉と共に月を見上げて語る際に流れる『幾望-既望-希望-Piano ver-』を聴いていると、そういった、彼女の過ぎ去ってしまった過去への郷愁を想わずにはいられない。
 
 佐々木とピーちゃん、4巻読了。ピーちゃんにも嫉妬するお隣さんが可愛い。私もペットショップで売られておじさんに買われたい、って......。お隣さんは、モノローグではかなり過激な思考が多い(というかほとんどエッチな妄想だ)から誤解しがちだけれど、佐々木の前では自分から上手にアピールすることができないのだ。基本的に受け身というか、手を出されるのを待っている。それが望ましい。
 そのあたりについては「佐々木と共依存の関係となり二人で堕ちていく」という最終目標のため、最初に手を出すのは佐々木の方からである必要があるから、なのだろう。そのために、佐々木の周りに女性がいればいるだけ自分が手を出される可能性が低くなるから排除しようとしている......んだけど、とうとうピーちゃんにまで嫉妬し出したよ。おじさんと通じ合えるのは自分だけでいい、と。まあ、佐々木の心の拠り所が自分以外になることが許せないので、そりゃそうか。うん、当然ですね。
 そういえば前回の日記で俺は、お隣さんが佐々木に直接性処理などの話題をふるという会話を書いたが、あれは適切な内容では無かった──なんてことを4巻を読みながら思った。お隣さんに申し訳ないことをしてしまった。ああいう事が言える関係になるのは、佐々木に手を出されてからだろう。
 ……しかし、である。
 4巻の時点ではお隣さんと佐々木の間で認識のズレがどんどん加速してしまっている。まあそれが物語上の妙であることは理解できるのだが、やはり佐々木にはなるべく早く、お隣さんの内面を察してあげて欲しいと願う。デスゲームでの立ち振る舞い等から、うすうすはただの薄幸の美少女で無いと感じているだろうが、その内面が自分に対する情念で溢れているとは夢にも思っていないだろう。お隣さんにしても、上で述べたように自ら佐々木にアピールすることはできず、ましてや自分の劣情が悟られてしまうことを何が何でも回避しようとするはず。そうなってくると、関係性を進めるキーになるのはやはり、アバドンだろう。4巻ラストのお色気シーンも、彼が意図的に演出したもの……なんていうのは曲解だろうか。人間の行動原理で最も強いのは欲望なので、お隣さんに焦りを覚えさせるために演出した、みたいな。
 なんにせよ、自分の本性が佐々木にバレてしまった時のお隣さんの反応が早く見たいので、アバドン頑張ってくれ。